ド順光の客レ狙いでしたが被られ (-_-;)。でも結構良い感じ。
4000形DL来たぁぁっ!……と思ったら、この直後にヤラレ雲。
日本製普通・急行用DCと、ウリナラ製特急DCの並び。
トンブリーの早朝は、ダイヤ改正でかなり面白くなりました。
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最近の国内ニュースを見ていますと、「カシオペア」や「はまなす」の廃止によって、臨時ではない客車列車の旅というジャンル (カシオペアも概ね2~3日に一度走りますので、国際標準では定期列車に入れても良いかと存じます) が事実上失われたことへの嘆き節が多々見られます。実際には大井川鐵道や、冬季限定の津軽鉄道に残ってはいるのですが……。
しかし、日本と雰囲気がそれなりに近似した1067mmまたはメーターゲージの客車列車シーンは、ちょっと飛行機に乗る手間をかければ、台湾・タイ・インドネシアあたりでお手軽に楽しむことが出来ますので、個人的にはさほどの喪失感は抱いておりません。もっとも、最近は台湾がメジャーになりすぎて、かつてのように「ほとんど知られていない宝の山をしゃぶり尽くす」感覚はなくなってしまいました。先日発売のRF誌の投書欄に2本も「台湾にはまっちゃいました」ネタが載ってしまうとは……。実際には台湾の旬はとっくに過ぎているように思うのですが。ちなみに、ベトナムは些か社会主義計画経済の名残が強いので、日本近似情緒の対象からは外れるでしょう。ミャンマーは線路がガタガタ過ぎて速く走れないのと、英領だった当時の雰囲気が未だ強すぎることから、日本的汽車旅とはやはり違います。そしてマレーシアは個人的に未訪問ですので大口叩けませんが、もう一つの旧英領として洗練された雰囲気が強すぎるように思います。
というわけで個人的にはここ3年来、ヤンゴン遠征のついでにバンコクに寄り道し、タイの鉄道シーンを楽しむことが恒例化しております (私が贔屓にしている鶴丸航空は未だヤンゴン直行便がないためでもあるのですが -o-)。
タイという国は、第二次大戦中に行きがかり上から日本による強い影響を受けたこともありますが、帝国主義の風雲渦巻く中でも一貫して独立を保っており、その鉄道も欧州や日本といった列強による関与を被りながらも、おしなべてタイ自身のイニシアチブも保ちながら建設・運営されてきたという歴史があります。しかもとりわけ戦後は、日本から大量の客車やディーゼルカーが輸入され、またはノックダウン生産されたことから、電気式DLやロングボディ&ステンレスの特急・急行冷房車を除けば、極めて濃厚な日本的雰囲気を魅せる車両が縦横無尽に活躍しています。加えて、駅舎の調度は小ぢんまりと風雅な雰囲気を保ち、乗務員と客は良くも悪しくもマイペンラ~イな気風ですので、まぁ総じて日本的センスとタイ独自のセンスが絶妙にコラボレーションしていると言えましょう。
そんなタイの鉄道につきましては、RP誌編集長氏が『客車の時代』特集巻 (2014.1) に寄稿された日本系列客車概観や、藤井伸二氏の『タイ鉄道散歩』、そして神的サイト『タイ国鉄友の会』といったところから大まかな情報を得ることが出来ますが、その路線や列車ネットワークの拡大・縮小史や、個々の車両の来歴・盛衰についてはまだまだ分からぬことだらけ。ところが、数年前に購入してはみたものの、多忙のため「さわり」の部分しか読んでいなかった柿崎一郎氏『王国の鉄道』(京都大学学術出版会) を、今回のちょこっと寄り道に先立ちようやく最初から最後まで通読してみたところ、これが実に面白い! 鉄道事業へのイニシアチブをとる有力な王族の存在、あるいはそのときどきの政治家や政治課題によって、鉄道建設に気合いが入るかと思えば放置気味にもなること、あるいは当初「こんなド田舎に鉄道なんて要らねぇ」と思われていたイーサーン (東北部) に鉄道を造ってみたら、鉄道建設による経済発展の効果が絶大だったのは実はイーサーンだったこと等々……。国家の規模がほどほどに大きく、極めて複雑な国際環境に置かれる中で、タイという国の生き残りを目指した人々が鉄道というツールをどう扱おうとしてきたのかということが、手に取るように分かります。あるいは、タイという国が適度に大国であるからこそ、ここらへんの問題をストーリーとして語りやすいという側面もあるでしょう。
