現在のインドネシア大統領用車両である「ヌサンタラ」をご紹介したのに続きまして、今度はインドネシア独立史上の重要な転換点において当時のスカルノ大統領が利用した列車が保存されているシーンをご紹介しましょう。
オランダ領東インドに支配された様々な島々に住む人々は、やがて「われわれインドネシア人」という意識を抱いて独立運動に身を投じ弾圧されるという歴史が展開しましたが、そこに日本軍が連合軍包囲網の打破と石油資源確保を意図して南進のうえオランダを追い払い、将来のインドネシア独立をちらつかせて彼らを日本に協力させたのが、1942年~45年8月の日本軍政時代ということになります。蘭印が建設した鉄道は製糖工場のナローを除いてこの期間に1067mmに改軌され、今日の日本中古車一大隆盛の歴史的起源が開かれたことになりますが、その裏では膨大な数の現地労務者の犠牲があったことは忘れられるべきではないでしょう。
その日本が敗北した8月15日の僅か2日後、スカルノを首班とするインドネシア独立勢力は、チキニ駅すぐそばのスカルノ邸で独立を宣言 (チキニ~マンガライ間の高架線北東側にある公園がその場所)、再占領を目論むオランダ及び「仲介」に入った英国と、独立勢力+敗残日本兵義勇軍のあいだに熾烈な独立戦争が展開されたのでした……。その過程では、インドネシア政府は一時ジャカルタを維持できなくなり、やむを得ずジョグジャカルタへの待避を強いられましたが、その際にスカルノ大統領・ハッタ副大統領が利用した専用客車が歴史の生き証人として、当時の牽引SL (?) とともに、ジャカルタ南東郊外の巨大テーマパーク「タマン・ミニ・インドネシア・インダー (直訳すれば、美しきインドネシア縮景庭園。通称タマン・ミニ) にて静態保存されています。
というわけで、今回の滞在は約1週間少々と時間的ゆとりがあったことから、かねてから見学したいと思っていたスカルノ&ハッタ用客車をお目当てにタマン・ミニへGo! 中央線高架での朝ラッシュ撮影を終えたのち、ブカシ行のメトロ7000系に乗ってジャティヌガラへ。市場街をチンタラ歩いてトランス・ジャカルタ・koridor5の停留所に向かい、ちょこっと乗ってカンプン・ムラユBTにて目の前のkoridor7に乗換~。ひたすら南にしばらく走りカンプン・ランブータンBTへ向かいます (高速道路に入ってくれる便と下道を走る便があり、前者は所要25~30分程度。後者は渋滞にハマって1時間以上……。案内表示はなく、アナウンスを聞き取れなければ乗ってみてのお楽しみ……@o@;;)。カンプン・ランブータンBTからタマン・ミニへは地図上では目と鼻の先ですが、高速道路と一般道路がやたらと輻輳する土地柄 (ゆえに巨大BTあり) だけに、すぐに行くことは出来ず、滝のようにやって来る赤いアンコタ (乗合タクシー) の中からタマン・ミニを通る車両を選ぶ作業が面倒臭い……(まぁドラーバーに「プルギ・ク・タマン・ミニ!」と叫び、オーケーと言われれば乗り込むだけですが、とにかく方向感覚がつかめず訳わからん……^^;;)。
まぁ最初からケチケチせず、滞在先のホテルや中心街でブルーバード・タクシーを拾えば良いではないか?と言われればそれまでですが、ナゾだらけの現地バスを必死に乗りこなすのも、パズルを徐々に解いて行くような気分に浸れるというものです……(笑)。
そんなこんなでやっとタマン・ミニに到り、ほとんど人っ子一人歩いていないゴーストタウンのようなエントランス道路&園内(その理由は次回 ^^;) を歩いて、園内の目指す「交通博物館」に目出度く到着しますと、ををっありましたありました……美しい木目の壁、そしてソファーといった贅沢な内装を誇る2両のVIP車両が……。しかし残念ながら屋根で覆われ、柱もあれこれ邪魔しており、形式写真を撮ることは出来ません (まぁ仕方ないか……)。そこで、編成写真風に撮ろうと思いまして1枚目のカットを撮影したのですが、SLは博物館内を周回する線路につながるアプローチ線の超!急勾配上に安置されており、をいをい大丈夫か……と (^_^;;;;)。その隣には、大いに年代物の小型SLと、車体に「ムルデカ! (独立)」と書かれた一般客車が展示されていますが、この客車は控車や随員用車両か何かだったのでしょうか?
とまぁこんな感じで、インドネシア独立史の一端を目にしたあとは、さらに交通博物館を参観したのですが、そこにはあっと息を呑む世界が展開していました……(つづく)。
【The Presidential Car of Indonesia during Independent War】President Soekarno and Vice President Hatta proclaimed the Independence of Indonesia on 17 Aug. 1945, then Holland and UK attacked Indonesian Nationalists. Indonesian side once could not defend Jakarta, escaped to Yogyakarta in 1946. The Saloon Car that Soekarno and Hatta used on that time is now preserved in Taman Mini Indonesia Indah (TMII=The Miniture Park of Beautiful Indonesia). This park is in the southeast of Jakarta, and if you go to there, you can use bus traffic or taxi, need about 1~2 hours from Central Jakarta.