地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秩父7000系・既存車との競演はじまる

2009-02-16 07:27:25 | 地方民鉄 (秩父)


 先週金曜日についに走り始めた秩父7002F……そこでさっそく、淘汰されることになった1000系との期間限定の競演が静かに始まりました! 既に東急8000系列ボディと国鉄型車両の競演は伊豆急でも実現しているわけですが、秩父の場合は同じ4扉ロングシート車というわけで……ンいや~この時を待っていました!(^O^) この先、7000系の投入ペースが果たして一体どうなるのか……東急がここに来て株価低迷の影響のためか、5000系の投入ペースを落としたうえで、8500系の非軽量鋼体編成を相次いで検査に入れていることなどから、もしやすると東急側の都合でスローダウンし、その分1000系が延命することになりそうですが、あるいは地方私鉄に売る分の8500系はそれなりのペースで捻出されるのでしょうか。とにもかくにも、これから少なくとも2~3年は続くと思われる過渡期の光景をしっかりと記録しなければ……と改めて思います。
 それにしても、東急8500系と国鉄101系はどちらも首都圏の激しいラッシュをこなして来た役者ながら、車齢が10数年異なると、やはりその間の技術的な変化も読み取れますね……。



 いっぽうこちらは12系客車との並び!……ということは、3月以降C58とも並ぶというわけで、8500系がSL一旦全廃とほぼ時を同じくして颯爽とデヴューした頃には全く考えられなかった組み合わせに、今からドキドキワクワクですね……(^^
 さらに、今回は撮影していませんが、元西武101系あらため6000系とも競演することになるわけで……。かつて東急と西武といえば、伊豆での鉄道敷設免許取得をめぐる死闘を繰り広げた犬猿の仲だったと言われておりますが、それも今は昔……。いまや伊豆急8000系が西武NRAの座席を流用していますし、ついにこうして双方の電車が同じ秩父線を走ることになるとは! さらに秩父には西武から4000系が乗り入れて来るわけで、数年後に副都心線を介して実現する東急←→西武の競演が、一足早く秩父で実現することになった恰好です。かの政商・五島翁&堤翁も、あの世で腰を抜かしながら和解の酒を酌み交わしているのかも知れません (^^;)。
 何はともあれ……譲渡や直通という魔法の杖で、かつて想像すらしなかった組み合わせが実現するからこそ、鉄道趣味は奥が深くてやめられない…… (笑)。

秩父7002Fついに完成・試運転開始!

2009-02-13 20:28:19 | 地方民鉄 (秩父)


 しばらく当ブログでは相鉄5000系に徹しておりましたが、その間にも刻一刻と鉄道事情は流れて行きます。とくに個人的に気になっていたのは、約2ヶ月前に甲種輸送が行われた東急8500→秩父7000系の動向でありまして、去る1月の「さよならEF55」のついでに広瀬川原を見物した際には7001Fが通電試験中だったのを確認したきりだったこともあり、1ヶ月ぶりにそろそろ広瀬川原の様子を観察せねば……という思いが強まる一方 (^^;)。そこで、来週後半以降来月上旬までの仕事面での修羅場を前に、今のうちに休養と娯楽を多めにとっておくことを兼ねまして、「空振り上等!当たって砕けろ」の覚悟で広瀬川原を目指しました。
 ただ、単にE231で熊谷との間を往復するだけでは面白くないので、往路は横浜・八高線ルートで寄居へ。とくに高麗川からDCで北上するにつれて梅の花ほころぶ山里の雰囲気が広がるのを楽しんだり、寄居では駅ホームの立ち食い蕎麦を賞味したり……なかなか小さな旅気分よのぅ、という気分に浸っていると、何と羽生行電車はスカイブルー1001Fで登場!! 「これは先月広瀬川原を訪れたときと同じだ……。この幸先の良さがあれば、恐らく最低限7000系が見やすい位置に停車しているのを拝むことが出来るのではないか?!」と期待しつつ、MT46サウンドにしばし浸っていたところ……うぉぉっ!7002Fが完成してパン上げ状態で「試運転」を表示し、多くの係員が乗車してあれこれやっている……!! 
 そこで、ひろせ野鳥の森で下車後速攻で広瀬川原へダッシュし (^^;)、踏切からの超望遠カットや側面ヴューを撮りまくり (^O^)。やがて、羽生方の運転席周辺の人口密度が高まり、検車係氏が台車を念入りにカンカン叩いて最終チェック体制に……。「これは初の本線試運転に遭遇したに違いない! v(^^)v」と直感しまして、ひろせ野鳥の森駅脇の踏切で待っていたところ……本当にやって来ました!!



