地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

相鉄新7000系・ニセ厚木放置の旧色中間車

2014-12-24 00:03:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 今年も残すところあと約1週間。毎年そうだと言えばそれまでですが、今年も鉄道に関していろいろありました。とりわけ個人的に馴染みが深いところに関して申しますと、相鉄に特急が登場し、いっぽう赤を基調とした旧色が見納めとなったということで、今年はまさに相鉄の歴史における一大画期であったと言えましょう。そう言えばマニアックな面についても、モニ2000が鉄コレ化されるという衝撃的 (に嬉しい) 展開もありましたし……。
 しかし一方、そんな潮流から忘れ去られたかの如く、新7000系旧色車を未だにニセ厚木にて目にすることができます。すなわち、7715Fの8連化によって余剰となって久しいモハ7156・7157の2両です……。



 この2両、運用を離脱したのは早いもので約3年半前ですが、この位置に移動してきたのは去年か今年に入ってのことであったと記憶しております。しかし、曇りの日にニセ厚木で途中下車する機会がなかなかなく、去る日曜日に本厚木で所用があったついでにようやく撮影する機会を得ました。クーラーをもがれてベニヤ板か何かで覆った状態は、明らかに部品取り車となって再起しないことを意味しているわけで、デポックにて最近まで放置されていたメトロ中間車を思い出す光景に (何故いきなりインドネシアに話が飛ぶのか……汗) 痛ましさを感じるのも確かです。しかしまぁ、昭和を去ること早いもので四半世紀超、抵抗制御車そのものが昭和の遺物として次々に消えているだけに、これもまた仕方がないのでしょう。とりあえず、7000系の余剰車3両と連結された状態で放置されているという珍景が、出来るだけ永く見られることを祈るばかりです。とりわけ最も横浜方に連結されているのは、モハ7000形 (横浜方の制御電動車) 最後の原型車であるモハ7006ですし……。



第六ジャカルタ炎鉄録 (6) さよなら純正クハ8039!

2014-12-22 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 東急本家では7910Fに続き7601Fと、ギンギラコルゲート一色のクラシックスタイルがもてはやされている昨今ですが、そんな潮流の元祖として忘れるわけには行かないのが8039Fであることは周知の通りでしょう。そんな8039Fもジャカルタに渡って以来既に長い時間が経ち、満載する客を載せきれずドアを開け放ち、屋根上にも人を乗せた状態で活躍……と申しますか激しい酷使に耐えて奮闘してきたわけですが、最近は屋根上乗車厳禁・全車冷房化・増発という流れの中で、さすがにひと頃ほど疲弊した感じではなくなっていました。
 しかしそもそも、8039Fは東横線時代に調子が悪く廃車第一候補であったはずが、奇跡の全検で復活しただけに、秘かに爆弾を抱えていたのでしょうか……いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログにて、不調のクハ8039に代えてクハ8007を8039に改番し、新8039F (とゆーか、偽8039F) とした旨の最新ニュースを目にして、嗚呼……ついにこういう事態となったか!と嘆息したのでした。



