熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

3・11原発廃止元年となるのか

2012年03月12日 | 政治・経済・社会
   昨日3月11日は、東日本大震災から丁度1年で、各地で記念式典など色々な追悼行事が催されて、放映されていた。
   NHK BS1でも、世界各地で催された追悼行事や大震災特集番組が放送されていたが、もう一つの焦点は、原発反対の大きなうねりであった。
   ドイツやイタリアは、はっきりと原発廃止の方針を明らかにしたが、電力の75%を原子力に頼っているフランスなどは、複雑な状態のようである。

   ワールドWaveで放映されていたのは、ドイツとフランスだけだが、フクシマに触発されたヨーロッパでは、スイスなどヨーロッパ各地で、原発廃止運動集会などが開催されたりデモ行進を行ったと言う。
   ドイツでは、2021年の原発の稼働停止となるのでは、遅すぎると言う。
   フランスでは、14基も原発の密集するリヨンからアビニヨンまでの230キロメートル(東京から福島)のローヌ渓谷に、多くのフランス人やベルギー、スイスなどから来た人々が集まって人間の鎖を作って抗議した。

   日本の原発は、54基あるが、その内稼働しているのは、たった2基なのに、電力制限をしなくてもこの冬を越せたので、大丈夫らしいと放映していた外国局もあったが、企業も国民も日本全体が省エネに努力した結果であって、やり方次第では、十分に電力不足も乗り切れると言うことでもあろうか。
   
   さて、原発について、どう考えるかと言うことであるが、賛否両論あって、極めて難しい選択に迫られている。
   危険さえなければ、原発が最も効率が良い発電方法なのであろうが、いくら、人類が細心の注意を払って運営したとしても、スリーマイルやチェルノブイリ、そして、フクシマの悲劇を、完全に排除できると言う保証はなく、まかり間違えば、人類の滅亡に繋がる危険を孕んでいる。

   原子爆弾と同じで、完全に地球上から、核を廃絶して葬りされれば良いのだが、平和利用の美名に隠れて核を維持するであろうから、核なしの人類社会は考えられない。
   結局、核をコントロール出来なくなった人間社会は、何時か必ず、大惨事か、狂気に走ったならず者か、何らかの過ちによって、宇宙船地球号を吹っ飛ばしてしまうところまで、来てしまっている。
   帰らざる河、チッピングポイントを渡ってしまって、最早、後戻りが利かなくなってしまった。

   私自身は、今、即座に、原発を廃止すべきだと言う勇気はない。
   細心の注意を払って現状を維持しながら、果敢に、再生エネルギーなど代替の発電技術のイノベーションに、国家を挙げて邁進し、出来るだけ早く、原発から解放されるように努力すべきだと思っている。

   フクシマから、200キロメートル以上離れていると思って安心していたこの千葉の片田舎でも、汚染状況重点調査地域の指定を受けて、0.23マイクロシーベルトを越えてしまっている。
   先日、市役所から放射線量測定器の貸し出しを受けて、わが庭などを測量したが、幸い、0.23よりは低かったが、それでもかなり数値は高くて、近くの小学校や公園は、この汚染数値より高くて除染を実施している。
   私など、オランダでチェルノブイリを経験し、イギリスで、狂牛病の中を生きて来たのだから、それ程心配していないが、昨年夏に生まれた孫などが来れなくなったのが、悲しい。

   東電に言いたいのは、酷かもしれないが、菅氏に敵前逃亡・撤退しようとしたのを阻まれたと言うに至っては言語道断で、もう既に、全く自律能力を喪失し、謂わば、禁治産者となってしまったのであるから、民間の活力などと寝言を言わずに、完全に政府の指示に従うべきであり、東電や東電の社員が、原発事故で故郷を追われて苦渋に生きている福島の人々よりも、良い生活をしているなどと言うことは絶対に赦されないことであって、潰れても口が裂けても、電力料金の値上げなどと安易な解決策に胡坐をかくべきではないと言うことである。
   これこそが、CSRであり、公器たる東電の節度であって、そのように政府が指導できるかどうかであろう。
   
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アマゾンの新しい使い方

2012年03月10日 | 生活随想・趣味
   私が本を調達するのは、大型書店か地元の書店、神田神保町などの古書店、それに、アマゾンのネットショップかのいずれかである。
   尤も、古書店を使うとしても、新しく出版された新古書ばかりで、所謂、古本は、特別に探している本以外は、絶対に買わない。

   ところで、最近は、アマゾンで本を買う方が、段々、多くなってきた。
   専門書など原書は、当然、アマゾンと言うことになり、米英の定価に為替を勘案した価格なので、最近では、同じ本の日本語版よりは、むしろ、安いくらいであり助かっている。
   面白いのは、アマゾンのページで、古書の出店と同時に、新本の出店も出ていて、新版などは、アマゾンよりも、出店組の価格の方が安いことで、アメリカから直送するようである。
   普通、アメリカでは、新刊本は、30%くらいのディスカウント価格で売られるのは普通であり、恐らく、それをもっと安く仕入れて送るのであろうが、アマゾンの場合には、日本に在庫があり、そのまま、すぐに送って来るので、多少高くても、私は、これを使っている。

