秩父鉄道は旅客も貨物も車種が豊富で、旅客列車は3~4両編成とお手軽な長さであり (SLはもうちょい長いですが)、沿線の風景も駅構内の雰囲気も絶品……ということで、模型として再現する要素に事欠かないことは誰もが認めるところでしょう。そこで近年は鉄コレを中心にいろいろと秩父モノが充実し、そのことがなおさら私のような模型初心者をのめり込ませていることは言うまでもありませんが (^^;;)、本日はいよいよマイクロの秩父デキ300とヲキの再生産が発売され (初回発売時にはまだ模型に足を突っ込んでおりませんでした。ちなみに茶色デキ200は購入するか否か微妙……。茶色時代は馴染みがないもので……)、しかも先日鉄コレで1000系ウグイスバージョン・標準色床下グレーバージョンの発売が予告されたほか、一昨日にはマイクロから3000系のクーラー違いバージョンの発売が予告されるなど、今年の秩父夜祭が終わっても模型の秩父祭りは終わらない……という感じがしますね♪ う~む、単にカモになっているだけのような……(^^;;)。
そこで今後は、7500系や超大本命100系のリリースを熱く待ち望みたいものですが、いっぽうで地味すぎる存在感の500系が出る気配はなく、800系のチョコバナナバージョンが出る気配も全くない……。秩父が趣味的に注目を集めていなかった当時の車両&カラーは最初から期待できないのでしょうか?
というわけで、是非ともチョコバナナ800系をMy秩父コレクションに加えたいと思ったら、結局のところ手を動かすしかありません。そこで、鉄コレ第9弾発売時に多めに確保していた秩父800系のストックをシンナー池に投じ、とりあえず1両にチョコバナナ色を施してみました♪
……と申しますか、第9弾発売直後に一刻も早くチョコバナナにしたかったのですが、まだ当時は模型いじりに手を染めて間もない頃で、「微妙な太さの茶色帯をどう上手く塗ったものか……GMの社紋ステッカーを貼る部分をどう上手く塗り分けたら良いやら……窓のHゴムを全部塗るのはメチャクチャ面倒臭いのではないか……」と思わず尻込み。結局最近まで約3年間お蔵入り状態となっていたのでした (滝汗)。しかし最近はそれなりに場数を踏んで経験値が上がったのも確かですので、まぁヘタクソなりに作業を進めることによって自己満足を得る方が良いのではないか……という割り切りも生まれたという次第です。
そこでクハを1両塗ってみたは良いものの……やはり最大の難関はボディ側で再現されている窓Hゴムでしょうか。何も塗らないという選択肢も勿論有り得るでしょうが、これこそが小田急1800形→秩父800系のチャームポイントである以上手を抜くわけには行かないのも事実。面相筆をひたすら動かし続ける指先が緊張でワナワナと震えつつも、何とか1両分塗り終えたときには「ふぅ……やった」という達成感がこみ上げずにはいられません。まぁ決して綺麗な塗り上がりではありませんが……。しかし改めて実車と比較してみますと、しまった!Hゴムがグレーなのは正面のみで、側面は黒Hゴムではないか……(@o@)。それでも冷静に (?) 考えてみますと、西武レモンイエローとヘタクソな黒Hゴム塗り跡の組み合わせでは粗が非常に目立ちやすいことから、むしろ側面Hゴムをグレーのままとして、粗を目立ちにくくする方が得策なのではないか?と思った次第です。Hゴム部分を黄色のままにしなければ個人的には良いわけで……。
というわけで、1両塗った時点で「タイプ」化決定! (^^;) 今後はあと3両塗る必要がありますが、果たして何時出来るのやら……。取り敢えず1000系チョコバナナと並べてみますと、まさにタイムマシンで1988年頃に戻ったかのような気分になりますね (*^^*)。もっとも、当時は「何故小豆を止めてこんなショッキングな色にするんだよぉ……しかも1000系のせいで100系や800系が廃車になってしまう」とブツブツ文句を言っていたものですが、昔は思慮の浅い10代だったなぁ~ということです、はい (汗)。
【The N-scale model of CHICHIBU Railway Series 800】This series of cars were originally made as JNR (Japan National Railways) Series 63 when Japan was in serious shortage of materials after WWⅡ, and some of the cars were distributed to other private-managed railways through the command of Ministry of Traffics in 1946. These railway were TOBU, ODAKYU (TOKYU Odawara Line → ODAKYU Electric Railway), SOTETSU (TOKYU Atsugi Line → SAGAMI Railway), MEITETSU (NAGOYA Railway), NANKAI Railway, SANYO Electric Railway, and this 20m class cars contributed greatly to ease severe shortage of transpotation at that time (The cars distributed to Meitetsu did not fit to constructions of some lines, so 2 years ago, all of them went to TOBU and ODAKYU). In Japan,this style---4 door 20m car---was born from JNR Series 63 and has been great influence to the design of train until now. But the body of JNR Series 63 had a lot of problem (cheap, week and easily cause fire accident), so all of Series 63 were reformed to Series 73, and used until 1985. The group distributed to ODAKYU were named as Series 1800, and the body were renewed in 1957~58, retired 1981. Then all of ODAKYU 1800 went to CHICHIBU Railway (two cars was scrapped to pick up equipments), named as Series 800, finally retired in 1990. The models of ODAKYU 1800 and CHICHIBU 800 were released from TomyTec about three years ago, and the color of CHICHIBU's one was the first version (raspberry and baige), so the second version (Yellow and brown) has not released. This is painted by myself..(^^;