 試運転列車は一旦駅で停車したあと、8500サウンドも高らかに発車……! 嗚呼!東急ファンと秩父ファンをかけもちしている身にとっては、最高に心高鳴る瞬間です!! この歴史的な一瞬に立ち会えて本当に幸せ……(*^^*)。
 この後は、待っていれば必ず戻って来ることから、広瀬川原周辺から移動しないという選択肢もありましたが、恐らく試運転列車は側線を持つ武州荒木まで行き、しばし休息及び各部のチェックを行うのだろうと予想されたことから、後続の列車で一路東へ! 行田市あたりで7002Fと交換しませんように……と念じていたところ、これ幸い! 7002Fは武州荒木であれこれ準備中の状態でした (ホッ)。そこで、まずは武州荒木側線停車シーンという貴重な光景を激写したのち、いちかばちかで撮影地まで猛ダッシュ! 運動不足の身には堪えましたが、急カーブを曲がって7002Fがいよいよ加速するシーンに見事間に合い、完璧に撮り切ることで疲れは全て吹っ飛んでしまいました (爆)。曇り空の中、たまたま射し込んだ薄日がデハ7002のマスクを照らし出し、7000系の未来を祝福しているかのようでした……。
 何はともあれ、こうして試運転を行い、第二の車生に踏み出した元8609F……。長津田から甲種輸送される段階で7002Fは運転室を中心に未完成で、ただでさえ改造非貫通マスクの印象が「??」という感じだったことから、果たして本当に完成するのだろうか……とすら思ったものですが、いざ出来上がってみますとピカピカに磨き上げられた車体やダークグレーに塗られた下回りは本当に美しく、逆にナゾの非貫通マスクすら精悍な印象に感じられつつあります (*^^*)。今日は7001Fの姿は見かけなかったのですが (恐らくクラの中)、既によろず整備を済ませ、これから7002Fともども全線でのハンドル訓練へと移行し、遅かれ早かれ目出度く営業運転を始めることでしょう! 美しく移ろいゆく秩父路の四季を車体に反射させながら、7000系がデンジャラスなモーター音を鳴らして快走するシーンがいよいよ楽しみになって来ました……。

※【2.14追記】デハ7002・7202をサイド気味に撮影したカットをアップしました。「続きを読む」からどうぞ。
※頂いたコメントへのレスはこれから順次いたします m(_ _)m




*前面・側面表示は、幕のように見えて実はLED。フルカラー?
 「Test Run」とは表示されず。(漢字オンリーであれば万々歳 ^o^)
 一眼レフで撮影しても表示が切れ切れにならないのもグッド!
*ドア開閉用ボタンを設置済み。
 室内はドアのすぐ脇に設置されているのが見えました。
*鉄道用地外、桜並木の土手から撮影しております。

相鉄5000系、改めてありがとう!

