![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/a3/8983016c71c9a72e774737f4afe556c5.jpg)
先日発売の鉄道雑誌では、やけに東北・上越新幹線を扱っているところが多い……と思ったら、実は本日が東北新幹線開業30周年。情報弱者ですみません、といったところですが (^^;)、「ひかりは北へ」というスローガンとともに建設された東北新幹線が東北の様々な物事を大きく変えたことは言うまでもないことでしょう。
それは一面では、首都圏と東北の時間的距離を一気に縮め、誰もが気軽に東北へビジネス・観光で出掛けることが可能になったという絶大な利点をもたらしたわけですが、一方では上野発の長距離列車をほぼ絶滅寸前へと追いやり、新幹線開業により分離された東北線盛岡以北=IGR・青い森の収支が厳しく、そして今や七戸十和田駅の開業により十和田観光電鉄が廃止となったり……ということで、鉄道趣味的には寂しい現象をももたらしています。とくに個人的には、いつかはワイド周遊券で長距離急行・鈍行に乗りまくって東北・北海道の長旅を……という小学~中学生時代の夢が、東北新幹線開業とともに東北線の時刻表が一変していったことでガラガラと崩壊し、さらに余剰急行型車両のローカル転用で旧型客車の一大王国が大陥落してゆくさまを目の当たりにしています。
それは飯田線旧国全廃に続き、「将来の希望(=より良い進学・より良い就職によって旅の軍資金を一層ゲット!)のためには当面の学級崩壊状態でクソ過ぎる中学生活をも我慢できる……」という筋書きを根本から破壊するハルマゲドン的事態 (汗) だったといっても過言ではありません。本当に全てが真っ暗な中学時代……(鬱)。結局東北に旧客を求めて出掛けたのは、中2の夏に18きっぷの日帰りで黒磯と福島の間を消滅目前のオハフ61で1往復したのみでした……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a7/012668a4cf14ce98b55bee5a6d6cd7f4.jpg)
まぁそれでも、一度も61系客車(そして、61系客車をも含む茶色オンリーの10両編成スカスカ鈍行!)に乗ったことがないよりはマシであり、体中に湧き出るあらゆるエネルギーをオハフ61の風貌と鼓動に集中させるひとときは、ある意味で中学時代の数少ない感動的体験でありました。そしてこれを最後に、個人的趣味活動は国鉄から離れて私鉄中心となり、国鉄・JRは単に私鉄を巡礼するための移動手段となったのみならず、やがて古き良き重厚長大な汽車旅のロマンを求める心は、一旦非鉄海外バックパッカーという方向を選択させたものです……。
もっとも、旧客を廃車に追いやった50系客車や急行型車両といえども全て国鉄型車両である以上、自分自身と世代を共にするとともに私鉄巡礼の佳き足となってくれたこれらの車両にもいつの間にか情が移るのは当然の成り行きというものです。そこで私自身も、約10年ちょい前に鉄活動に復帰してからは私鉄と国鉄型車両の両方を対象として地味に巡り歩いているわけですが、一方であれほど怨嗟の対象であったはずの東北・上越新幹線も、これまた歳月のマジックにより、いつの間にかそれが存在すること自体を当然の前提としている自分を発見して驚くばかりです。
そして今や、わざとスカスカの「たにがわ」「なすの」200系自由席をチョイスし「やっぱCRH2E2系とは異なる、どっしりとした走りや頑丈な (?) 車体構造が良いのだよ!フハハハ!」などとうそぶきながら朝からビールを飲むという自堕落にも浸っているという私はすっかりオッサン……(笑)。それに0系が完全に引退した今となっては、我が日本国の科学技術の結晶たる新幹線の原初の前面スタイルを今に受け継ぐ200系の存在は、それだけでも走る鉄道文化遺産ではありませんか! さらに東北新幹線には、昨年の大震災以来、復興東北・復興日本のシンボルにして原動力でもあるという神聖な使命が加わっていることにつきましては、改めて贅言するまでもないことでしょう。
というわけで、200系の先行きは明らかに暗いことは否めませんが、まずは200系が30年間君臨し続けた東北新幹線の歴史的功績を素直に言祝ぎつつ、そんなまさに年齢も心も中二病そのものだった自分と東北新幹線との苦すぎる関係を、オッサン化した自分としては笑い飛ばしたい気分であります。こうして鉄道も自分も歳月を重ねて行くということなのですなぁ……(^^;)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます