昨日3月11日は、東日本大震災から丁度1年で、各地で記念式典など色々な追悼行事が催されて、放映されていた。
NHK BS1でも、世界各地で催された追悼行事や大震災特集番組が放送されていたが、もう一つの焦点は、原発反対の大きなうねりであった。
ドイツやイタリアは、はっきりと原発廃止の方針を明らかにしたが、電力の75%を原子力に頼っているフランスなどは、複雑な状態のようである。
ワールドWaveで放映されていたのは、ドイツとフランスだけだが、フクシマに触発されたヨーロッパでは、スイスなどヨーロッパ各地で、原発廃止運動集会などが開催されたりデモ行進を行ったと言う。
ドイツでは、2021年の原発の稼働停止となるのでは、遅すぎると言う。
フランスでは、14基も原発の密集するリヨンからアビニヨンまでの230キロメートル(東京から福島)のローヌ渓谷に、多くのフランス人やベルギー、スイスなどから来た人々が集まって人間の鎖を作って抗議した。
日本の原発は、54基あるが、その内稼働しているのは、たった2基なのに、電力制限をしなくてもこの冬を越せたので、大丈夫らしいと放映していた外国局もあったが、企業も国民も日本全体が省エネに努力した結果であって、やり方次第では、十分に電力不足も乗り切れると言うことでもあろうか。
さて、原発について、どう考えるかと言うことであるが、賛否両論あって、極めて難しい選択に迫られている。
危険さえなければ、原発が最も効率が良い発電方法なのであろうが、いくら、人類が細心の注意を払って運営したとしても、スリーマイルやチェルノブイリ、そして、フクシマの悲劇を、完全に排除できると言う保証はなく、まかり間違えば、人類の滅亡に繋がる危険を孕んでいる。
原子爆弾と同じで、完全に地球上から、核を廃絶して葬りされれば良いのだが、平和利用の美名に隠れて核を維持するであろうから、核なしの人類社会は考えられない。
結局、核をコントロール出来なくなった人間社会は、何時か必ず、大惨事か、狂気に走ったならず者か、何らかの過ちによって、宇宙船地球号を吹っ飛ばしてしまうところまで、来てしまっている。
帰らざる河、チッピングポイントを渡ってしまって、最早、後戻りが利かなくなってしまった。
私自身は、今、即座に、原発を廃止すべきだと言う勇気はない。
細心の注意を払って現状を維持しながら、果敢に、再生エネルギーなど代替の発電技術のイノベーションに、国家を挙げて邁進し、出来るだけ早く、原発から解放されるように努力すべきだと思っている。
フクシマから、200キロメートル以上離れていると思って安心していたこの千葉の片田舎でも、汚染状況重点調査地域の指定を受けて、0.23マイクロシーベルトを越えてしまっている。
先日、市役所から放射線量測定器の貸し出しを受けて、わが庭などを測量したが、幸い、0.23よりは低かったが、それでもかなり数値は高くて、近くの小学校や公園は、この汚染数値より高くて除染を実施している。
私など、オランダでチェルノブイリを経験し、イギリスで、狂牛病の中を生きて来たのだから、それ程心配していないが、昨年夏に生まれた孫などが来れなくなったのが、悲しい。
東電に言いたいのは、酷かもしれないが、菅氏に敵前逃亡・撤退しようとしたのを阻まれたと言うに至っては言語道断で、もう既に、全く自律能力を喪失し、謂わば、禁治産者となってしまったのであるから、民間の活力などと寝言を言わずに、完全に政府の指示に従うべきであり、東電や東電の社員が、原発事故で故郷を追われて苦渋に生きている福島の人々よりも、良い生活をしているなどと言うことは絶対に赦されないことであって、潰れても口が裂けても、電力料金の値上げなどと安易な解決策に胡坐をかくべきではないと言うことである。
これこそが、CSRであり、公器たる東電の節度であって、そのように政府が指導できるかどうかであろう。
NHK BS1でも、世界各地で催された追悼行事や大震災特集番組が放送されていたが、もう一つの焦点は、原発反対の大きなうねりであった。
ドイツやイタリアは、はっきりと原発廃止の方針を明らかにしたが、電力の75%を原子力に頼っているフランスなどは、複雑な状態のようである。
ワールドWaveで放映されていたのは、ドイツとフランスだけだが、フクシマに触発されたヨーロッパでは、スイスなどヨーロッパ各地で、原発廃止運動集会などが開催されたりデモ行進を行ったと言う。
ドイツでは、2021年の原発の稼働停止となるのでは、遅すぎると言う。
フランスでは、14基も原発の密集するリヨンからアビニヨンまでの230キロメートル(東京から福島)のローヌ渓谷に、多くのフランス人やベルギー、スイスなどから来た人々が集まって人間の鎖を作って抗議した。
日本の原発は、54基あるが、その内稼働しているのは、たった2基なのに、電力制限をしなくてもこの冬を越せたので、大丈夫らしいと放映していた外国局もあったが、企業も国民も日本全体が省エネに努力した結果であって、やり方次第では、十分に電力不足も乗り切れると言うことでもあろうか。
さて、原発について、どう考えるかと言うことであるが、賛否両論あって、極めて難しい選択に迫られている。
危険さえなければ、原発が最も効率が良い発電方法なのであろうが、いくら、人類が細心の注意を払って運営したとしても、スリーマイルやチェルノブイリ、そして、フクシマの悲劇を、完全に排除できると言う保証はなく、まかり間違えば、人類の滅亡に繋がる危険を孕んでいる。
原子爆弾と同じで、完全に地球上から、核を廃絶して葬りされれば良いのだが、平和利用の美名に隠れて核を維持するであろうから、核なしの人類社会は考えられない。
結局、核をコントロール出来なくなった人間社会は、何時か必ず、大惨事か、狂気に走ったならず者か、何らかの過ちによって、宇宙船地球号を吹っ飛ばしてしまうところまで、来てしまっている。
帰らざる河、チッピングポイントを渡ってしまって、最早、後戻りが利かなくなってしまった。
私自身は、今、即座に、原発を廃止すべきだと言う勇気はない。
細心の注意を払って現状を維持しながら、果敢に、再生エネルギーなど代替の発電技術のイノベーションに、国家を挙げて邁進し、出来るだけ早く、原発から解放されるように努力すべきだと思っている。
フクシマから、200キロメートル以上離れていると思って安心していたこの千葉の片田舎でも、汚染状況重点調査地域の指定を受けて、0.23マイクロシーベルトを越えてしまっている。
先日、市役所から放射線量測定器の貸し出しを受けて、わが庭などを測量したが、幸い、0.23よりは低かったが、それでもかなり数値は高くて、近くの小学校や公園は、この汚染数値より高くて除染を実施している。
私など、オランダでチェルノブイリを経験し、イギリスで、狂牛病の中を生きて来たのだから、それ程心配していないが、昨年夏に生まれた孫などが来れなくなったのが、悲しい。
東電に言いたいのは、酷かもしれないが、菅氏に敵前逃亡・撤退しようとしたのを阻まれたと言うに至っては言語道断で、もう既に、全く自律能力を喪失し、謂わば、禁治産者となってしまったのであるから、民間の活力などと寝言を言わずに、完全に政府の指示に従うべきであり、東電や東電の社員が、原発事故で故郷を追われて苦渋に生きている福島の人々よりも、良い生活をしているなどと言うことは絶対に赦されないことであって、潰れても口が裂けても、電力料金の値上げなどと安易な解決策に胡坐をかくべきではないと言うことである。
これこそが、CSRであり、公器たる東電の節度であって、そのように政府が指導できるかどうかであろう。