   さて、私が、もう一つ、アマゾンで使う新しい方法は、古書の出店から、本を探して買うことである。
   書店では、殆ど新しい本ばかりで、継続的に売れない本は、すぐに書店の書棚から消えてしまって買えなくなるのだが、アマゾンでは、殆ど売れないような本でも、ロングテール現象で、出版されている本は、どんな本でも探せると言う利点がある。
   しかし、絶版だとか、出版を停止している古い本など、新本の在庫がない本も結構多いのである。
   アマゾンは、最近では、多くの古書店に出展させて、在庫がなくても、古書店からの本があれば、検索すれば、その本のページが出て来て、買えるようになっている。
   そして、中古品の出店と言うところをクリックすれば、安い順に並んでいて、その古書店の評価や、古書の状態などが書き込まれていて、コンディションの項目で、中古品・非常に良いと書かれている本を選べば、殆ど間違いなしに新本と変わらない状態の本が手に入る。
   私の場合、これまで、神田古書店のデータ・ベースなどを使って、古書を探したことがあるのだが、アマゾンの方がはるかに充実しており、普通では探せないような古書を、時々アマゾン経由で手に入れて重宝している。

   日本のアマゾンのブック・レビューは読まないが、翻訳本だと、必ず、アメリカのアマゾンのページを開いて、Editorial Reviewsや、時には、Customer Reviewsを読んで、参考にしている。
   日本のアマゾンも、大分良くなったが、アメリカの方は、時には著者のビデオや、詳しいバックデータなどの紹介があり、充実しているのである。
   アマゾンをクリックして、本やDVDや他の商品などを調べたり買ったりすると、うるさい程、それに関連する本や商品の紹介メールが来るのだが、時には、新聞などで見過ごしていた新版本を教えてくれたりして、参考になることがある。

   いずれにしろ、アマゾンの本のネットショップは、日進月歩で、どんどん、内容が豊かになり、便利になって来ており、古書でも、殆ど本当の古書を定価の50%で売っているブックオフよりも、はるかに便利で良くなっており、これでは、既存の書店もブックオフなどの古書店も、アマゾンに市場を蚕食され、駆逐されていくのは当然だろうと思われる。
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三月大歌舞伎・・・「荒川の佐吉」「山科閑居」

2012年03月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   最近の新橋演舞場の歌舞伎には、感激するような舞台が少なかったのだが、今回の昼の部の歌舞伎は、結構、楽しませて貰った。
   どうしても、同じ出し物だと、前回に見た舞台を思い出して比較してしまうことが多く、今回は、役者が大分代わっていて、雰囲気やニュアンスの差が出ていて興味深かった。

   山科閑居は、今回、初役が多かったようで、特に、前半の女の代理戦争とも言うべき戸無瀬(藤十郎)とお石(時蔵)、そして、戸無瀬と小浪(福助)との親子の対話など、これまでの、戸無瀬の玉三郎や芝翫と小浪の菊之助、そして、お石の勘三郎とは、大分違っていて、藤十郎の戸無瀬の強さと言うか、押し出しの強さのような重みが前面に出て、これも、毅然たる態度できっぱりと対決姿勢の時蔵との火花が散るような対決が面白かった。

   この山城閑居では、許嫁していた娘の小浪を、大星力弥(染五郎)に嫁がせるために、義母である戸無瀬が、大星家の住居を探し当てて、連れて来ており、戸無瀬の方には、全く悪気がなく当然だと思っている節があって、対話が進むのだが、一気に対決ムードに変ってしまう。
   問題は、夫・加古川本蔵(幸四郎)が、殿上での刃傷の時に、塩谷判官を後ろから羽交い絞めにして止めたので、判官が、高師直の殺害に失敗して本懐を遂げることが出来なかったのだが、このことに対する思いが、加古川家と大星家では全く違うところにある。
   本蔵は、全く身分違いで判官を止める立場にもなかったにも拘わらず、抱きとめたのは、判官が自分の娘の許婚の主君であり、「相手死なずば切腹にも及ぶまじ」ととっさに判断したからであった。
   この娘可愛さが、「山科閑居」の一つの重要なサブテーマになっていて、力弥の槍に故意に突き刺され、瀕死の状態で本蔵は、由良助に、「約束通りこの娘を、力弥に添わせて下さらば未来永劫御恩は忘れぬ。」と手を合わせて頼み込み、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨てる親心、推量あれ」とかき口説く。

   お石の方は、お家断絶で浪々の身となった今日、身分違いだと言って嫁入りを拒絶してケンモホロロに奥へ退席するのだが、お家大事で師直に賂の限りを尽くして追従する本蔵のへつらい武士としての節操のなさが許せない上に、殿の本懐を横からしゃしゃり出て妨げた張本人であるから、絶対に許せないと言う思いがある。
   結局、絶望して死ぬ覚悟に至った母娘の姿を見て、本蔵の白髪首を差し出すと言う条件で、お石は、嫁入りを許すのだが、しかし、本心は、仇討のために江戸へ旅立ち死ぬ運命にある力弥との結婚は、あまりにも可哀そうだと言う母としての思いがある。
   席を立って奥に下がる時も、時蔵お石は、そっと、戸の隙間から二人の姿を覗き込み、隣の部屋から一部始終を観察していたのであろう、戸無瀬が、刀を、小浪に振り下ろそうとした時に、「御無用」と声を掛けて止める。
   
   一方、戸無瀬は、当時としては、お殿様大事で、お家安泰のために家老が決某術数を弄して仕えるのは当然であって、また、判官の安泰を願って刃傷を止めたのであって、何も、本蔵には、悪いところはないと思っていたであろうし、それよりも、殆ど実情を知らずに、愛しい力弥と早く一緒になりたいとそのことだけを念じて遠い旅路を上って来た小浪の心情のいじらしさが傑出している。
   住大夫が、「小浪は処女でっせ」と何度も師匠に言われ続けたと語っていたが、この殺伐とした忠臣蔵の世界から、あまりにも世間離れした小浪と言う存在があるから、その前の、戸無瀬と小浪の道行の場が、美しくて感動的なのであろう。
   文楽では、最初、お石が、京都見物の話をするのだが、この母親対決は、お石の方は、最初から肚が据わっていてびくともしない強さと沈着さがあるが、戸無瀬の方は、嫁入りをコテンパンに叩き潰されて、結婚できなければ死にたいと泣く小浪にかき口説かれて窮地に立ち、二人で自害に及ぼうとし、最後には、娘の許嫁に、目の前で夫が槍で突き立てられ瀕死の状態になるのを見届けると言う、実に天から地に落ちるような悲哀を味わい続ける。

   藤十郎は、でかしゃった、でかしゃったと言う台詞を聴くと、政岡を思い出したのだが、一寸、存在感が有り過ぎたきらいはあったが、このあたりの心情の変化や心の微妙な揺れなどニュアンスの表現と芸の細やかさは、流石であった。
   時蔵のお石は、実に、きっぱりとした凛とした爽やかさがあって、温かさ思いやりをちらりと覗かせて人間味を出すところなど上手いと思った。
   福助の小浪は、初々しさも健気さも十分で上手いと思ったが、一寸、年齢的な先入観の所為もあって、お石の方が、似合ったのではないかと思って見ていたのは、失礼だったであろうか。

   さて、主人公の本蔵だが、主家を暇乞いして京都に赴いて来ており、冒頭で、放蕩三昧の由良之助(菊五郎)を罵倒するのだが、大星の本心と動向をすべて認識した上で、虚無僧姿で山科に来ており、娘の嫁入りのために力弥の手にかかって首を差し出すことも覚悟して、そして、大星達の師直殺害を助けるために、高師直住居の絵図面を携えて来ている。
   悪人で通っていた本蔵が、味方となって大星を助けると言う「もどり」だが、それを知った大星が、総てを本蔵に明かして、本蔵の虚無僧の衣装を借りて、大阪に出立して行く。
   たった一夜の余裕だけ力弥に与えて出て行くのであるが、さて、小浪は幸せであったのであろうか。

   幸四郎の本蔵と染五郎の力弥は、間違いなく決定版で、素晴らしいと思うのだが、菊五郎の由良之助も、中々重厚で品があって、光っていた。
   これだけ、役者が揃って、重厚な舞台となると、グンと舞台に輝きが出て来て、観劇後にも余韻を引き楽しい。

   真山青果の「荒川の佐吉」だが、随分前に見たのは、佐吉が仁左衛門で、今でも、幕切れの夜明け前の薄暗い向島の土堤の茶屋のシーンを覚えており、目が見えない姉の乳飲み子を置いて出奔してしまったお八重(孝太郎)との、しみじみとした再会シーンが忘れられないのだが、今回も、染五郎と梅枝が、実に印象的な素晴らしい舞台を見せてくれていた。
   「侠客の世界をのし上がった男の潔い生き様を描いた真山青果の名作」と言うことで、佐吉は、自分を認めて後見役を務めようとした相模屋政五郎(幸四郎)が、惜しいなあと言って止めるのを断り、鍾馗(錦吾)の二代目継承を棒に振って旅立って行くのだが、物語の底流には、大店の跡取りとなった盲目の卯之吉にとって、育ての親が自分であることが邪魔になると言う慙愧の思いがあり、万年三下奴で押し通した自分の器の大きさを知っていると言う現実を考えると、一寸、複雑な思いである。

   中々役者もそろっていて素晴らしい舞台であったが、前回の大工辰五郎を演じていた染五郎が、仁左衛門の代わりに佐吉になって、素晴らしい佐吉像の新境地を開き、その後の辰五郎を演じた亀鶴が、また、実に呼吸ぴったりと染五郎佐吉に付きつ離れつ寄り添って、小気味の良い演技を見せて秀逸であった。

   
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五十六世梅若六郎著「まことの花」

2012年03月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   二世梅若玄祥を襲名した梅若六郎の随筆集で、能の芸術論だけではなく、多方面に亘って芸術や人生を語っていて、非常に含蓄のある興味深い本である。
   8年前の出版であるから、9.11後のアメリカ公演の記事までで、私が知らなかっただけだが、能楽の世界でも、新作能や復曲が行われているようで、「伽羅沙」などは、パイプオルガンが使われたと言う。
   「空海」や「陰陽師・安倍清明」などは何となく分かるような気がするが、「ジゼル」となると、私はバレーしか知らないので、イメージが湧かない。

   能の歴史について語っているのだが、「免状問題」で観世流からの破門に端を発した「観梅問題」も興味深いけれど、江戸時代に、幕府の支配下に置かれると、次第に創世記の生彩を失って、明治維新の「革命」に伴う”ドサクサ”がなかったとしても、能は遅かれ早かれ”風前の灯”状態に追い込まれていった、と言う著者の言に注目した。
   その能が本来の活力を失い衰微して行った一番の理由は、能楽師たちが、極端に言えば、なにをせずとも「食べられた」からだと言う。
   勿論、観阿弥・世阿弥の時代、織豊時代ともに将軍や大名等の「時の権力者」から、愛顧や庇護を受けて来たが、権力者の生死は勿論、能楽師の地位も極めて不安定な状態であったのだが、江戸時代に入ってからは、能自体が大名たちの「社交の道具」となり、能楽師たちも”大名のお抱え”と言う立場を得て、「ノホノン」としてしまった結果、それと気づかぬうちに、能楽師たちの堕落が始まったのだと思っていると言うのである。
   様式の形骸化も、創造力の欠如も、萎え切った精神と無縁ではなかったと言うことである。