2009-02-12 21:53:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 相鉄ファンの魂を激しく揺さぶった一連の5000系さよなら劇が幕を閉じて一昼夜……めくるめく名舞台の数々が未だに脳裏を去来してやみません。余りの素晴らしい展開に、果たしてこれは夢だったのではないか……と思ったり、どうせ11000系なんて誘導障害のため (?) 走ることは出来ないのだから、また急に5000系にお呼びがかかるのではないか……と妄想したり (爆)。
 そんな中、今回撮影した一連のカットを眺めていますと、改めて思い出すのは高校時代に毎日乗っていた頃の記憶……。相模大塚~さがみ野~かしわ台と走る5100系に揺られながら、同じ電車に片思いの子が乗っているのが分かっているのになかなか声をかけられなかったという、何とも苦く酸っぱいおもひでが……(滝汗)。
 いやいやそんなことばかりでなく (^^;)、私が毎日相鉄で高校に通っていた頃は、相鉄の車体更新車グループに一大変革が起こった時期と重なっていたことも改めて思い出されます。釣掛+最新アルミ車体というとんでもない組み合わせが1970年代末には消えて安定期に入っていた2100系はさておき、まずは釣掛非冷房のまま細々と朝の限定運用で走っていた3010系が冷房化のため東急車輌入りし……かしわ台に戻ってきた当初は電動車の半分が釣掛、もう半分がVVVFだったのには眼が点になりました (汗)。当時はVVVFの黎明期にあたり、既に小田急サハ2662 (VVVF試験車として一時電装) でキモい階調音に衝撃を受けたばかりだけに (笑)、釣掛とVVVFの協調運転って一体どんなだ……とワクワクしたものですが (^^;)、結局協調しづらかったようで……釣掛車もVVVF化されて (結局相鉄では、釣掛冷房車は試運転段階のみの幻に) 3050として再デヴューしたものでした。その間たしか数ヶ月から約1年、かしわ台ウォッチを続けた者としてえらく待たされたものですが、いったん3050のVVVFが軌道に乗ってからの動きは早かった! 間もなく、下回りが製造後約30年を経ていた5100系もVVVF化されて5000系5050番台となった結果、相鉄車体更新車グループは全車下回り交換終了、種車の面影は消えながらも独自の濃いぃ軍団を構成して走り続けていたのを思い出します……。



 で、個人的にVVVF趣味は特にないのですが、相鉄ならではの直角カルダンVVVF走行音は割と好きでして、とくに5000系は太帯車体と初期VVVFの激濃な組み合わせということで……さっそく通学時には6021・3050に次ぐ大当たり (2100の二段窓車と同レベル) に位置づけて楽しんでいたものです (笑)。
 そんな5000系が下回り更新をしてからはや約20年も経ち、こうして劇的なさよならイベントとともに姿を消して行くとは……どうりで自分もトシをとるわけです (鬱)。いろいろな車種が入り乱れる中でも一定の存在感を占めていたアルミ太帯車体を、横浜駅の改札をくぐった先に見つけてトキメキを感じることももう出来ないなんて……。一日経って、こうしてブログを書きながら改めて冷静に考えてみると、失ったものの大きさに気付かされます。
 そういえば、個人的な5000系最終乗車も、まさにそんな横浜駅の日常をかみしめるものとなりました。終日運用される52運行に入った月曜日、昼過ぎに一旦撮り鉄の戦列から離脱してちょいと仕事がらみの用事を済ませ、横浜駅に戻ってきたところちょうど16:31発の急行海老名行に間に合いました (^O^)。そこで、3号車=モハ5153に狙いを定め (中間車に改造された後も先頭車時代の前面窓が残るレア車両)、いつも通りに横浜駅に入線する5000系を眺め、整列乗車で乗り込んで席をゲット、そしてこれまたいつも通りの夕方の気怠い車内と黄昏の風景……そんな中、 モハ5153のモーターはことのほか素晴らしい響きを奏で、ブレーキやドアエンジンがらみの機器も渋い作動音を立てまくり……(*^^*)。しかもこの日のこの列車は、西谷前後から恐らく一部撮り鉄の危険行為のため (-_-;) 頻繁に減速→力行を繰り返したのですが (このため遅れ5分! 鶴ヶ峰では上り列車がカブり、急カーブシーン目当てに殺到していた撮り鉄の皆様はかなり撃沈……?! どうもご愁傷様でした)、乗って音を楽しんでいる分には大当たり……急勾配の連続でひときわ壮絶な起動音が響き渡り、5000系の絶響と呼ぶにふさわしいものがありました。東武5050系のさよなら運転で味わった、東武日光到着まで延々と続く釣掛のシンフォニーを髣髴とさせるような……。この日のモハ5153の走りを通じ、VVVFでもここまで音を楽しめるのか!という事実を初めて教えられました……。

