日本全体についても個人的にも、今年は本当に大波乱の一年となりましたが、早いものであと約半月少々で大晦日を迎えてしまうのですね……(@o@;)。
そこで思い出してみますと、今年は超へっぽこ模型製作の一大目標として、日本が戦前の中国大陸に残した巨大な栄華である満鉄と華中鉄道の車両を製作しよう!……と考え、実際3月上旬にまとまった時間を確保出来たことから、GM板キットを素材として「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を始めたものです。しかしその直後に東日本大震災が発生して帰宅難民化、翌日から香港&ネパール旅行に何とか出発したものの震災当日からの疲労が祟ったためか重いウイルス性気管支炎に陥りのたうち回るという散々なことに……。病状が好転し「非常時の中の日常生活」に徐々に戻ってからは、復興を祈って国鉄73系電車の製作に没頭し、さらに勢いで大糸線やら流電クモハ52やらの製作に注力した結果、満鉄&華中鉄道客車の製作は完全に放置されたままとなっておりました (滝汗)。
しかし、今年を振り返ってみますと、日本と中国の鉄道関係史という側面でも非常に重大な出来事が相次いだ一年でもあったように思われます。中でもとりわけ、共産党90周年に無理矢理合わせるかたちで北京~上海高速鉄道が開業し、時速380km/hの「国産」車両が行き交うさまは全世界に「北京コンセンサス」(人権云々よりも経済発展と超大国化こそ命!とゆー考え方) の「正しさ」を見せつけたかのようでしたが、その直後に起こった脱線事故と杜撰な処理は、結局高速鉄道が諸先進国技術の未消化な継ぎ接ぎに過ぎなかったことを白日の下にさらけ出したのみならず、同時に所詮そんな高速鉄道に象徴される「高度成長」は砂上の楼閣に過ぎなかったことを証明し、鉄道部スポークスマンの挑発的な物言いに激怒していた日本人は思いきり溜飲を下げたものです……。こういう形で日中関係がますますこじれて行くのは不幸としか言い様がありませんが、そんな中国の良い面と悪い面の両方をリアルにとらえて行くことは今後も日本にとって死活的な問題なのではなかろうか?と、ヘッポコテキトーでお気楽なブログのたわごとながらも思うのであります。
とくに中国の鉄道は、その絶大な部分において満鉄以来の日本技術に依存していながら、同時に様々な独自の展開もあり、しかも長大な長距離列車がガンガン走っているという点で日本の鉄道が失いつつある魅力(でも客はカオス。滝汗)を大いに持っているという点で、趣味的な研究のフィールドとしての面白さは揺るがないどころか、今後ますます高まって行くのではないかと思われます。しかも、鉄道趣味がようやく芽生え始めたばかりの中国と比べ、日本には万国に誇るヲタな趣味活動の分厚い歴史的伝統 (?) があるわけで、中国鉄道趣味というジャンルで日本人が果たしうる役割は非常に大きいものがあるでしょう。
というわけで、かねてからお世話になっておりますボーゲン様・はいらーある様が中心となって今秋『中国鉄道大全』が刊行されたことは、まさに歴史的な出来事であると言わなければなりません♪ そこで、そんな今年を個人的に締めくくるうえで、放置していた満鉄&華中鉄道客車の製作を前に進める必要があろう……と思いまして、久しぶりに作業再開~。とりあえず、単純に車体延長するのみで作りやすい華中鉄道客車を1両完成させました。バンザーイ! (^O^)
華中鉄道客車につきましては、とりあえずCNR化された後の姿ではなく、日本で製造されて間もない当時の美しい姿を再現し、無難な選択として日本鉄道省から供与された9600形に牽引させよう……ということでありますが、はいらーある様からコピーを頂いたRF誌連載「大陸の鉄輪」所収形式写真しか参考資料がなく (運営に携わった方々の回顧録はRP誌1980年1月号にありますが、あくまで運営面の話……)、塗装については「濃い臙脂色であった」という記述のみに基づいて近鉄マルーンを塗っております。そのうえで、超ヘタクソ自作の華中鉄道社紋デカール、ならびにGMやら革命工場やらのインレタを貼り、ハ3300形の一丁上がり~♪ さっそくKATOのキューロクと連結し、本棚の「完成ホヤホヤ車両展示場」に飾り悦に入っておりますが (1両だけですと何やら日本のどこかの炭鉱鉄道みたいですね……笑)、今後は出来ればマイクロ様あたりにCRH2やCRH380Aを発売して頂き、約70年の時空を超えた上海~南京優等列車競演などという妄想 (すげぇ日本帝国主義 ^^;) を実現させたいものです……。
【A plastic freelance model of Kachuu (HuaZhong, Central China) Railway 3rd. class car Ha3300】In the era of Japanese-Chinese war from 1937 to 1945, Japan had managed the railways around occupied Jiang-nan area, established Kachuu Railway Company. Because of shortage of locomotives and passenger cars, a lot of Japanese SL 9600 and PC SuHa32 series went to there, and a lot of new passenger cars (longer version of OHa35 series) was manufactured in Japan. This model, Ha3300 is one of them, and after the surrender of Japan, these cars was used by CNR until 1990s.