そして肝心の日本製・日本ノックダウン客車 (そして既に動態保存機を除いて退役したD51タイバージョンなどのSL) につきましては、第二次大戦後のドロドロした冷戦突入という時代情勢の中、米国側についたタイが米を食糧不足の日本に輸出し、日本は鉄道車両を安く大量にタイに売ることで、日本の工業力回復・戦後復興と、反共の最前線たるタイの経済発展を同時に促すというカラクリの産物であったということで、妙に納得が行ったのでした。タイは一応大東亜共栄圏の一独立国であり (行きがかり上やむを得ずでしょうが)、日本による戦後賠償の対象というわけではなかったことから、単純な賠償としての車両供与ではなかったのですなぁ~。
以来、罐は日本/欧州、客車は欧州から日本風へと主力を変えて来たタイ国鉄ではありますが、いい加減1940~70年代製の客車が老朽化しているにもかかわらず未だに大量に現役なのは、1960年代以降のタイの交通政策が道路に偏重してしまったことの結果であり、片側数車線のハイウェイを冷房長距離バスが怒濤のように走る脇を、老朽化した列車が年々利用客を減らしながら走るという情景は、何ともやるせないものがあります。まぁ、そんなタイ国鉄だからこそ、古き良き日本情緒にも通じる鉄道旅の魅力が奇跡的に残ってきたと言えるわけですが……(なお、罐は非常に強力で、線路の状態も良好ですので、メークロン線を除けば鈍行でも軽く90~100km/hは出ます。それがまた、かつて本線を激走した日本の旧客を思い出させるのですなぁ~)。
しかしここに来て、道路偏重政策の弊害とタイ国鉄自身の疲弊は余りにも明らか (とくに鉄道は、ちゃんと客から運賃を取って稼がなければ設備更新も出来ないはずなのに、タークシン政権のポピュリズムによる鈍行3等運賃無料化政策をはじめ[国民身分証所持客に額面0バーツの切符を発行し、本来の運賃分を政府に請求]、国鉄運賃を意図的に低すぎる水準に抑えまくり……)。そこでタイ政府は、様々な国からの借款を得て、大々的に新・鉄道政策を打ちつつあります。
日本との関係で言えば、バンコク~チェンマイ新幹線計画や、間もなく開業するバンコク紫線などが挙げられますが、中国によるラオス~ラヨーン港鉄道や国鉄優等列車への大量の新型客車投入 (既にアナウンスされて久しいのですが、まだ全く姿形を現さず……謎です)、そしてイタリアによるバンコク近郊国鉄高架化や東線の体質改善などなど、諸事目白押しです。
そして今回圧倒されたのが……バンコクの新ターミナルとして、バーンスー高架新駅の建設が大々的に進みつつあり、かつての広大な貨物ヤードの敷地に、巨大なコンクリートの塊が現れていること!! これが完成するあかつきには、現在のホアラムポーン発着の列車は全てバーンスー発着となり、さらに空港鉄道もバーンスーまで延伸され、近郊を結ぶ鉄道路線網もバーンスーに結びつけられるということで、数年後には革命的な光景が現出することになります……。そうなれば、バンコクにおける鉄道アクセスは飛躍的に向上することから、国鉄長距離列車の利用客も増えることでしょう~。
それは自ずと、現在のホアラムポーン~バーンスー間が事実上廃止 (?) となることを意味するわけで、現在のバンコクの鉄道シーンを記録する時間はもう余りないのです。そこで今回は、以前一度訪れた撮影スポットを再訪し、そこそこ頻繁に (?) 現れる列車を激写したのでした。その模様を、少しずつアップして参りたいと思います……。
なお、タイの鉄道はミャンマーと同じで、目の前に向かって来る列車の邪魔をしなければ、基本的に駅でも線路脇でも撮り鉄していて文句を言われることはありません。軍政なのですが……ここらへんのマイペンラ~イぶりは流石タイ……。しかしそれは裏返して言えば、自分が線路内撮影をしていて事故が発生しても、それは完全に自己責任で、誰も構ってくれないことを意味しています。このような前提で撮り鉄活動しておりますのでご了承下さい。