   ところが、式楽として篤く保護していた江戸幕府が崩壊して、明治維新になると、大名家のお抱えとして武士に匹敵する地位にあった能楽師たちは、みんなが失職状態で食うや食わずの状態に陥ってしまい、殆ど壊滅状態となったのだが、東京に居て踏ん張り続け、静岡に下った観世の宗家に代わって、風前の灯状態だった能楽界全体を引っ張って行ったのが、観世宗家の分家銕之丞家と、弟子家の初世・梅若実だったと言う。
   明治維新の頃、能楽師たちは、面や衣装を売り、煙草屋や薬屋と言った商売をしたり、転職したり、初世は、爪楊枝削りの内職をして糊口をしのいでいたと言う。

   権力の庇護・経済的サポートも、必要だが、度を越して胡坐をかくとだめだと言うことだが、歌舞伎は、マッカーサー治下の強烈な禁止命令や経済的困窮で、そして、文楽は、分裂と経済危機で、戦後の困難期を乗り切って来たのを思えば、日本の誇るべき世界文化遺産の古典芸能も、紆余曲折を経ながら維持されて来たのである。
   さて、経済的には豊かになったが、国民経済の悪化で、今や、真っ先に文教予算をぶった切って、国も地方も、古典芸能への補助金をカットする時代になってしまった。
   試練に遭うのが芸の向上のために良いのか、或いは、程々の公的な理解とサポートが必要なのか、いずれにしろ、能楽師たち専門家の切磋琢磨と芸術向上のための血の滲むような研鑽練磨が必要であるとともに、鑑賞者自体の質と能力の向上も絶対必須であり、古典芸能の維持発展には、大変なエネルギーが必要なのである。

   この本は、主題が多岐に亘っているので、私のような能楽初歩の人間にとっては、非常に、参考になり啓発されるのだが、やはり、結構難しいところもあって、見る方の側にも、相当の覚悟が必要なことが良くかかる。
   幽玄と言うテーマ一つにしても、世阿弥の「風姿花伝」や、白洲正子の著述などを交えながら、世阿弥は、童形、つまり少年のなかに「幽玄」な美しさを見出していたと言い、白洲は、「幽玄」は男色から見出された”少年美”だと言う、と紹介しながら、世阿弥は、内面的な”いのちの輝き”にこそ「幽玄美」の根本基準を求めたのだと思いますと言って、色々な角度からシテ能楽師としての薀蓄を披露している。
   私のイメージする「幽玄」とは違うので、能を見ながら、勉強したいと思っている。

   この本のタイトルである”花”についても、「時分の花」「まことの花」「秘する花」「因果の花」など、世阿弥を引きながら、色々な角度から掘り下げて語っていて、非常に面白いのだが、とにかく、能面や能装束、能舞台などは勿論、ご自身の履歴や懐かしい人たちとの出会い、多くの曲の舞台での思いなど、人間性豊かな語り口が、実に爽やかで、楽しませてくれる。
   先日読んだ観世銕之丞の著書もそうだが、功成り名を遂げた芸術家の書いたり語った本は、非常に含蓄豊かで感動を呼ぶことが多くて、歌舞伎でも文楽でも、或いは、戯曲でも同じで、好き好んで読むことが多い。
   解説本も、偶には良いのだが、やはり、実際の役者や演者、芸術家の本の方が、はるかに良いと思っており、伝記でも、自叙伝の方が、良いと思っている。
   
(追記)口絵写真は、同書から転写借用。「ジゼル」
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わが庭の歳時記・・・鹿児島紅梅が一輪咲く

2012年03月06日 | わが庭の歳時記
   今年は寒いので、春の花の開花が遅れていて、湯島の白梅もまだ四分咲きくらいだと言う。
   私の庭のピンクの枝垂れ八重梅もまだ蕾がかたいのだが、この鹿児島紅梅だけ、一輪開花した。
   小さな花だが、夕べの雨のしずくが残っていて、実に優雅で美しい。

   私の庭には、昔、普賢像の八重桜やサクランボの木など桜系統の花木も植えてあったのだが、大きくなり過ぎたり、害虫にやられたりしたので、切ってしまって、代わりに、梅の木が何株か植わっている。
   梅の木は、生育が遅く、それに、桜と違って、どんどん切ればよいので、小さな庭向きの花であり、実に清楚で、香りが良い。
   平安時代の初めくらいまでは、花と言えば梅で、桜より愛でられたようだが、いつの間にか、花と言えば、桜になってしまった。
   奈良の月ヶ瀬や京都の北野天満宮や水戸の偕楽園などに出かけて、梅園の美しさを楽しんだこともあるのだが、最近では、民家の庭や田んぼの中にぽつんと咲いている梅の花を見て、春を感じて楽しむことが多くなった。

   椿は、大分、華やかに咲き始めた。
   本格的に、椿が咲き乱れるのは、4月に入ってからだと思うが、今咲いている椿は、潔いのか、すぐに花弁が落ちて、地面に落ち椿を敷き詰める。
   ヒヨドリなどが飛んできて、あの大きな嘴でつつくので、すぐに落ちてしまうのだが、小磯などは、その前に、一番美しい姿で落ちるので、芝や雑草の上に、綺麗な花を咲かせる。
   侘助椿より一寸大き目のラッパ咲きの鮮やかな赤い花弁で、それに、黄色いしっかりした雄蕊が真ん中に突き出していて、落ち椿でも品があって風情があるのである。
   侘助の一種の小公子の落ち椿も、小磯のように、ピンクの花を地面に咲かせる。
   今咲いている複輪侘助も同じで、小輪の椿の良さかも知れない。

