この本は、ドラッカーが、死の直前に行ったインタビューを記録したもので、非常にシンプルで明快に、新しい時代に直面しながら、行く末を見失った観のある日本について、論述している個所など、非常に興味深くて、参考となる。
まず、最初に、隆盛を極めた日本の歴史こそが、20世紀の世界史そのものであり、現在の世界経済を生み出したのは日本であると前置きして、その大成功に導いた旧来の日本の手法が、時代の変化に通用しなくなって、足枷になってしまっていると指摘する。
失われた10年などと日本が危機的な状況に瀕していると言われているが、これは、危機ではなく、時代の変わり目=移行期だからだと言う。
したがって、日本が今なすべきは、この変化を拒絶することではなく、その変化に対応して行くための意識改革に取り組むことだと言うのである。
一つ目の変化は、情報がグローバル化して、トランスナショナルな経済の勃興で、今まで日本を成功に導いてきた原動力である「保守主義」が息の根を止められたこと。
製造業でも農業でも、或いは、日本で最も護送船団方式で保護されて来た銀行でも、時代は変わって、企業活動がグローバル化して、保護政策の有効性は完全に失われてしまった。
更に、保護主義とは、「変化への拒絶」であるから、前近代的な因習を引きずり、日本の変化を阻止してきた「官僚制度」も喫緊の改革要件であろう。
しかし、最も効果的に日本を外部から保護しているのは、「言語」で、外国人が務められるのは経営トップだけで、実務担当には言葉の壁が厚すぎて、仕事は日本人に任せる以外にはなく、また、唯一グローバル化しているのは情報であり、正に、その情報時代でありながら、その情報の大半が英語であることに鑑みれば、日本人は情報へのアクセスに苦労して、この言語の壁によって、外国人とともに協労する絶好のチャンスをミスって来ていると言うのである。
従って、日本が直面している問題は、経済の停滞ではなく、日本が、情報技術の分野、ひいては、グローバル化した情報に基盤を置く世界経済=情報経済の進展の中で、ひどく立ち遅れてしまっている点だと強調している。
国際的な金融(?)や製造業においては強みを持つ日本だが、革新技術や情報の分野ではリーダーにはなり得ていず、情報経済が主軸となる今後の世界経済の中では、日本が最も苦労する国になる。
日本経済の成功は、自国で事業を行い、独自の伝統的経営手法と労働力を保ちつつ、西洋の最新技術を導入することによってであって、日本の台頭とは、「和洋の統合に成功した企業の台頭」であった。
東洋に属しながら西洋の一部になり得たことが、日本を成功に導いた最大の要因であり、その結果、日本は、非常にハイコストな国になってしまい、このハイコストな日本が生きて行くためには、絶えざるイノベーションと、それによって生み出される新しい価値を輸出し続けることが大切である。
すなわち、日本の生きる道は、情報技術の分野でイノベートする術を学び、進展する上方経済の中でリーダーにならなければ、日本が生きる道はないであろうと言う。
ドラッカーは、前節でも、グローバル経済で、真にグローバル化したのは、インターネットの普及によって国境が取り払われて国と国との距離がゼロとなった、ただ一つ「情報」のみで、その最大の武器は英語であり、世界に冠たる「知識国家」となるであろうと、英語と情報技術に恵まれたインドを、非常に高く評価している。
ドラッカーが、その死を迎えるまで、インターネットを駆使したり、アップルやマイクロソフトに入れ込んだと言う形跡はないが、知識情報化産業社会の到来は、最も早く予見し、知識情報が、価値を生み出す源泉であることを主張し続けていたことは事実であり、最後に、この本では、情報技術の分野での更なるイノベーションを強調している。
この本の最後、The Last Wordsで、個人のイノベーションに言及して、常に教育に立ち返る真の「生涯教育」を薦めているのだが、ドラッカーの経営学の要諦は、同郷の巨人シュンペーターに触発されたイノベーション論であり、絶えることなき知と価値の創造こそが、国家であろうと企業であろうと個人であろうと、成長するための唯一の源泉であることを唱え続けて来た。
