地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

こちらも3月末限り・日立電鉄

2005-03-23 10:07:18 | 地方民鉄 (関東北東部)


 名鉄岐阜600V線が廃止直前の大混雑になっているのと同様、こちら日立電鉄も今月いっぱいの廃止を控え、警備員が出るほどの大変な状態になっているとか……。
 私がここを訪れたのは、元銀座線車に日立旧塗装を復活させた直後の昨年はじめが、結局最初で最後になりそうです。私が各地の旧型電車を撮り歩いた80年代、日立電鉄では小さな旧型車が単行から4連までバラエティに富んだ形態で走っていて、訪れてみたい場所の一つだったのですが、結局名鉄揖斐線や上田交通、それに北陸や近畿あたりの私鉄を優先させてしまったため (これらに共通するのは、18きっぷや周遊券で夜行列車が使えるということです。金のない中学・高校生にとって、夜行利用で朝から時間を有効に使えるというのは重要でした ^^;)、一度も行かないままやがて一旦撮り鉄趣味から遠ざかり、やがて旧型車自体がなくなってしまった……!という、苦い経験がありました。それに対する反省もありまして、元銀座線の前パン車がこんな美しい塗装を身にまとったのであれば行かないわけにはいかないなぁと思い出かけた次第ですが、ローカル私鉄の割にはけっこう本数も多かったのに (この時点ではまだ昼間約40分間隔の運行でした。その後、廃止前提の60分間隔になったようで……) 客は閑散としていて、さらにどの電車も余りにも汚れているなど、沿線からも鉄道会社自身からも見放されているのかなぁ……という雰囲気を感じずにはいられませんでした。ですので、その後しばらくして存廃問題が急に深刻化し、結局廃止が決まったことにも、(申し訳ないのですが) 余り驚きませんでした。もちろん、また一つ鉄道が消えて行くこと自体は「鉄」として残念なことですが、もともと日立の工場通勤用という意味が強かった鉄道が、マイカー通勤の普及と、日立市中心街に直結していないという致命傷によって使命を終えてゆく……といういうことなのでしょうか。

さよなら名鉄岐阜600V (3) 新岐阜駅前の80年代

2005-03-23 00:10:37 | 懐かし画像


 先日のダイヤ改正で「名鉄岐阜」と改称された新岐阜駅。600Vの電車の方向幕はいまさら全面交換するのを面倒臭がっているためか、「新」の字の部分だけを塗りつぶしているようで、何とも見栄えがしないですね……。そんなちぐはぐな姿で最終日を迎えるというのもまた一層寂しさを誘うような気がするのは私だけでしょうか。
 そんな新岐阜駅前が街並みごとまだまだ賑わっていて「空洞化」という言葉が現実になるなんて信じられなかった時代、岐阜市内線の電車も次から次へとやって来て楽しかったのを覚えています。何故なら、長良北町への「本線」 (?) がこの頃は健在だったからです。利用客も、忠節・揖斐線方面への客よりも長良北町行きの方がたくさん乗っていたような……。
 そして、長良北町行きが健在だった頃の岐阜市内線のマスコット的存在といえばモ550型! スリムな車体に「出べそヘッドライト」が何とも良い味出していました。後ろに写っている岐阜バスも古い車体ですし……。信じたくないですけど、昭和は遠くなりにけり、か。