 そもそもKCJでは、不調になったメトロ6000系中間車を別の編成の中間車と差し替えて改番し、さらに差し替えられた中間車も修理・改番のうえ別編成に挿入という荒技をやってのけた前例がありますので、それと同じ手法が東急車にも適用されたと言えます。それでも、やはり8007・8039Fは東急ファンのはしくれにとって「神編成」であるわけで、その神聖不可侵性が崩れたことに、これもまた老朽化の結果でありやむを得ないと思いつつも悲しみを禁じ得ません……。
 今後、果たして8039が修理の上8007と改番され、他の8007F計7両と組成のうえ新8007Fが出来上がるのか、それともこぞって部品取りとなってしまうのか……。上述のメトロ中間車差し替え事件の際は、KCJが車両運用面で綱渡りを強いられており、苦肉の策としてひとまず動く車両を急いで組み合わせたということなのでしょう。しかし今や、約1年前は全くなかった205系が氾濫し、車両不足も解消されて増発 (タンゲラン・ブカシ・スルポン線で各1運用増。計30本以上増発) が実現する御時世ですので、このまま不調な東急車は続々と部品取りに回されてチカウム山脈を構成することになってしまうのでしょう……。
 というわけで、この8月に撮影したクハ8039の画像を漁って惜別記事をアップしようとしたものの、あらら……偶々当たったのは8040側ばかりで (しかも方向転換しばしば)、8039を撮ったのは1カットのみ……。したがって、2枚目は昨年撮影のものです。悪しからず……。
 ともあれクハ8039は、栄光の銀色リバイバルの主役となったのみならず、ジャカルタでも一時最も美しい青濃淡帯を巻き、東急8000系列の中でも21世紀に入ってから最もファンを熱くさせた車両の一つであったと思います。どうもお疲れ様でした……さようなら! (でも機器交換でも何でも良いので復活希望!!)


祝!JRE山田線を三陸鉄道に移管

2014-12-20 23:55:00 | 地方民鉄 (東北)


 震災以来不通が続き、周辺の路線と比べて痛ましい状態が続いていたJR山田線。その現実的な復旧策として、JREが再建費用を負担したのち三陸鉄道に移管するという計画がかねてから取り沙汰され、交渉が大詰め云々という話が今年に入って度々伝わっておりましたが、一昨日NHKなど複数の有力メディアが伝えたことで、ほぼ本決まりと信じて良さそうな状況となりました。震災から間もない2011年7月に現地を訪れた私としましても、代替バスを兼ねた岩手県北バスの混雑が激しく、たしかに鉄道が全く不要なわけではない沿線環境があることを目睹しておりましたので、これは実に良い話だと思いますし、とりわけ釜石から久慈まで三陸鉄道一本で安心・快適に旅行できるということで、ヨソ者へのアピール力は非常に大きいと思うにつけ、本当に楽しみなことです。



 それにしても三陸鉄道といえば、ここに来て強烈な話題が海の彼方のミャンマーから転がり込み、にわかにマニアックなコーフンを禁じ得ないところです。既にいろいろ伝えられ始めている通り、ヤンゴンの道路渋滞の中で幾許でもスピーディーな交通手段を提供するという目的で、てっきり廃線と思っていた区間を含めヤンゴン臨港線の旅客列車運行が始まっているわけですが、そこで用いられているのはロングシート化改造された赤い三陸36形! 人口密度が低く風光明媚な三陸海岸を走っていた車両が、ここにきて大英帝国の権威を見せつける石造建築群を眺めながら走ることになったとは、何とも奇妙奇っ怪この上ない話ですが、このような全く想定外な展開が待ち構えていることこそ、車両譲渡(とくに海外譲渡)のマニアックな面白みなのかも知れません。
 とりあえず次回ヤンゴン訪問は早くても来年3月以降ですので、いてもたってもいられずコラ画像をつくってみた次第ですが、どうもヤッツケ感が否めません (汗)。そもそもDCも赤い三陸を撮ったことがありませんので、白い三陸ということでスミマセン……。もっとも、今後中長期的にみて三陸36型の廃車が進み、白い三陸がミャンマーに追加譲渡され、ヤンゴン臨港線にも投入される可能性は高いでしょう。

東京駅100周年記念・在りし日の富士はやぶさ

2014-12-20 00:01:00 | 国鉄型車両


 本日は、東京駅が開業して100周年となる偉大なる節目ということで、誠に御同慶の限りです。駅舎の復元工事ならびにエキナカ商業施設の大拡充、さらには丸ノ内界隈の再開発進展など、日々装いも新たに変わりゆく中、あらゆる方向からの列車が集結し乗換の利便性が格段に増して日夜人の波が絶えず、それでも動線が配慮されているため決して人の流れが詰まることがない……というのは、まさに本邦のある一面を究極的に凝縮した空間であることの証なのでしょう。