私自身は、経済成長(ただし、現在の国民経済指標であるGDP主体ではなくて、出来れば人類にとってプラスとなる国民総福祉( Gross National Welfare 》や地球幸福度指数(The Happy Planet Index)等々をも加味した経済成長指数で表現された経済成長)が、人類の文化や文明のみならず、生活を向上させる最も有効な手段だと思っており、その源泉となり推進力であるイノベーションを追及することが、我々の最大の使命であると確信して、ずっと、このブログで主張し続け来たので、絶えざるイノベーションなければ、日本の明日はないと言うドラッカーの主張に全く異存はない。
付け加えるとすれば、情報技術のイノベーションとは限定せずに、更に、人類の未来にとってプラスとなり、文化文明を止揚するイノベーション総てを進めるべきであると思っている。
今回のドラッカーの主張で肝に銘ずべきは、日本がハイコスト国であると言う現実で、国民生活の向上を図るためには、新興国と対抗するような並みのイノベーションではダメで、情報技術等世界の最先端を行くクリエイティブで他の追随を許さないような付加価値の高いイノベーションを日本が生み出し続けて、他を凌駕する以外に生きる道はなく、それが出来なければ、要素価格平準化定理の作用するグローバル経済では、益々、窮乏化して窮地に立つと言う厳粛なる事実である。
このことを、ドラッカーは、最後の遺言として残して、日本の未来にエールを贈ったのだと思っている。
蛇足ながら、ドラッカーは、他にも、インドや中国との関係にも触れて、新しい秩序へ向かう混迷した世界の下で、日本の果たすべき重要な役割は、太平洋を挟んだアメリカと中国・インドを結ぶ「橋」になることだと説いている。
また、中国・インドは、アメリカにとってもヨーロッパにとっても、それ程問題にはならないが、その台頭が最も脅威になるのは日本である。しかし、脅威はチャンスでもあり、これまでの『問題重視型」の思考様式に囚われずに、「機会重視型」で対処すべきと説いている。
まず、最初に、隆盛を極めた日本の歴史こそが、20世紀の世界史そのものであり、現在の世界経済を生み出したのは日本であると前置きして、その大成功に導いた旧来の日本の手法が、時代の変化に通用しなくなって、足枷になってしまっていると指摘する。
失われた10年などと日本が危機的な状況に瀕していると言われているが、これは、危機ではなく、時代の変わり目=移行期だからだと言う。
したがって、日本が今なすべきは、この変化を拒絶することではなく、その変化に対応して行くための意識改革に取り組むことだと言うのである。
一つ目の変化は、情報がグローバル化して、トランスナショナルな経済の勃興で、今まで日本を成功に導いてきた原動力である「保守主義」が息の根を止められたこと。
製造業でも農業でも、或いは、日本で最も護送船団方式で保護されて来た銀行でも、時代は変わって、企業活動がグローバル化して、保護政策の有効性は完全に失われてしまった。
更に、保護主義とは、「変化への拒絶」であるから、前近代的な因習を引きずり、日本の変化を阻止してきた「官僚制度」も喫緊の改革要件であろう。
しかし、最も効果的に日本を外部から保護しているのは、「言語」で、外国人が務められるのは経営トップだけで、実務担当には言葉の壁が厚すぎて、仕事は日本人に任せる以外にはなく、また、唯一グローバル化しているのは情報であり、正に、その情報時代でありながら、その情報の大半が英語であることに鑑みれば、日本人は情報へのアクセスに苦労して、この言語の壁によって、外国人とともに協労する絶好のチャンスをミスって来ていると言うのである。
従って、日本が直面している問題は、経済の停滞ではなく、日本が、情報技術の分野、ひいては、グローバル化した情報に基盤を置く世界経済=情報経済の進展の中で、ひどく立ち遅れてしまっている点だと強調している。
