私の観能経験もようやく10曲を越えたところで、国立能楽堂にも少し慣れて来た。
今回は、一寸程度を上げて、企画公演の観世清和がシテを舞う「砧」を観る機会を得た。
この「砧」は、観世清和宗家にとっては、父観世元正との生涯最後の舞台となり、その時、ツレを勤めていて、終演後に父は旅先の病院で、かえらぬ人となったと言うことを、著書「一期初心」の「父と子」で語っている。
冒頭の「それ鴛鴦の衾の下には、立ち去る思ひを悲しみ・・・」と言うシテの一声は、今も耳元に残っていて、いつにもまして気力が漲り、それでいて打ちひしがれたシテの悲しみを、静かに謡ったものでしたと言う。
恐らく、観世清和宗家は、謂わば、この日は、「同行二人」、父君と一緒に舞台に立った心算で勤めて居られたのはないかと思って、見上げていた。
この「砧」は、訴訟のために京に上った夫(ワキ 芦屋某 森常好)を慕う遠国の妻(前シテ 芦屋の妻 観世清和)が、何の音沙汰もなく孤閨の寂しさに堪えていると、3年経って侍女夕霧(ツレ 夕霧 坂口貴信)がその年に帰ると伝えに帰って来たのだが、益々寂しさが募り、妻の打つ砧の音が万里離れた蘇武に伝わったと言う故事に倣って二人して砧を打つも、また、夫の帰国が伸びてしまって、妻は夫の心変わりを按じ苦しさに耐え切れず絶望して病没してしまう話である。
後段は、ようやく帰国した夫の前に、尚も恋慕の妄執にもがき苦しんでいる妻が霊(後シテ 芦屋の妻の霊 観世清和)となって現れて、夫に対する恨み辛みを述べながら自分の執心を恥じ、地獄の責めの苦しさを切々と訴えるのだが、夫が合掌して法華読誦すると法華経の功徳によって成仏する。
悲痛なのは、前段の最期に、京からその年も帰れぬと知らせが来たので、その悲しい知らせに絶望した妻が、両手を覆って嘆くのだが、ツレが、シテの後ろに回って、そっと腰に手を添えて立たせて、そのままツレはシテの後ろから幕に向かって消えて行く大詰めである。
清和宗家は、「それが、父との最後の舞台になろうとは夢にも思わず、私は父の腰に手を添えて橋掛かりを歩みました。」と述懐している。
能楽は、大変に洗練された古典劇で、人間の妖しい情念の世界に降りて、俗を去り形を抽象化して、美を極めようとしている。と、観世清和宗家は、書いている。
台詞の氾濫と、凝った舞台の背景やハイテクの照明や豊かな音響効果などで、ふんだんに装飾増幅された現代劇や歌舞伎などの舞台芸術に慣れていると、正に、能楽の世界は、驚天動地、全くの別世界で、今の私には、殆ど白紙状態のパズルを埋めて行くような感じで舞台を見ている。
ところで、国立能楽堂のプログラムで、水原紫苑さんは、この夕霧の存在を源氏物語の夕顔に準えて、芦屋の妻を、六条御息所に対比させて考えている。
六条御息所は死霊として彷徨い続けているが、芦屋の妻は、夫を許すことによって個我から脱却して総てが救われたのだと言う。
同じ末法でも、爛熟期の平安と、天変地異と騒乱で時代が極端に暗かった鎌倉室町とは、時代背景と日本人の思想や人生観が全く違うのだから、そうとも言えないと思うし、第一、女性の紫式部と、男色とは言え世阿弥の女の情念に対する考え方は違うであろうし、世阿弥の場合には、もっと、宗教的かつ心霊的な要素が多分に入り込んでいるような気がしている。
ただ、それが当時としては帯同が普通だったのかどうかは知らないが、何故、世阿弥が、夕霧と言う若い侍女を、ここで介在させたのか、興味なしとはしないと思ってはいる。
今回は、一寸程度を上げて、企画公演の観世清和がシテを舞う「砧」を観る機会を得た。
この「砧」は、観世清和宗家にとっては、父観世元正との生涯最後の舞台となり、その時、ツレを勤めていて、終演後に父は旅先の病院で、かえらぬ人となったと言うことを、著書「一期初心」の「父と子」で語っている。
冒頭の「それ鴛鴦の衾の下には、立ち去る思ひを悲しみ・・・」と言うシテの一声は、今も耳元に残っていて、いつにもまして気力が漲り、それでいて打ちひしがれたシテの悲しみを、静かに謡ったものでしたと言う。
恐らく、観世清和宗家は、謂わば、この日は、「同行二人」、父君と一緒に舞台に立った心算で勤めて居られたのはないかと思って、見上げていた。
この「砧」は、訴訟のために京に上った夫(ワキ 芦屋某 森常好)を慕う遠国の妻(前シテ 芦屋の妻 観世清和)が、何の音沙汰もなく孤閨の寂しさに堪えていると、3年経って侍女夕霧(ツレ 夕霧 坂口貴信)がその年に帰ると伝えに帰って来たのだが、益々寂しさが募り、妻の打つ砧の音が万里離れた蘇武に伝わったと言う故事に倣って二人して砧を打つも、また、夫の帰国が伸びてしまって、妻は夫の心変わりを按じ苦しさに耐え切れず絶望して病没してしまう話である。
後段は、ようやく帰国した夫の前に、尚も恋慕の妄執にもがき苦しんでいる妻が霊(後シテ 芦屋の妻の霊 観世清和)となって現れて、夫に対する恨み辛みを述べながら自分の執心を恥じ、地獄の責めの苦しさを切々と訴えるのだが、夫が合掌して法華読誦すると法華経の功徳によって成仏する。
悲痛なのは、前段の最期に、京からその年も帰れぬと知らせが来たので、その悲しい知らせに絶望した妻が、両手を覆って嘆くのだが、ツレが、シテの後ろに回って、そっと腰に手を添えて立たせて、そのままツレはシテの後ろから幕に向かって消えて行く大詰めである。
清和宗家は、「それが、父との最後の舞台になろうとは夢にも思わず、私は父の腰に手を添えて橋掛かりを歩みました。」と述懐している。
能楽は、大変に洗練された古典劇で、人間の妖しい情念の世界に降りて、俗を去り形を抽象化して、美を極めようとしている。と、観世清和宗家は、書いている。
台詞の氾濫と、凝った舞台の背景やハイテクの照明や豊かな音響効果などで、ふんだんに装飾増幅された現代劇や歌舞伎などの舞台芸術に慣れていると、正に、能楽の世界は、驚天動地、全くの別世界で、今の私には、殆ど白紙状態のパズルを埋めて行くような感じで舞台を見ている。
ところで、国立能楽堂のプログラムで、水原紫苑さんは、この夕霧の存在を源氏物語の夕顔に準えて、芦屋の妻を、六条御息所に対比させて考えている。
六条御息所は死霊として彷徨い続けているが、芦屋の妻は、夫を許すことによって個我から脱却して総てが救われたのだと言う。
同じ末法でも、爛熟期の平安と、天変地異と騒乱で時代が極端に暗かった鎌倉室町とは、時代背景と日本人の思想や人生観が全く違うのだから、そうとも言えないと思うし、第一、女性の紫式部と、男色とは言え世阿弥の女の情念に対する考え方は違うであろうし、世阿弥の場合には、もっと、宗教的かつ心霊的な要素が多分に入り込んでいるような気がしている。
ただ、それが当時としては帯同が普通だったのかどうかは知らないが、何故、世阿弥が、夕霧と言う若い侍女を、ここで介在させたのか、興味なしとはしないと思ってはいる。