 そんな東京駅の開業100周年を祝う一環として、昨日は東京~伊東間でなんちゃって「富士」が運転されたとのことですが、「24系客車に乗っているのに伊東でハイおしまい」というのは何だかなぁ~ですし、何と言ってもヲタが群集しすぎて雰囲気も何もあったものではありません。やっぱりこういうのは、ごく当たり前のように毎日運転されている頃に、半分の平常心と半分のドキワク感で乗ったり撮ったりを楽しみ尽くす……というのが一番だと思うものであります。という私は「富士はや」は乗ったことがなく、「はやぶさ」のシンデラに2~3度乗っただけですが……(^^;)。
 というわけで、早いもので8年前の撮影となってしまったカットを引っ張り出して、既にアップしたかも知れないものの、改めてレタッチを加えたものをここに載せることで、ささやかながらの記念としたく存じます。いやはや、何気なくデジカメを手提げカバンに偲ばせて、スーツ姿のまま (笑) 藤沢なり新子安なりを訪れても、先客が特にいるわけでもなく、「富士はや」のみならず113系も撮り放題だったとは……そんな時代もあったのですなぁ……(遠い目)。


神奈中三ヶ木の古参車 (下) 最後の二段窓T-11

2014-12-19 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 先月、山登りのために橋本駅から三ヶ木までやって来たところ、出番待ちの元スヌーピー青バス「つ060」が停車しており、月夜野行がやって来るまでの待ち時間の過ごし方としてはこの上もないフィーバーとなったものですが、その後で姿を現す月夜野行の津久井神奈交所属エアロミディが果たしてどれでやって来るのか……ドキドキワクワクしながら待っておりました。すると、東野から客を載せて入って来たエアロミディは、ななな何と!二段窓のT-11号車!! 以前、津久井神奈交の世代交代を予想して津久井エリア大周遊をしたときには、二段窓エアロミディは他にT-13・T-15と、少なくとも3台あったように記憶しておりまして、他にも二段窓の7Eやキュービックが最後の活躍をしていたものですが、そこはさすが神奈中、その後あっという間に二段窓は淘汰されてしまった……と思っておりました。それだけに、突然の二段窓車登場に、山登りで急坂に喘ぐ前から心臓バクバクです (笑)。



 なお、これに乗った日は、紅葉がまだ標高次第では見頃でしたので、三ヶ木発車時点では立ち客も出るほどの登山客で盛況でしたが、私はこの月夜野行に連絡する便の1本前で着いており、しかも三ヶ木では一番乗りで下車しておりましたので、余裕でヲタシートゲット♪ まぁ二段窓からの車窓を楽しもうと思ったら、後ろの方に乗る方が良いわけですが……それはまぁさておき、恐らく神奈中現役最古参となったであろうT-11のフロントガラスから目指す山を眺めるというのは最高の気分でした♪ そして実際、この日の登山は好天に恵まれて気分爽快♪ T-11は私にとって、津久井における幸運の女神のような存在となりました (笑)。
 それにしても、このT-11は神奈中最後の二段窓車にして、1990年代に製造された車両。私が先月乗った際にはさすがピカピカに整備されていましたが、何時突然離脱するか分かりません。あるいはついつい「2000年代に入ってからのエアロスターが続々と廃車になっているのに、この1台だけ二段窓車が残っているということは、とにもかくにも不思議だ……。まさか動態保存なんてことはあるまいな」と妄想してしまうのですが、まぁ車検が切れ次第ということなのでしょう。というわけで一応、撮りたい方・乗りたい方はお早めに……と記しておきます。もっとも、三ヶ木~月夜野と、藤野駅発着路線のどちらに入っているのかは、当日訪れて初めて分かるギャンブルですが (汗)。