熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

西川善文著「ザ・ラストバンカー」

2012年03月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   銀行には一番縁のない私だが、日本の銀行が最も苦しんでいた時期に、如何に、銀行が呻吟しながら、不況の中を生き抜いて来たのか、その片鱗を知りたくて、この本を読んだ。
   一回だけ、三井住友の株主総会で、西川氏の議長ぶりを拝見したことがあるが、社内株主を前列にぎっしり並べて、「賛成異議なし議事進行」と言った総会屋対策一辺倒の昔風の株主総会で、極力株主の意見などを封殺して手っ取り早く総会を終えようとする雰囲気が充満していて、住友カラーと言うべきか、重苦しい嫌な総会であった記憶がある。
   それに、三井住友は、自社ビルでの総会で、東京フォーラムのみずほや、武道館での三菱東京UFJなどの多少オープンな雰囲気とは違って、如何にも閉鎖的で、総会日がかち合う所為もあるが、最近は行かなくなっている。

   さて、西川氏が、何故、住友の頭取になったのか。
   営業経験も殆どなく海外経験さえもなく、我武者羅に働いた30代から50代半ばまで、殆どの期間を、安宅産業の破綻処理、平和相互銀行合併問題とイトマン事件の処理、そしてバブル崩壊に伴う不良債権に費やしてきた、それまでの頭取と比べれば、謂わば、歪な経歴を歩いて来たにも拘わらずである。
   西川氏が頭取であった時期は、1997年から2005年。日本経済がバブル崩壊で、失われた10年に呻吟しながら、アジア通貨危機が勃発し、山一や北拓銀行が破綻した正にその年からであり、一時、9.11やITバブルの崩壊はあったが、世界同時好況を謳歌していた時ではあったが、日本経済は、深い不況の谷間から抜け出せず、特に、小泉竹中体制路線の進行で、金融機関は、不良債権の早期解決など強力なハードランニングの管理体制が敷かれていた時である。
   正に、銀行にとっては、防御防戦一方の後ろ向きの経営に終始すべき乱世であり、経済成長に酔いしれた攻撃と拡大路線に終始したそれまでのバンカーには、全く太刀打ちできない経営環境であったと言うことである。
   西川氏が、唯一前に出たのは、「金融ビッグバンはビッグチャンス」とと捉えた諸政策かも知れない。

   90年代後半に入ってからは、ベルリンの壁の崩壊後のグローバリゼーションの急激な進展や、世界経済がICT革命によって新時代に突入していたにも拘わらず、この西川氏の著書を読めば分かるように、日本経済を背負って立っていた筈のメガバンクが、一切、このグローバルな新潮流から取り残されて、内輪向きの防戦一方の経営に明け暮れていたかが分かり、暗澹とせざるを得ない。
   西川氏が、ポール・ボルカーとの知己を自慢しているが、名うての米国金融機関から金を借りただけで、時流を読む国際感覚とグローバル金融市場で泳いで行ける才覚があったかどうかは別の問題であろう。
   また、日本の銀行は、世界の潮流に乗り遅れて、金融業の急速なICT化に踏み込めなかった故に、リーマンショックの被害が少なく済んだと言う説もあるが、逆に、能がなかった故に詰まらぬメクラ滅法な投資にのめり込んで世界金融恐慌の被害を被ってはいる。

   ここで触れておくべきは、当時、国際会計基準の導入などが騒がれていた時期でもあったが、同時に、バブル崩壊後の企業の経営環境が、財務諸表重視の時代に突入し、バランスシートが読めない経営者は、丘に上がったカッパ同然となり、経営管理能力を喪失し始めたと言うことである。
   その意味では、破綻企業や危機に瀕した破綻寸前の企業の経営指標や財務諸表を分析把握して、荒療治で再建処理する経営感覚と能力のあった西川氏が、あの時期に、三井住友の頭取として立ったのは必然だったのかも知れない。
   昔、ロンドンに居た時に、住友の優秀な営業マンが、開発案件をどんどん持って来たのだが、その案件の収支目論見や何故投資に値するのか、一切説明する能力がなかったのに気付き、プロジェクト・ファイナンスを旨とする欧米銀行と比べて、その落差の酷さを感じたことがある。

   西川氏のこの本で、いくらか興味深い記述がある。
   1992年8月に、宮澤総理が、銀行のトップを軽井沢に呼んで、不良債権を処理するために金融機関への公的資金注入についてどう思うかと内々に相談があったが、公的資金が注入されるとトップの責任につながると懸念して断ったと言うことで、あの時決めておけば、こんな大騒ぎにならなくて済んだのにと言う巽頭取の忸怩たる思いの紹介である。
   また、UFJとの合併問題で、UFJの沖原頭取と玉越会長に会談を誘われながら、その意を解して十分に対応できなくて、折角のチャンスをミスってしまったと言う反省。
   面白いのは、財界内の仲間だけで話をして、組織も硬直化して民僚が幅を利かせている経団連は、もはや無用の長物だと思うと言う発言であり、さもありなんと思われる。

   さて、多言を避けて結論だけにするが、西川氏を、日本郵政の社長に指名した小泉竹中の決定は、正に、正解で、この起用があったればこそ、多々問題はあったにしろ、民営化が、ここまで進展したのだと思っている。
   私は、弱肉強食の市場至上主義の競争原理の経済理論には、あまり、賛成ではないが、国営企業や官僚制度など政府組織には、もっともっと、競争原理を導入して風穴を開けるべきで、コーポレート・ガバナンスとは何かを辛酸を舐めつくして知り抜いて来た西川社長の郵政民営化と経営の合理化高率化には、全く異論がなく、早期に、石を持って追われる如く退任したのを、むしろ、残念に思っている。
   逆に、前面に出て足を引っ張っていた政治家の無能と識見のなさと、政権の猫の目のような変転ぶりに暗澹とせざるを得ない。

   
コメント
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