
相模大塚駅の電留線で昨日開催された相鉄5000系さよなら撮影会は、とりあえず午後3時に無事予定通り終了し、ただちに撤収作業に入っていましたが、光線状態そのものは幌付きクハ5553の扉全体に光がきれいに当たる最高の状態……。すっかり誘導テープが取り払われた中、何人かのスタッフが名残惜しそうにケータイを向けており、遠くから眺めるにつけ「うらやましい……」のひとことでしたが、まぁこれも役得というものでしょう (笑)。一般の「鉄」な来客は、まさに潮が引いたように相模大塚から去り、普段通りの静かな駅前の風景に戻りつつありました。
しかーし、午後の日だまりの中で5000系と戯れた幸せなひとときの印象が余りにも強く、にわかにこの場を去り難いというのも人情。そのうち会場の撤収作業が終了次第、5連+5連に分割された状態を本来の10連に戻す入換作業があるのではないかと勘繰りまして、入換する編成を良く見通せる場所を早めに確保のうえ、急激に日が傾いてしばれ行く中を待つこと1時間以上……。そろそろ光量が非常に心配だなぁと思った矢先、駅事務室から相次いで係員氏や運転士氏が現れ、夢のような入換が始まりました!!\(^O^)/

通常10連のちょうど中間に封じ込められているクハ5553といえば……朝のラッシュ時に5000系に当たった場合、ピーク時の激しい混雑から少しでも逃れるため、貫通状態にセッティングされた5553・5054の運転台部分のお世話になったものでした (笑)。しかし、両車の運転台は通常全く使用されないためか、いつ見てもホコリが分厚く堆積しておりまして、どう見ても既にメンテナンスの対象から外れ、機器類は本来の機能を失っているとしか思えなかったのも事実です……(滝汗)。
ところがどっこい、5553・5054の運転台は単に使われていないだけで、機能自体はきっちりと維持されていたという事実が最後の最後に明らかになるとは!! 「急行・相模大塚」を表示したままのクハ5553が、ふだん身につけている貫通幌も凛々しく、5連の先頭に立ってこちらに迫ってくる光景は……とにもかくにも5000系の歴史の最後に出現した究極の神秘としか思えません……(*^^*)。
あるいは、車体更新によって5100系が誕生した1972年当初は、恐らく4or6連でも運用されていたことでしょう (当時私はまだ幼児&相鉄未乗車につき、記憶はございません ^^;)。その頃は、今よりももっと賑わっていた厚木基地門前町・相模大塚での折り返しもそれなりにあったような……(そんな写真をどこかで見たような気が ^^;)。というわけで、いま自分の目の前で展開されていいる入換風景は、5100系の登場当時をも再現しているかのように感じられたのでした……。自宅の近所にして、むかし米タン見物のためにチャリで頻繁に通った相模大塚で、このような濃いぃシーンを眺められて本当に感激です (^O^)。
※頂いたコメントへのレスが大幅に遅れ、誠に申し訳ございません m(_ _)m