   ところが、曙椿などは、ピンク色の花弁が、一部褐色に傷がついてしまうので、落ち椿には、一寸情緒に欠けて残念である。
   天ヶ下や紅妙蓮寺のような大きな花弁は、ぼてっと花弁が落ちて、これなら、昔、武士たちが椿を縁起が悪いと言って嫌ったのも分かるような気がする。
   同じ椿でも、随分、園芸椿の新種が生み出され続けているのだが、夫々に個性があって面白い。
   
   
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立石泰則著「さよなら!僕らのソニー」

2012年03月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   出井伸之&ストリンガー両CEOの写真に重ねて「ブランドをダメにしたのは誰だ!」と大書した帯の付いた文春新書がこの本だが、ソニーを17年間も追跡して来た著者の、いわば、ルポルタージュだから面白い。
   ”私たちは、けっしてストリンガー体制のソニーに以前のような輝きを期待してはいけない。いまのソニーは、私たちに「夢」を与えてくれた、ソニースピリットあふれる私たちのソニーではないからだ。
   いまの私たちに出来ることは、未来への「希望」を与えてくれた「SONY」に感謝の言葉を捧げるとともに、こう言うだけである。
   「さよなら!僕らのソニー」”
   と言う文章で、本を結んでいる、言ってみれば、「ソニーらしい」商品を生んだ井深・盛田の創業者精神を失ってしまったソニーへの鎮魂歌である。

   私は、これまで、破壊的イノベーションを生めなくなった「歌を忘れたカナリヤ」と呼んで、何故、世界の冠たるイノベーター・ソニーが、世界中のソニー・ファンをワクワクさせるような商品を生めなくなってしまったのかを、経営学書や文献で見つける毎に、紹介しながら、私見を綴って来た。
   しかし、この本は、創業から説き起こして、ソニーの経営や技術など色々な側面から、歴史的な推移を追いながら、著者独特の視点から分析していて、今の日本の製造業の抱えている問題まで浮き彫りにしていて、興味深い。

   まず、最初に問題にしたかったのは、何故、ソニーのコア・ビジネスであるエレキに関心の薄いストリンガーを、ソニーのトップ経営者に選任したのかと言うことである。
   あくまで推測だとして、著者は、出井氏は辞任と言う形式を踏んではいるが、実際は、辞めたくないのに辞めざるを得なかった「解任」に近く、ソニーに対する影響力を可能な限り保持し「院政」を敷ければベストで、その為には、後継者が、目指した改革や経営観を共有する人物、いわば「同志」と呼べて出井氏をリスペクトする幹部でなければならず、それが、ハワード・ストリンガーだったのだと言う。
   私は、ソニーは、世界に冠たるグローバル企業ではあるが、ソニースピリットで代表されるDNAも企業文化も、極めて日本的な企業であって、ソニーそのものも日本企業そのものも良く知らない徹頭徹尾アングロ・サクソン的経営者であるストリンガーが、巨大な「技術のソニー」と言う大集団を率いて、有効に経営を行えるとは決して思えなかったのだが、やはり、著者が言うように、ソニーを更に悪化させて、結局、社長業を平井一夫に譲ることになった。
   大賀氏が、ストリンガーに「アメリカに帰りなさい」とCEO辞任を促した時に、CEOが総ての権限と責任をもっていると確信しているストリンガーは、「あなたこそ、相談役室から出て行きなさい」と完全リタイヤ―を求めたと言うから、日本的経営と言うかソニースピリットを全く分かっていなかったのである。

   ところで、もう一つ面白い著者の指摘は、出井氏が、委員会制度を置く「委員会等設置会社」制度を導入したのは、社長の椅子を権力闘争ではなく大賀氏の決断による選抜人事で得たので、権力基盤の弱さを補完し、自分の意思を貫徹するために、「株主の利益」と言う大義名分が立つ社外取締役が過半を占める制度で支持を固めて、旧勢力や守旧派の幹部に対抗しようとしたのだと言うことである。
   ところが、自分の味方だと思っていた社外取締役のゴーン氏や中谷氏が、出井氏の経営手腕に疑問を持って、次期社長に久夛良木氏を推したと言うのだから面白い。
   これこそ、会社法が期待するコーポレート・ガバナンスの発露であり、出井氏は、その本質を読めなかったと言うことである。
   
   さて、出井氏を後継に指名した筈の大賀氏が、盛田氏の死後、その選抜は失敗だったと反省し、「私は、出井君をソニーのトップとして認めない」と言っていたと言う。
   顧客の琴線に触れる「ソニーらしい」製品を、何一つ開発し市場に送り出せずに、ネットワーク事業や金融などビジネスモデルの構築に、そして、公職や外国企業の役員など外向きの仕事に注力していたことを良しとしていなかったのであろう。
   
   さて、出井氏とストリンガーは、コアのコンス―マー・エレクトロニクス関連が思わしくないので、コンテンツとネットワーク路線を強化しようとしたのだが、一方で、コストカッター的な経営手法を強化して、技術開発部門の核であったA³研究所を廃止したり生産部門に大鉈を振るったり、テレビでも、「高精細(高画質)」と「大画面(大型化)」追求から「価格」や「デザイン」重視に走って、高画質の源であったDRCをブラビアから取り去って廉価版にするなど、「技術のソニー」を捨てて行ったと言う。
   今や、「ソニーらしい」商品を求めてもないものねだりになってしまって、ソニーは、井深・盛田時代の姿からは確実に逸脱してしまっており、ストリンガー自身が、オープンテクノロジーの時代だから、どこのメーカーの製品でも同じサービスが受けられると、独自技術に拘った製品開発に価値を置かずに、「技術のソニー」の戦略を否定するような発言をしているのだから、何をかいわんやと著者は嘆いている。

