地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第四ヤンゴン熱鉄記 (2) 電脳大学のキハ11

2016-03-26 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 先日のヤンゴン訪問にあたり、意外性という点でキョーレツなネタといえば、やはりこれですね……JRCキハ11のコンピュータ大学運用!! そういえば明日は、JRCとミャンマー国鉄が譲渡契約を交わして1周年のようですし。
 キハ11は、同じJRCのキハ47/48ともども、昨年秋のデビュー以来300ksの冷房車として運用されているのですが (2016年3月中旬現在5連2運用)、今年に入ってキハ47/48がエアコン使用を止めて200ks特別車になってしまったように、ミャンマー国鉄としては別にエアコン使用にこだわっているわけではないようにも思われます。
 そんな中、2連2本あるコンピュータ大学運用のうち1本は、最近JRHキハ48 300番台と松浦RBE2543との併結となって話題を誘っていましたが、私もこれを撮りたいと思い、心地よい夕風が吹き始めた線路脇で粘っていたところ……遠くから見えた顔がキハ40系列顔ではなくキハ11の小田急9000顔で超!腰を抜かしまくり!! そしていざ迫って来たRBE3010=キハ11 111は、運賃を示すステッカーの部分に100ksと上書きされ、窓や側扉は開け放たれ……ということで、300ks冷房車として運用されている車両とは全く対照的な使われ方をされていました (滝汗)。



 恐らく、RBE2543の相手にキハ11が起用されたのは、以下のような理由によるのでしょう……。

*いくら日本財団の援助でエンジンを換装したばかりとは言え、所詮は軽快気動車に過ぎない2543にとって、トレーラーとして牽引するにはJRHキハ48は重すぎる。
*そこで、出来れば相手は軽快DCを選びたいものの、期待の井原ステンレスカーは未だ竣工せず。他の軽快DCは別路線で引っ張りだこ。
*そうだ、インセインが目出度く多数抱えることになったキハ11のうち、クーラーが不調気味な車両を2543の相手にしてしまおう。

……ともあれ日本では、飛ぶ鳥を落とす天下のJRC様と松浦の車両が連結するなどということは、天地が避けてもあり得ない話ですが、そんな驚天動地の展開が呆気なく展開するのもヤンゴンらしいと言えましょう♪ もっとも、同じ新潟製として、あり得なくはないのですよね……。
 しかしまぁ……同じ車両でも冷房の有る無しで100ksと300ksではエラい違いです……(コンピュータ大学RBEは、通学用ということもあって200ks特別車にはならないという事情もあるのでしょうが)。

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 ここからは話題がガラリと変わりまして、先日のインドネシアの宴でも話題になった重要タレコミ情報を少々……。ここ3~4年来のミャンマーの開国に伴い、ミャンマーを訪れる鉄ヲタの数も増えつつあり、少なくない方が旅行会社を通して鉄道工場・車庫を訪問されているようですが、今年に入ってから余程の例外でない限り一律に訪問許可は出なくなったようです (理由の開示も当然ありません)。この点はまぁ、インドネシアでもある時点から一部の例外を除き全く許可が出なくなったことと同じかも知れませんが、個人的に理由を類推してみますと……。

*来訪希望の日本人ヲタが増えすぎて、とりわけ車庫・工場の接待担当者の業務に支障を生じるようになった。
*ミャンマー新政権発足に先立ち、多すぎる省庁の再編計画立案が進められており、鉄道省は運輸通信省に吸収合併。そこで、組織替えのてんやわんやが始まる中で、日緬鉄道協力の実務・技術者でも何でもない日本人ヲタの相手なんてするヒマない。
*ヤンゴンではインセインの広大な空き地に新RBE整備工場&車庫の建設が進みつつあり、ミンゲだかピィンマナあたりには中国中車との合弁による客車工場の建設が進められているといわれるなど、現業部門も激しい変化の時代に入った中、日本人ヲタの物見遊山には付き合うヒマなんてない。

……とまぁ、こんなところではないでしょうか。実際思い出してもみれば、ジャカルタで日本人の車庫・工場来訪に許可証がほぼ出なくなったのと前後して、KAIのジャボタベック事業部が子会社化されてKCJが発足し、以来怒濤の勢いで冷房車激増・非冷房車淘汰などの激しい変化がありましたし……。一見すると、英領時代から時間が止まったかのような空間を日本の中古がノタノタ走るのが魅力的なミャンマーも、実は凄まじい変化の時代に入ったということなのです。そして現在の勢いからみれば、来年の今頃ヤンゴンは「ディーゼルカーのジャカルタ」状態になるはずです (列車本数は「パズンダウンの関所」がある関係で、ジャカルタほど多く出来ないのでしょうけど ^^;)。一介のヲタとしてはとりあえず、そんな激しいドラマを駅や線路脇で撮っても文句を言われなくなった現状に満足するべきなのでしょう。

