31日は終日大変な模様だったようですが、私は朝から終電までずっと年度末の多忙に追われていました。でも、リアルタイムで廃止直前の光景を見なかったおかげで、今後はいくら廃止当日画像が出回っても、直接岐阜を訪れて現実をナマで見せつけられてしまわない限り、私の記憶の中で岐阜600Vが走り続けてくれるような気もしています……。自己満足ですが (^^;)。
※なお、個人的には今のところ、これほど公共交通に冷たく、しかも「本当にここが県庁所在地?」としか思えないほど街が空洞化して生気がない岐阜には、改めて訪れる予定はありません (-_-)。
それにしても、一応どういうふうに変わるのか……ということで、代替バスの時刻表を岐阜バスHPで見てみたのですが、本数めちゃ少なすぎ! (爆) それなりに線路があったからこそ存在した輸送需要も、線路から離れていてかつクネクネした代替ルートにならざるを得ないことで激減するに決まっている、という余りにも後ろ向きな見通しを立てたのではないかとしか思えません。こうして、電車のみならずバス網もどんどん先細りになって行くのが岐阜というところなのかなぁ……と、ヨソ者の勝手な印象ながらも思ってしまわずにはいられません……(~_~)。
黒野~穂積間のバスは、本数的に決して多くないものの、速くて便利そうだなぁ……という印象があります (^^;)。とはいえ、揖斐線沿線から岐阜・名古屋に出る需要も、穂積駅まで車という選択に食われてしまったのが命取りの一つであり、そのことを反映させた路線のような気もしますので……複雑な気分です。
さて、こういう代替バス輸送の状況を目にすると、かつて揖斐線では中型車3両編成が通勤・通学客を詰め込んで忠節まで向かい、さらに岐阜市内線に連絡していたという光景が遙か遠い昔の話になってしまったようですね……(廃止前、小型な780形の3重連でも間に合っていたというのもそれなりにショックでした)。その頃威力を発揮していたのが、700・750形、そしてク2320形です。750は数年前の谷汲・本揖斐廃止まで走っていて、700ともどもずんぐりとした車体は、ここ数年~10年来(?) 揖斐線が非常に注目を集める中で印象に残っている方も多いのではと思いますが、ク2320は780形登場とともに廃車になってしまいましたので、ご存じでない方の方が多いかも知れません。
ですが、ク2320は、かつて名古屋~豊橋間を高速で飛ばした2扉車が電装を解かれ、華奢な台車とともに支線でのんびりと余生を過ごす……という、まさに波瀾万丈の人生ならぬ車歴をベゴベコの車体ににじませ、ゆっさゆっさと車体が揺れるたびに釣り皮が盛大に音を奏でるという、実に趣味的に見て味わい深い電車でした (^^)。運転台が恐ろしく簡単なつくりで、確か速度計もついていないので、運転士の職人技の見せ所だった (?) のも懐かしい思い出です。