
相鉄ファンの魂を激しく揺さぶった一連の5000系さよなら劇が幕を閉じて一昼夜……めくるめく名舞台の数々が未だに脳裏を去来してやみません。余りの素晴らしい展開に、果たしてこれは夢だったのではないか……と思ったり、どうせ11000系なんて誘導障害のため (?) 走ることは出来ないのだから、また急に5000系にお呼びがかかるのではないか……と妄想したり (爆)。
そんな中、今回撮影した一連のカットを眺めていますと、改めて思い出すのは高校時代に毎日乗っていた頃の記憶……。相模大塚~さがみ野~かしわ台と走る5100系に揺られながら、同じ電車に片思いの子が乗っているのが分かっているのになかなか声をかけられなかったという、何とも苦く酸っぱいおもひでが……(滝汗)。
いやいやそんなことばかりでなく (^^;)、私が毎日相鉄で高校に通っていた頃は、相鉄の車体更新車グループに一大変革が起こった時期と重なっていたことも改めて思い出されます。釣掛+最新アルミ車体というとんでもない組み合わせが1970年代末には消えて安定期に入っていた2100系はさておき、まずは釣掛非冷房のまま細々と朝の限定運用で走っていた3010系が冷房化のため東急車輌入りし……かしわ台に戻ってきた当初は電動車の半分が釣掛、もう半分がVVVFだったのには眼が点になりました (汗)。当時はVVVFの黎明期にあたり、既に小田急サハ2662 (VVVF試験車として一時電装) でキモい階調音に衝撃を受けたばかりだけに (笑)、釣掛とVVVFの協調運転って一体どんなだ……とワクワクしたものですが (^^;)、結局協調しづらかったようで……釣掛車もVVVF化されて (結局相鉄では、釣掛冷房車は試運転段階のみの幻に) 3050として再デヴューしたものでした。その間たしか数ヶ月から約1年、かしわ台ウォッチを続けた者としてえらく待たされたものですが、いったん3050のVVVFが軌道に乗ってからの動きは早かった! 間もなく、下回りが製造後約30年を経ていた5100系もVVVF化されて5000系5050番台となった結果、相鉄車体更新車グループは全車下回り交換終了、種車の面影は消えながらも独自の濃いぃ軍団を構成して走り続けていたのを思い出します……。

で、個人的にVVVF趣味は特にないのですが、相鉄ならではの直角カルダンVVVF走行音は割と好きでして、とくに5000系は太帯車体と初期VVVFの激濃な組み合わせということで……さっそく通学時には6021・3050に次ぐ大当たり (2100の二段窓車と同レベル) に位置づけて楽しんでいたものです (笑)。
そんな5000系が下回り更新をしてからはや約20年も経ち、こうして劇的なさよならイベントとともに姿を消して行くとは……どうりで自分もトシをとるわけです (鬱)。いろいろな車種が入り乱れる中でも一定の存在感を占めていたアルミ太帯車体を、横浜駅の改札をくぐった先に見つけてトキメキを感じることももう出来ないなんて……。一日経って、こうしてブログを書きながら改めて冷静に考えてみると、失ったものの大きさに気付かされます。
そういえば、個人的な5000系最終乗車も、まさにそんな横浜駅の日常をかみしめるものとなりました。終日運用される52運行に入った月曜日、昼過ぎに一旦撮り鉄の戦列から離脱してちょいと仕事がらみの用事を済ませ、横浜駅に戻ってきたところちょうど16:31発の急行海老名行に間に合いました (^O^)。そこで、3号車=モハ5153に狙いを定め (中間車に改造された後も先頭車時代の前面窓が残るレア車両)、いつも通りに横浜駅に入線する5000系を眺め、整列乗車で乗り込んで席をゲット、そしてこれまたいつも通りの夕方の気怠い車内と黄昏の風景……そんな中、 モハ5153のモーターはことのほか素晴らしい響きを奏で、ブレーキやドアエンジンがらみの機器も渋い作動音を立てまくり……(*^^*)。しかもこの日のこの列車は、西谷前後から恐らく一部撮り鉄の危険行為のため (-_-;) 頻繁に減速→力行を繰り返したのですが (このため遅れ5分! 鶴ヶ峰では上り列車がカブり、急カーブシーン目当てに殺到していた撮り鉄の皆様はかなり撃沈……?! どうもご愁傷様でした)、乗って音を楽しんでいる分には大当たり……急勾配の連続でひときわ壮絶な起動音が響き渡り、5000系の絶響と呼ぶにふさわしいものがありました。東武5050系のさよなら運転で味わった、東武日光到着まで延々と続く釣掛のシンフォニーを髣髴とさせるような……。この日のモハ5153の走りを通じ、VVVFでもここまで音を楽しめるのか!という事実を初めて教えられました……。
ともあれ、こうして相鉄における5000系、アルミ太帯車、車体更新車の歴史は幕を閉じたわけで、それは同時に相鉄が戦後高度成長期以来の急激な輸送力増に追われた歴史が完全に過去のものとなり、純粋な新造車だけからなる相鉄の車両陣が新たな時代へと進むことを意味しています。そんな時代の変わり目を象徴する5000系は、たとえ地味な少数派であっても、相鉄にとっても個人的にも誠に偉大な電車であったと思います。改めて、相鉄5000系ありがとう、さようなら!
そして、これほど熱く感動的なイベントを相鉄ファンのために提供して下さった相鉄関係者の皆様に、この場を借りて心より御礼申し上げます m(_ _)m