   また、すべてのソニー製品をネットワークで繋ぐソニーユナイテッドは良いとして、それでは、どこで儲けるのかと聞いたが、ストリンガーにも平井一夫にも答えがなく、何の戦略も持ち合わせていないと言う。
   西田宗千佳氏によると、”アップルは、高度なOSや優れた操作性、音楽や映像、アプリケーション、書籍など魅力的な配信事業を武器にして、ハードウエアの魅力を高めて、優れたハードウエアを大量に売ることを本質的なビジネスモデルとしていて、この低価格の機器を量産して、高い利益率で売ると言うシステム、すなわち、ハードウエアの売り上げで利益の大半を叩き出しているのである。”らしいのだが、これこそ、ソニーの取るべき戦略ではなかろうかと思う。
   ソフトやネットワークにいくら注力しても、コア・ビジネスの巨大なボリュームに太刀打ちできない筈で、本業で利益を叩き出せなければ、ビジネスとして失敗であろう。

   
   
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少しずつ慣れてきた能・狂言の鑑賞

2012年03月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月、式能を能楽堂で見てから、その後、3回能狂言の鑑賞に出かけて、少しずつ、能楽堂の雰囲気にも慣れてきて、面白くなり始めて来た。
   都民劇場能で、宝生能楽堂で、「羽衣」「樋の酒」を見た以外は、国立能楽堂で、女性能楽師による「百万」と「天鼓」、そして、3月に入ってから「縄綯」と「箙」であった。
   狂言の方は、比較的分かり易くて、面白さ・可笑しさ、諧謔を感じて、楽しめれば、駆け出しとしては、まずまずの出来だと思うのだが、能の方は、今のところ、どのように能の舞台が展開されるのか、その進行具合や能の形らしきものが、おぼろげながら分かって来たと言うところであろうか。

   色々バリエーションはあろうが、例えば、こんな話。
   諸国行脚の旅の僧(ワキ)がまず出て来て名乗りをあげて着座すると、何か曰く因縁のありそうな人物やその化身がシテとして登場して、問答を交わして舞いながら曰くを謡い消えて行く。狂言方のアイが登場して、ことの経緯などを詳しく語ってくれるので、話が分かってくる。その後、前シテの在りし日の姿や霊などが後シテとして再び登場して、故事来歴などを披露述懐して舞い謡い華麗な舞台を展開して、後世の弔いを頼んで消えて行く。
   このような二場からなる形式の能は、「複式夢幻能」と言うらしいのだが、これが、徹頭徹尾、無駄を削ぎ落してエッセンスだけにシンプリファイ様式化された舞で表現し、笛、小鼓、大鼓、太鼓の4拍子の囃子の伴奏に乗って、美文調の美しい謡などが、シテと地謡で謡い続けられ、最後には、静かに、橋掛かりから退場して行く。

   私は、能楽堂に出かける前に、一応、話の筋を読んでおくのだが、ロンドンに居た時に、RSCやロイヤル・シアターなどに通い詰めて、シェイクスピア劇の鑑賞を通じて観劇に慣れ親しんだ身にとっては、全く勝手が違うので、多少話が分かったくらいでは、殆ど役に立たない。
   まだ、文楽の方は比較的物語性があって親しみやすいけれど、歌舞伎になると、中には、奇想天外で、全く筋が筋になっていないような見せる舞台があって、最初は違和感を感じたのだが、能になると、もっと、極端で、筋があっても、理解し楽しむためには、かなりの年季と修練が必要なようである。
   先の観世銕之丞さんは、能は、外国の演劇に例えると、オペラよりは、音楽を通して表現し演じるので、ミュージカルに近いと言っていたが、私も、ミュージカルを、ブロードウエイやウエスト・エンドで良く見たし、オペラも、一時期通い詰めたのだが、形だけ似ていても、表現方法は勿論、パーフォーマンス・アーツとしての質も芸術性も全く異質であって、この能の奥深さは、600年の歴史と伝統を背負っていて、例えにならないように思う。
   ところが、私の席の後ろに、白人の家族が座っていて、熱心に観劇していた。

   まず、能への取っ掛かりだが、「天鼓」は、初春番組でNHKが放映しており、「羽衣」は、たけしの番組で、観世清和が演じていたりしていて、参考になったし、題材が、「箙」の場合には、梶原源太景季が梅花一枝を箙にさして戦に出た話だし、「羽衣」や「高砂」などは、知っている話であり、能の曲の多くは、歴史上の人物や名所旧跡などを題材にしたケースが多いので、手探りながら、多少、イメージが湧いてくるので、そのあたりからアプローチしていると言うことである。
   能・狂言から題材を取った歌舞伎が多いので、その元となった能や狂言のオリジナルの舞台を見て比較できるのを楽しみにしている。