国際的な金融(?)や製造業においては強みを持つ日本だが、革新技術や情報の分野ではリーダーにはなり得ていず、情報経済が主軸となる今後の世界経済の中では、日本が最も苦労する国になる。
日本経済の成功は、自国で事業を行い、独自の伝統的経営手法と労働力を保ちつつ、西洋の最新技術を導入することによってであって、日本の台頭とは、「和洋の統合に成功した企業の台頭」であった。
東洋に属しながら西洋の一部になり得たことが、日本を成功に導いた最大の要因であり、その結果、日本は、非常にハイコストな国になってしまい、このハイコストな日本が生きて行くためには、絶えざるイノベーションと、それによって生み出される新しい価値を輸出し続けることが大切である。
すなわち、日本の生きる道は、情報技術の分野でイノベートする術を学び、進展する上方経済の中でリーダーにならなければ、日本が生きる道はないであろうと言う。
ドラッカーは、前節でも、グローバル経済で、真にグローバル化したのは、インターネットの普及によって国境が取り払われて国と国との距離がゼロとなった、ただ一つ「情報」のみで、その最大の武器は英語であり、世界に冠たる「知識国家」となるであろうと、英語と情報技術に恵まれたインドを、非常に高く評価している。
ドラッカーが、その死を迎えるまで、インターネットを駆使したり、アップルやマイクロソフトに入れ込んだと言う形跡はないが、知識情報化産業社会の到来は、最も早く予見し、知識情報が、価値を生み出す源泉であることを主張し続けていたことは事実であり、最後に、この本では、情報技術の分野での更なるイノベーションを強調している。
この本の最後、The Last Wordsで、個人のイノベーションに言及して、常に教育に立ち返る真の「生涯教育」を薦めているのだが、ドラッカーの経営学の要諦は、同郷の巨人シュンペーターに触発されたイノベーション論であり、絶えることなき知と価値の創造こそが、国家であろうと企業であろうと個人であろうと、成長するための唯一の源泉であることを唱え続けて来た。
私自身は、経済成長(ただし、現在の国民経済指標であるGDP主体ではなくて、出来れば人類にとってプラスとなる国民総福祉( Gross National Welfare 》や地球幸福度指数(The Happy Planet Index)等々をも加味した経済成長指数で表現された経済成長)が、人類の文化や文明のみならず、生活を向上させる最も有効な手段だと思っており、その源泉となり推進力であるイノベーションを追及することが、我々の最大の使命であると確信して、ずっと、このブログで主張し続け来たので、絶えざるイノベーションなければ、日本の明日はないと言うドラッカーの主張に全く異存はない。
付け加えるとすれば、情報技術のイノベーションとは限定せずに、更に、人類の未来にとってプラスとなり、文化文明を止揚するイノベーション総てを進めるべきであると思っている。
今回のドラッカーの主張で肝に銘ずべきは、日本がハイコスト国であると言う現実で、国民生活の向上を図るためには、新興国と対抗するような並みのイノベーションではダメで、情報技術等世界の最先端を行くクリエイティブで他の追随を許さないような付加価値の高いイノベーションを日本が生み出し続けて、他を凌駕する以外に生きる道はなく、それが出来なければ、要素価格平準化定理の作用するグローバル経済では、益々、窮乏化して窮地に立つと言う厳粛なる事実である。
このことを、ドラッカーは、最後の遺言として残して、日本の未来にエールを贈ったのだと思っている。
蛇足ながら、ドラッカーは、他にも、インドや中国との関係にも触れて、新しい秩序へ向かう混迷した世界の下で、日本の果たすべき重要な役割は、太平洋を挟んだアメリカと中国・インドを結ぶ「橋」になることだと説いている。
また、中国・インドは、アメリカにとってもヨーロッパにとっても、それ程問題にはならないが、その台頭が最も脅威になるのは日本である。しかし、脅威はチャンスでもあり、これまでの『問題重視型」の思考様式に囚われずに、「機会重視型」で対処すべきと説いている。