地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第五ヤンゴン熱鉄記 (3) ピュンタザのSL

2017-07-25 23:40:00 | ミャンマーの鉄道


 最近はミャンマーの鉄道事情に関する発信が目覚ましく増え、いつもお世話になっております斎藤さんの雑誌記事など僅かな情報が頼りだった時代は遥か遠くに去った感があります。しかし、私がそんなミャンマーを初めて訪れたのは2013年3月の話で、ついこの間に過ぎなかったりします。その際の撮り鉄見聞をアップした当初は、鉄道省の許可なく基本的に自由自在に記録できた画期的内容ということで、アクセス数も急増して注目も集めたものですが、今やもっと詳しい方が様々な記録や考察をアップされていますので、単に撮ってはしゃいでいるだけの私のブログが注目されることは完全になくなったと言えましょう (まったり・ひっそり運営したいブログですので、だと良いのですが)。
 というわけで、去る3月に撮り貯めたまましばらく多忙もあって放置していた画像をようやくぼちぼちレタッチしアップしてみることにしましょう。過去5回 (毎年3月) のミャンマー遠征のある意味での総仕上げ・ハイライトとして実現した、斎藤様&落花生様との超豪華コラボによる、マダウ線名鉄キハ24探訪の記録です。その概要は既に斎藤さんがRM誌で発表されたばかりですので、私の連載はある意味私家版外伝のようなものでしょうか。



 事の縁起は……私がぼちぼちヤンゴン再訪計画を立て、航空券と宿を予約し、そんな話を斎藤さんにメールでお知らせしたところ、何と!斎藤さんも全く同時期にヤンゴンを訪問されることが判明! しかも昨年秋から、落花生。様が長年のインドネシア勤務からよりにもよってミャンマー勤務となられ (余りにも鉄ヲタつながりな赴任地でいらっしゃいますので、御本人が希望されたのでしょうか??)、とくに突発的な案件でもない限り土日であればお付き合い頂けることから、東南アジア鉄趣味界の大御所でおられるお二人の超黄金コラボの末席に連ねさせて頂けることになったという次第です。当初は、斎藤さんがマダウ線訪問にあたりピュンタザ機関区訪問の許可を取得され、お知り合いの鉄道省幹部の方のお取り計らいで (前日の晩の宴席で丁重にお礼申し上げました)、臨機応変に落花生。様と私が訪問者に加わることになりました。そしてエスコート役は、斎藤さんがいつも雇われているガイドC氏 (日本人鉄ヲタが望むことを100%理解される凄い御方……) で、何とも心強い道中となりそうです。

 というわけで、当日は朝7時にサクラタワーで集合し、落花生。様の自家用車に乗り込んで、いざピュンタザへGo! (ピュンタザは、C氏の発音では「ピョンデンサー」と聞こえますが、当ブログでは一応ピュンタザで通します) 高速道路をガンガンぶっ飛ばす道中では、落花生。様ご所有のJKT48のCDなどを聴きながら、東南アジアと日本との関係等々の濃いぃ話題で盛り上がり、サービスエリアでは如何にもミャンマー料理的な匂いが充満する中でモヒンガーをすすり……何とも言えない「アジア的混沌」な道中です (笑)。
 バゴーの北で高速道路から下道に入り、ヤンゴンとマンダレーを結ぶ国道1号線に入りますと、大型トラックは高速道路通行禁止であるため、やれ荷物を過積載したトラックがバンバン行き交い、ドライバー目当ての店がどこまでも連なっている風景が濛々とした土埃と排気ガスで霞んで見えます (滝汗)。これらの輸送の幾許かでも鉄道輸送に切り替えることが出来ればと思いますが、MRの貨物輸送が脆弱な現状と、経済急成長で輸送量が激増する中では、当面それも望むべくもないか……。とはいえ、臨港線の貨物列車も一頃に比べて増えているように思えるのも確かです (路面電車が僅か半年で休止→廃止となったのも、客が少ないことに加えて臨港線に入る貨物列車を優先させたためであると推測できます)。
 そんなこんなでピュンタザに到着! 機関区に向かう細いデコボコ道を進むことしばし、「あっちでもない、こっちでもない」と右往左往していると、かつてのSL用三角線らしきものが現れ、道端の屋台のおばちゃんが指し示すとおり、機関区の門がありました! そこでまずは、英領時代そのままの機関庫の片隅にある区長室でご挨拶し、機関区内一律撮影OKの許可を頂いたあとは、炎天下を厭わない激写の火蓋が切って落とされたのでした……。まずは目の前の庫内に並んでいる状態の良い保存SLを撮りまくり、タイムマシンで時空を遡ったかのような光景に驚喜の声を上げたのでありました……。