   ところで、先に記した様に、女性能楽師による能を見た。
   囃子の中にも女性奏者が居たし、地謡はすべて女性陣であった。
   私は、男性能楽師と、そんなに差があるとは思っていないのだが、茂山千之丞が、「狂言三人三様 茂山千作の巻」の中で、女性狂言師は、絶対反対だとして、狂言や能は始めから男がやるようにできていて、それを女の人がやるのは、狂言や能に対する侮辱とかではなく、アホだと思う、と語っている。
   女形と言うのはそもそも男で、歴史的な必然の中で女形の技術が生まれた。あれは男を否定しないと女にならない。しかも男は女の魅力、色気を女の人以上に知っています。それを男の体を生かして表現する。だから、女優さんが女形になろうと思ったら、いっぺん男にならないといけない。男になって、それから女形になると言う二重の手間が要ります。そういう意味で、女優がやる女形はコピーにすぎない。と言うのである。
   先ほど亡くなった雀右衛門が、この世にない女を演じるから女形は美しく魅力的なのだと語っていたのだが、同じことを言っているのであろうか。

   能や狂言が、日本独特の古典芸能であり、現在の姿が決定版だとするのなら話は別かも知れないが、あのシェイクスピアも、当初は、すべて、男優が演じており、かってのオペラも、去勢したカストラートがソプラノを歌っていたのだが、今では、男役は男優が、女役は女優が演じていて、本来の姿に戻って、素晴らしい芸術を作り上げている。
   歌舞伎は、当初の阿国歌舞伎が、風紀を乱したと言うことで、江戸幕府が男歌舞伎を命じたので、歌舞伎は、その伝統に従って出来上がっているのであって、もし、阿国歌舞伎の伝統が継承発展しておれば、どのような歌舞伎になっていたかは、分からないし、どっちとも言えないのではないかと思っている。

(追記)口絵写真は、NHKテレビより転写。観世清和の「羽衣」
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社外取締役強化という法制度改革の有効性は?

2012年03月03日 | 経営・ビジネス
   法務省の法制審議会が、日本企業のガバナンスを強化するため、社外取締役を選任義務付けや、「監査・監督委員会設置会社」の創設などを盛り込んだ会社法制の見直しに関する中間試案を出した。
   中間試案のポイントは、「企業統治のあり方」と「親子会社に関する規律」の2点であるが、企業統治については、現行の監査役会設置会社または有価証券報告書を提出している会社に対し、最低1人以上の社外取締役を選任することを義務付ける案を盛り込んでおり、試案では、社外取締役と社外監査役の要件見直しも提起し、現行法で認められている親会社の取締役や従業員(いずれも就任前の10年間)、当該会社の近親者などについて、利益相反の観点から社外取締役から除外する項目を新たに追加する案も示している。

   尤も、試案には「社外取締役」の義務付けが盛り込まれているが、(A)監査役設置会社のうちの大会社に1人以上の社外取締役を義務付ける(B)有価証券報告書を提出している会社に1人以上の社外取締役を義務付ける(C)現行法のまま見直さない---の3案が示されている。
   これまでの、委員会設置会社については、取締役会の中に社外取締役が過半数を占める指名委員会、監査委員会及び報酬委員会を置き、取締役会が経営を監督する一方、業務執行については執行役にゆだね、経営の合理化と適正化を目指すこととしているので、今回の改正案よりも、社外取締役の役割が強化されている。

  さて、社外取締役の設置については、京都産業大の齋藤卓彌准教授の調査では、「様々な実証研究において、社外取締役が、業績、コーポレート・ガバナンスの向上に貢献していることが日本でも確認でき、社外取締役の義務化により、状況が平均的に改善される可能性がある。」と言うことである。
   実際にも、業績悪化に伴い社長が解任される確率は、社外取締役がいる企業群においてより大きく上昇しており、社外取締役のいない企業群よりも高いと言う。
   また、アメリカ以外の国でも、イギリスでも、コーポレート・ガバナンスや業績の改善が見られ、韓国でも、25%以上を社外とする規制が企業業績を向上させていると言う。

   ところが、社外取締役制度について、一番進んでいる筈のアメリカでも、必ずしも、独立性のある社外取締役が選ばれているとは限らず、エンロンやワールドコムのケースのように無機能の場合もあって、トラブルを完全に避け得ると言う保障はなく、法制度の強化だけでは解決できそうにはなさそうである。
   しかし、日本の場合には、アメリカよりは、はるかにコーポレート・ガバナンスは未熟であり、昨今も、オリンパスや大王製紙のような非常にプリミティブな事件が起こっており、社外取締役、それも、広い知見を有した独立した取締役の選任は、是非とも必要であろうと思われる。

   この社外取締役の選任強化に強硬に反対しているのが経団連で、「経営者に対する適正な監督は、「社外」かつ「取締役」でなければ担うことができないとの明確な根拠はなく、社外取締役の選任を法的に義務付けることには反対である。」として、C案を取るとしている。
   社外取締役の重要な役割は、監視監督と助言だとすると、それを選任するCEOなり社長は、厳しいモニタリングをされるのは、経営者にとって望ましくなく避けたいであろうから、当然、仲良しクラブのメンバーのような人選をするであろうし、出来れば、最初から、社外取締役を入れたくないと言うのが本音であろうから、当然の見解であろう。

   私自身は、いくら社外取締役選任を義務付けて、そして、その資格要件を厳しく規定しても、委員会設置会社のように、社外取締役が過半数以上である指名委員会が選任する場合ならともかく、大半の会社は、社長なりCEOなり、企業のトップが、取締役を指名して選任が行われているのであるから、コーポレート・ガバナンスなどと言う意識は極めて希薄で、自分自身の経営がやり易いように指名するのが関の山で、法の精神の実現など不可能であると思っている。
   結局、無色無害の、仲良しクラブのメンバーを選任しようとする意志が働いてしまうので、社外取締役の指名選任権限を経営者に与えないことが、何よりも肝要であり、このような法制度が実施されない限りダメで、監査役会の社外監査役の場合にも、監査役会の同意が要るものの、社長の指名資格を排除すべきである。

   自分の行う経営を監視監督する役員を、自分で選ぶなどと言うのは、聖人君子でない限り、あってはならない。
   何にも会社のことが分からない社外取締役など役に立たないと言うのが経団連なり経営者の見解だが、要するに、経営者自身が、十分に企業情報を与えずに、かつ、コーポレート・ガバナンスの強化のために役に立つようにしていないのだから、お門違いの暴言も甚だしいと言うべきであろう。

   ところで、日本では、トヨタやキヤノンなど、その分野のトップ企業は、殆ど社外取締役を置いていないと言う。
   何故、社外取締役が居なくても業績が良いのかと言うことだが、メディアや投資機関やジャーナリズムなど、外部の目が厳しいので、これらが、十分に監視機能を果たしていて、社外取締役と同じ役割を果たしていると言うのである。
   ガルブレイスが、半世紀も前に言っていたカウンターベイリング・パワーが、有効に働いていると言うことで、本当は、世間の厳しい目の方が、コーポレート・ガバナンスには有効だと言うことであろうか。
   
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日本人の海外留学生は何故減っているのか

2012年03月01日 | 生活随想・趣味
   私は、今でも、東大や早稲田大学に出かけて、学生たちと机を並べて講義を受けることがある。
   両方とも、主に、法学部のCOEプログラムの公開講座なのであるが、私自身、大学の専攻は経済で、大学院の専攻は経営学なので、どうしても、法学の知識をアップツーデイトに保っておきたいと思ってであるが、最近、外国からの教授たちの来訪も多くて、英語で講義されることも多くなった。
   米国製MBAでありながら、法学関係の専門用語になると、専門知識の不足もあるが、殆ど理解できなくなることがある。
   しかし、もう、グローバリゼーションの時代であるから、日本語に通訳して知識を習得するような、悠長な時代ではない。

   ところで、話は飛ぶが、最近、急速に、アメリカのトップ大学や高等学術機関などへの日本人の留学生が、激減している。
   ハーバードのメアリー・C・ブリントン教授によると、2008年度の学部の日本人留学生は、たったの5人だと言う。
   中国や韓国の留学生は、日本人留学生の何倍もの数で、以前から、米国の有名大学などは中国の出先事務所を通じて好条件で、優秀な留学生を積極的に勧誘しているようだが、正に、クリエイティブ時代で、知の争奪戦がグローバル規模で行われているのである。
   東大も、中国に事務所を開設して、中国人留学生を勧誘するようなだが、これは良いことだとして、問題は、もっともっと、日本人の若者を、特に欧米の大学や高等学術機関へ送り出さないと、グローバル・ベースで、国際舞台で渡り合える人材が育たないと言うことである。

   何故、日本人留学生が減ったのか、ブリントン教授は、その理由を、3点上げている。
   一つは、アメリカの大学での学位が、日本社会や企業で評価されていないこと。
   二つ目は、日本人の学生が自分を売り込む能力に欠けていると言う可能性。アメリカの大学が入学を許可する基準として、柔軟な思考ができて、いろんなことに興味を持っている人間だと言うこと。
   三つ目は、日本人の若者が内向きになってきて、知らない国で知らない人たちの間で生きて行く経験をあまり求めなくなって来たから。
   これに対して、対談者の山岸俊男北大教授は、経済的な理由が一番大きいと思うと応えている。

   私が、ウォートン・スクールに留学した時には、同期は16人いたが、中央官庁から2人、日銀から1人、開銀から1人、東証から1人で、他は、都市銀行からが大半で、商社や外資系など民間企業からの派遣留学生であった。
   他の学年では、自費留学生が居たが、大半は、官庁か企業からの派遣留学生であったのだが、もう、40年ほども前のことであり、当時は、日本自体がまだ貧しかった頃だから、仕方がなかったということでもあった。
   
   今、ウォートン・スクールに留学すると、最低、2000万円かかると言うから、相当の財力がないと自費留学は無理で、貧しくなってしまった日本の若者が、自力でアメリカへ留学するなどは、殆ど無理であろうと思われる。
   昨秋、某大学で、欧米流MBA経営学では通用しないBRIC’sビジネスと言う大上段に踏み被ったテーマで講義したことがあったが、終わった後、何人かの学生が、私の所へ来て、留学の意思を語っていた。
   最近の若者は、チジミ志向だとか、外に出ていろんな機会を試して見ようと言うプロモーション志向ではなくて、なるべくリスクの少ない安心できる状態から出たくないと言う傾向だと言われているが、決してそうではなく、チャンスさえ与えれば、十分に挑戦する意欲はあるのである。
   若者たちへの財政的サポートを充実させて、背中を押すことである。

   政府も民間企業も、留学生を派遣する資力に欠けるのなら、NPOでもNGOでも何でも良いから、海外留学基金を設立して、留学生派遣することを考えたらどうであろうか。
   この団体へは、国民の寄付で賄うこととして、その寄付金は、所得控除の対象とすることは勿論、あらゆる便宜を図って優遇することである。
   振り込め詐欺などで、宙に浮く老齢者の預貯金のことを考えれば、眠っている1500兆円の一部でも引き出して、将来ある日本人の若者に注ぎ込むことを考えれば、これ程有効で意義ある投資はなく、日本の再生に大きく貢献することは間違いない。
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