 ともあれ、こうして相鉄における5000系、アルミ太帯車、車体更新車の歴史は幕を閉じたわけで、それは同時に相鉄が戦後高度成長期以来の急激な輸送力増に追われた歴史が完全に過去のものとなり、純粋な新造車だけからなる相鉄の車両陣が新たな時代へと進むことを意味しています。そんな時代の変わり目を象徴する5000系は、たとえ地味な少数派であっても、相鉄にとっても個人的にも誠に偉大な電車であったと思います。改めて、相鉄5000系ありがとう、さようなら!
 そして、これほど熱く感動的なイベントを相鉄ファンのために提供して下さった相鉄関係者の皆様に、この場を借りて心より御礼申し上げます m(_ _)m

感謝。希望。相鉄5000系最後の力走!

2009-02-11 17:47:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 感動の相模大塚イベントに次いで、堂々の大型HM装着運行……と、相鉄ファンのあいだに感動の嵐を巻き起こしてきた5000系ですが、本日ついに、抽選当選客を対象としたさよなら特別運転を以て引退のはこびとなりました……。長年の相鉄利用者&ファンとして誠に悲しいことではありますが、人間も鉄道車両も限りある命。いつか別れは必ず訪れるというもの。そこで、相鉄沿線の中でも最も思い出深い場所でお別れをしようと思いまして、7日のイベントの記憶も覚めやらない相模大塚を訪れてみました。米タン見物のためにヒマさえあればチャリを飛ばして訪れた小中学生時代……毎日通るたびに電留線の様子を眺めた高校時代の記憶。そして先日のイベントとその後の激レアな入換を通じて、私の中の「相模大塚伝説」は新たなものになったという次第でして……。
 とくに今回選んだのは相模大塚1号踏切。いずみ野線への送り込み回送が通過するのは1時過ぎと予想されたことから、念のため (東横線8000さよなら時の異常な光景を念頭に置いて) 10時過ぎに着いたところ (早っ! ^^;)、ホーム先端も2号踏切も誰もいない状態。そこで「このどちらかでも良いかな……」と一瞬思ったのですが、恐らくこの2カ所は撮り鉄が殺到して鬱陶しい状態になるに違いない (特に、マナーがなく喧しいだけのガキとは同居したくない……) と思い直しまして、定員が限られる1号踏切をやはり選択したのでした。ここは再び手前のレア側線を使う機会が訪れるまで絶対にカブられませんし、先日5000系が形見として削ったばかりのレールをしみじみと眺めるのも意義深いというものです……。
 そこで待つこと3時間、いざ来るか……と緊張が高まった矢先、自分のすぐ後ろで突如「グゴッッ!」という衝撃音が!! 何と、如何にも大和ヤンキーな女が運転する車が踏切に進入し損ねて車の下部をぶつけ、レア側線上で停止! これは抑止?!という懸念が高まりましたが、2号踏切監視のため居合わせた駅員氏や他の撮り鉄氏の巧みな誘導で幸い脱出! その直後に5000系が登場!! 無事完璧に撮影できてホッと一安心……。この場でご一緒した方々、本当にお疲れ様でした!



