申楽浸しの脇目もふらぬ一筋の道。生涯かけてひたすらその道だけに賭けて生き抜いてきた世阿弥が、72歳の老耄の涯に、上をないがしろにしたと言う覚えなき理由で、将軍義教に、佐渡流謫の刑に処される。
「その運命をどう受入れたのか、老いとどう向き合ったのか、そしてどう死を迎えたのか知りたかった。」と言う思いで3年間温め続けて、寂聴さんが書いたのが、世阿弥の佐渡での晩年を綴ったこの小説「秘花」。
奈良が終焉の地だと言う説もあるが、寂聴さんは、この流刑地佐渡で、世阿弥が、色っぽい話をも交えながらも、案外大らかで伸び伸びした生活をおくって臨終を迎える話にしている。
佐渡は水がいい、魚が捕れる、そしてお米もとれる。それだけでもう暮らせるから、島の人たちの人情がとても優しい土地だし、それに、流人心得で申し渡されたのは、島の外への逃亡はご法度だが、滞在中は、何の仕事について生計を立ててもも良く、世阿弥の場合には、京都から持参した生活資金がいくらかあり、それに、娘婿の金春禅竹から仕送りもあり、謡の一人稽古、仕舞、読書や書き物、それに、座禅や瞑想、読経三昧の生活を送れた。
唯一困り抜いたのは、良質の紙を手配出来なかったことで、白い布きれをも、書き物に使ったと言う。
生誕から流罪に至るまでの、世阿弥の生い立ちや申楽人生などについては、比較的史実と言うか、一般的に流布している話を軸にして寂聴さんの創作が加えられている感じだが、佐渡での晩年については、前半は自分語りで、後半は、世阿弥の侍女であり後添えでもあった紗江が、没後に佐渡を訪れて来た出家した次男の元能に語る形で、物語が進められていて、世阿弥の思想や人間性が滲み出ていて興味深い。
佐渡時代で、世阿弥が残したのは、配所への道行きと佐渡の風物を綴った『金島書』だけなので、寂聴さんは、創作を交えて、色々な呪縛や柵から解放された人間世阿弥の情緒豊かな味わい深い晩年を浮かび上がらせている。
世阿弥が、紗江の頬を撫ぜていとしそうに優しい声で、臨終の瞬間に呟いた言葉は、「つ・ば・き」、苦難を共にしてきた妻・椿の名前。
哀れなのは、世阿弥も椿も、大樹、すなわち、将軍義満の執拗で淫らな焔の下での慰めものとして屈辱に耐えて来たもの同士で、椿は、下げ渡された妻。世阿弥の心の恥と屈辱を知り抜いている椿とは、1年近くも屈辱の垢を洗い流すために、肌を合わせられなかった。
この世阿弥だが、椿一人を守った訳ではなく、一人の女に捕われてしまうと、能の話を造る創造力が枯渇しそうで、不安だと言い、椿は、「始まったものは、必ず終わりがある」と言って耐えたと言う。
この夫婦に、子供が出来なかったので、世阿弥の後継として、弟・四郎の子供に三郎元重の名を与えたのだが、その後、椿が2人の男の子と1人の女の子を生む。
この霜降の妻を、娘婿善竹に託して、世阿弥は佐渡に渡り、とうとう会えずにその死を知る。
ところで、世阿弥は、やはり、人の子で、結局、自分の子供が可愛くて、長男元雅を後継にするのだが、この元雅は若くして殺されてしまい、二男の元能も出家する。
また、絶大な庇護を受けていた義満や二条良基准后に先立たれ、田楽の隆盛に負け、また、養子にした元重も離反して新将軍義持の庇護を受けて隆盛を極めて、世阿弥の観世一座は、衰退の一途を辿って行き、このような時期に、気に入らなければ、どんどん、人を容赦なく消し去る傍若無人な将軍義持の佐渡流罪を受ける。
観阿弥が、美童世阿弥を男色好みの義満に差し出し、京へ上るためにあらゆる手を使って頂点に上り詰めた観世も、瞬時に凋落すると言う激烈な競争場裏にあった草創期の能楽の世界が見え隠れしていて興味深い。
先日、梅若六郎の「まことの花」の稿で、江戸時代以外は、能楽師の地位は非常に不安定であったことに触れた。
観阿弥は、申楽は万民に快楽を与える芸、すなわち、福寿増長、福寿延長でなければならないとしていたが、同時に、権力者の庇護バックアップ、そして、識者の美意識・鑑賞眼を満足させなければならないのだろうが、それは、猫の目のように激しく変化する。
今日では、世阿弥は、能楽の世界では、最高峰だが、晩年には、一座の凋落に遭遇し、後継者を失い、最期には、流罪の悲哀に泣き、生涯かけて築き上げてきた自信も栄誉も人間としての尊厳も叩き潰された。
能の台本を2曲書いたと言う寂聴さんの、随所に紹介されている世阿弥の芸術論も分かり易くて良く、それに、佐渡での、紗江との生活や風土や風物の懐かしささえ感じさせてくれるような臨終までの世阿弥の人間的な生き様の描写が、私には救いであった。
”命には終わりあり 能には果てあるべからず”
”花とは、色気だ。惚れさせる魅力だ”
”幽玄とは、洗練された心と、品のある色気だ”
難しいが、素晴らしい言葉が、流れている。
最後に、新しい能の筋が浮かんだと言って世阿弥が紗江に口述筆記させようとした題名が、”秘花”
紗江は、あちらからお師匠さまのお声が毎夜届き「秘花」の詞章が語られ続けています。それを書きとることが、ただ今のわたしの密かな生き甲斐でございます。と言う。
恋も秘すれば花、と言うことであろうか。
「その運命をどう受入れたのか、老いとどう向き合ったのか、そしてどう死を迎えたのか知りたかった。」と言う思いで3年間温め続けて、寂聴さんが書いたのが、世阿弥の佐渡での晩年を綴ったこの小説「秘花」。
奈良が終焉の地だと言う説もあるが、寂聴さんは、この流刑地佐渡で、世阿弥が、色っぽい話をも交えながらも、案外大らかで伸び伸びした生活をおくって臨終を迎える話にしている。
佐渡は水がいい、魚が捕れる、そしてお米もとれる。それだけでもう暮らせるから、島の人たちの人情がとても優しい土地だし、それに、流人心得で申し渡されたのは、島の外への逃亡はご法度だが、滞在中は、何の仕事について生計を立ててもも良く、世阿弥の場合には、京都から持参した生活資金がいくらかあり、それに、娘婿の金春禅竹から仕送りもあり、謡の一人稽古、仕舞、読書や書き物、それに、座禅や瞑想、読経三昧の生活を送れた。
唯一困り抜いたのは、良質の紙を手配出来なかったことで、白い布きれをも、書き物に使ったと言う。
生誕から流罪に至るまでの、世阿弥の生い立ちや申楽人生などについては、比較的史実と言うか、一般的に流布している話を軸にして寂聴さんの創作が加えられている感じだが、佐渡での晩年については、前半は自分語りで、後半は、世阿弥の侍女であり後添えでもあった紗江が、没後に佐渡を訪れて来た出家した次男の元能に語る形で、物語が進められていて、世阿弥の思想や人間性が滲み出ていて興味深い。
佐渡時代で、世阿弥が残したのは、配所への道行きと佐渡の風物を綴った『金島書』だけなので、寂聴さんは、創作を交えて、色々な呪縛や柵から解放された人間世阿弥の情緒豊かな味わい深い晩年を浮かび上がらせている。
世阿弥が、紗江の頬を撫ぜていとしそうに優しい声で、臨終の瞬間に呟いた言葉は、「つ・ば・き」、苦難を共にしてきた妻・椿の名前。
哀れなのは、世阿弥も椿も、大樹、すなわち、将軍義満の執拗で淫らな焔の下での慰めものとして屈辱に耐えて来たもの同士で、椿は、下げ渡された妻。世阿弥の心の恥と屈辱を知り抜いている椿とは、1年近くも屈辱の垢を洗い流すために、肌を合わせられなかった。
この世阿弥だが、椿一人を守った訳ではなく、一人の女に捕われてしまうと、能の話を造る創造力が枯渇しそうで、不安だと言い、椿は、「始まったものは、必ず終わりがある」と言って耐えたと言う。
この夫婦に、子供が出来なかったので、世阿弥の後継として、弟・四郎の子供に三郎元重の名を与えたのだが、その後、椿が2人の男の子と1人の女の子を生む。
この霜降の妻を、娘婿善竹に託して、世阿弥は佐渡に渡り、とうとう会えずにその死を知る。
ところで、世阿弥は、やはり、人の子で、結局、自分の子供が可愛くて、長男元雅を後継にするのだが、この元雅は若くして殺されてしまい、二男の元能も出家する。
また、絶大な庇護を受けていた義満や二条良基准后に先立たれ、田楽の隆盛に負け、また、養子にした元重も離反して新将軍義持の庇護を受けて隆盛を極めて、世阿弥の観世一座は、衰退の一途を辿って行き、このような時期に、気に入らなければ、どんどん、人を容赦なく消し去る傍若無人な将軍義持の佐渡流罪を受ける。
観阿弥が、美童世阿弥を男色好みの義満に差し出し、京へ上るためにあらゆる手を使って頂点に上り詰めた観世も、瞬時に凋落すると言う激烈な競争場裏にあった草創期の能楽の世界が見え隠れしていて興味深い。
先日、梅若六郎の「まことの花」の稿で、江戸時代以外は、能楽師の地位は非常に不安定であったことに触れた。
観阿弥は、申楽は万民に快楽を与える芸、すなわち、福寿増長、福寿延長でなければならないとしていたが、同時に、権力者の庇護バックアップ、そして、識者の美意識・鑑賞眼を満足させなければならないのだろうが、それは、猫の目のように激しく変化する。
今日では、世阿弥は、能楽の世界では、最高峰だが、晩年には、一座の凋落に遭遇し、後継者を失い、最期には、流罪の悲哀に泣き、生涯かけて築き上げてきた自信も栄誉も人間としての尊厳も叩き潰された。
能の台本を2曲書いたと言う寂聴さんの、随所に紹介されている世阿弥の芸術論も分かり易くて良く、それに、佐渡での、紗江との生活や風土や風物の懐かしささえ感じさせてくれるような臨終までの世阿弥の人間的な生き様の描写が、私には救いであった。
”命には終わりあり 能には果てあるべからず”
”花とは、色気だ。惚れさせる魅力だ”
”幽玄とは、洗練された心と、品のある色気だ”
難しいが、素晴らしい言葉が、流れている。
最後に、新しい能の筋が浮かんだと言って世阿弥が紗江に口述筆記させようとした題名が、”秘花”
紗江は、あちらからお師匠さまのお声が毎夜届き「秘花」の詞章が語られ続けています。それを書きとることが、ただ今のわたしの密かな生き甲斐でございます。と言う。
恋も秘すれば花、と言うことであろうか。