旧型車ばかりだった頃の揖斐・谷汲線に何度も通った私にとって、名鉄の岐阜600V線がなくなるということの一番大きな意味は、たぶん黒野駅という心のオアシスを失うことなのだと思います。何故なら、ここを訪れれば戦前の古豪たちが醸し出す独特の味わいをそれこそ常にいくらでも五感で楽しむことが出来たからです。その味わいとは、旧型電車の眼福をほしいままにしてフィルムにおさめまくるといった視覚。釣掛の音や古いドアが開く音、それに乗り換え案内のアナウンスといった聴覚。駅や電車のあちこち、それに硬券の質実剛健さを確かめる触覚。機械の油や床の油の匂いがほのかに漂うのを嗅ぐ触覚。そして、駅にあるボロい喫茶店のありふれた、でも懐かしい味覚……。
もうほとんどの運用が新型車になり、谷汲線がなくなってしまった今では、黒野駅の機能も相当縮小されてしまい、去年廃止が正式に決まる前に訪れたとき、やはり何だかショックでした。でも、もしこの先何もない更地になってしまうのを目にすれば、多分もっとショックでしょう。それだけ大好きでした、黒野駅。
多分今頃は大変なことになっていると思いますので、のどか~な昼下がりの風景のまま脳裏にとどめておくために、敢えて行かないことにします。でも本当に、10代の頃に通い詰めた思い出の黒野駅に、心からありがとうと言いたい気持ちでいっぱいです。