 とりあえず送り込みを無事撮影した後、次はどこで撮ろうか……ということで腹案をいろいろ検討したのですが、ここはやはり1号踏切のアングルと同様、3本あるレールの中央を花道よろしく堂々と走る光景を決めたい……と思いまして、2号踏切西側の線路沿いへ移動。厚木基地へ入る米タンがスイッチバックしていた側線という思い出深い線路をアングルに加えまして、さよなら列車の到着を待ちます。天候はしばしばピーカンに転じ、これは正面と側面の明暗差がきつくなってしまうなぁと懸念したものの、幸い3時半過ぎの通過時には、薄日がマスクをやさしく照らす程度となり、なかなかドラマチックな演出となりました……(*^^*)。
 
 それにしても、今回の5000系さよならイベントでは、最後の最後まで相鉄側の惜しみないサービス精神に圧倒されました……。運用番号は、東急8000系のときを思い出される「39」、そしてラッキー7の並び!! 種別幕にはローズレッド地に「いつもの」フォントで「感謝」「希望」……!! 初代5000系から5100系、そして現5000系へと脈々と受け継がれてきた「5000」の存在に相鉄社員の皆様が感謝し、そんな「5000」を日々愛用してきた沿線のファンにも感謝するということなのでしょう。そして5000系が去っても、5000系のバトンは他の車両にしっかりと引き継がれ、超ビッグプロジェクトとしてのJR・東急直通に象徴される相鉄発展の歴史はこれからますます続く!という温故知新の想いが「希望」の2文字として表現されているのだろうと思います。沿線の一ファンとしても……1970年代デザインの車両の退場をしんみりと寂しく思いつつも、最後の輝きを魅せながらゆっくりと走り去る5000系から「これからの相鉄をますますご愛顧よろしく!」と呼びかけられている気がして……逆に励まされるかのような心地すらしたのでした……。

相鉄5000系・さよならHMの勇姿

2009-02-10 10:34:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 明日のさよなら運転を以て引退する相鉄5000系……去る8日から本日までの3日間は、堂々の大型HMを装着して運行されました。4年前にひっそりと一旦全車離脱したときには考えられなかった破格の厚遇ぶりですが、恐らく相鉄社内でもこの4年間のあいだに急速に5000系への思い入れが深まったためなのでしょう……。何しろ、元をたどれば東急5000系と同じく画期的な超軽量高性能車として登場した車両ですし、たとえ車体やほとんどの機器は入れ替わったとしても、マスコンなど一部の制御機器は半世紀以上現役とか! そして、7000系と似ているようで実は結構違いも多い車体デザインといい、復活以来の奇跡の延命の歴史といい……いろいろなことが重なった結果、地元の利用者&ファンに最後の勇姿を眼に焼き付けてもらおうということになったのだと予想しています。
 一昨年末からの東急8000系のときもそうでしたが、相鉄にどっぷりと馴染んでお世話になっている者としましては、ふだんイベントは苦手だと言いながらも、これほど素晴らしい企画をされては撮らないわけには行かないわけで……。



 そこでまずは初日(8日)、ある程度の混雑を予想して沿線へ。しかし……「何でこれほど混んでいるのか。新6000系の時と比べものにならない。こんな喧噪、最高に地味でマイナーで濃いぃ車種だったはずの5000系には似合わない……」と思い、昼過ぎで退散しました (-_-;)。ピーカン過ぎて場所選びも至難でしたし……。
 とは言え、5000系への思い入れは他の沿線相鉄ファンの皆様と同じく強い私。そこで完全に白旗を上げるわけには参りません (^^;)。昨日は午後からちょいと都内で仕事で、午前中は偶然空いていたことと、絶好の曇りでアングル選び放題の好機が重なったことから、「なるべく人が多そうな場所は避けつつ、かつお気に入りのアングルで完璧に決めよう!」と思いまして、勇躍沿線に繰り出してみました。
 その結果は……まさに天が味方してくれたとしか言いようのないカットの量産! (^O^)。JRと別れを告げ、本格的に相鉄の小さな旅が始まる関門としての天王町。そしてトンネルとカーブが多いいずみ野線を象徴する南万騎が原……。どちらも曇っていなければキレイに決まらないカットです (^^)。また、どちらも数分~10分前の到着で余裕の撮影となったのは、さすが平日の相鉄線……といったところでしょうか。
 なお、横浜方に掲げられた「ありがとう」HM姿につきましては改めて……。