第七ジャカルタ炎鉄録 (21) メトロ5000系67F

2016-03-24 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨日は、いつもお世話になっております『JABODETABEK COMMUTERS NEWS』の管理人・パクアン急行様の一時ご帰国を歓迎する宴が、横浜関内駅最寄りの鉄ヲタ居酒屋にて盛大に開催されまして、私もミャンマーとタイの土産話を携えて馳せ参じ、めくるめく日本とアジアの鉄事情の変化をめぐる激しく熱いトークに身を委ねたのでした。遺憾ながら、先週のハードな活動の疲れが今さら出たためか、あるいはちっとも飛散が終わらないスギ花粉の猛威にやられてしまったためか、体調こそ本調子ではなかったのですが、参集された皆様による諸々の爆裂トークにより、さらなる探究心をかき立てられたことは言うまでもありません。というわけで、パクアン急行様、企画に当たられたkucing様及び「よ134/ブルドッグ移送チーム」様、そして盛り上げ役に徹して下さった「大阪の鉄チャン大はしゃぎ」様をはじめ、ご参会の皆様には心より御礼申し上げます!



 というわけで、早くも7ヶ月前の話となってしまったジャカルタ遠征ネタの続きとして、メトロ5000系67Fの画像をアップしておきましょう。既報の通り、現在のところKAI所属青黄帯編成に対し、ここに来て急速にKCJ赤黄帯化が推進されているところですが (依然として所属はKAIであるため、KCJステッカーは貼られないようです)、メトロ5000系についても既に59Fが赤黄帯化され、この67Fの青黄帯も最早風前の灯火かと思われます (66F「Djoko Vision」は、致命的な故障により離脱して久しいです……)。そこで、今改めて緑黄帯時代、そしてそこそこ長く続いた (?) 青黄帯時代の雄姿を振り返りつつ、改めての遠征において赤黄帯姿を激写したいという願望を温めつつあるのですが、懸念材料は……パクアン急行様やKucing様から伺うにつけ、ここに来てKAI所属車は積年の酷使がたたって、故障頻出で予備車気味であるということ……(-_-;)。まぁそもそも、日本で引退した時点でもそれなりに経年が進み、とりわけメトロ5000の場合大部分の車両が廃車・解体となってしまったことから、ジャカルタに移った僅かな編成がここまで走り続けたこと自体が大いなる拍手に値するのですが、そこは何とか、私が再訪するまで赤黄帯で粘っていてくれ!!と思うものです。これまでの訪問において、メトロ5000系は呼ばずとも必ずやって来るほどタフな車両だっただけに……。

タイ国鉄激変前? (1) 総論・並びシーン

2016-03-22 12:00:00 | タイの鉄道


 ド順光の客レ狙いでしたが被られ (-_-;)。でも結構良い感じ。



 4000形DL来たぁぁっ!……と思ったら、この直後にヤラレ雲。



 日本製普通・急行用DCと、ウリナラ製特急DCの並び。



 トンブリーの早朝は、ダイヤ改正でかなり面白くなりました。

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 最近の国内ニュースを見ていますと、「カシオペア」や「はまなす」の廃止によって、臨時ではない客車列車の旅というジャンル (カシオペアも概ね2~3日に一度走りますので、国際標準では定期列車に入れても良いかと存じます) が事実上失われたことへの嘆き節が多々見られます。実際には大井川鐵道や、冬季限定の津軽鉄道に残ってはいるのですが……。
 しかし、日本と雰囲気がそれなりに近似した1067mmまたはメーターゲージの客車列車シーンは、ちょっと飛行機に乗る手間をかければ、台湾・タイ・インドネシアあたりでお手軽に楽しむことが出来ますので、個人的にはさほどの喪失感は抱いておりません。もっとも、最近は台湾がメジャーになりすぎて、かつてのように「ほとんど知られていない宝の山をしゃぶり尽くす」感覚はなくなってしまいました。先日発売のRF誌の投書欄に2本も「台湾にはまっちゃいました」ネタが載ってしまうとは……。実際には台湾の旬はとっくに過ぎているように思うのですが。ちなみに、ベトナムは些か社会主義計画経済の名残が強いので、日本近似情緒の対象からは外れるでしょう。ミャンマーは線路がガタガタ過ぎて速く走れないのと、英領だった当時の雰囲気が未だ強すぎることから、日本的汽車旅とはやはり違います。そしてマレーシアは個人的に未訪問ですので大口叩けませんが、もう一つの旧英領として洗練された雰囲気が強すぎるように思います。
 というわけで個人的にはここ3年来、ヤンゴン遠征のついでにバンコクに寄り道し、タイの鉄道シーンを楽しむことが恒例化しております (私が贔屓にしている鶴丸航空は未だヤンゴン直行便がないためでもあるのですが -o-)。
 
 タイという国は、第二次大戦中に行きがかり上から日本による強い影響を受けたこともありますが、帝国主義の風雲渦巻く中でも一貫して独立を保っており、その鉄道も欧州や日本といった列強による関与を被りながらも、おしなべてタイ自身のイニシアチブも保ちながら建設・運営されてきたという歴史があります。しかもとりわけ戦後は、日本から大量の客車やディーゼルカーが輸入され、またはノックダウン生産されたことから、電気式DLやロングボディ&ステンレスの特急・急行冷房車を除けば、極めて濃厚な日本的雰囲気を魅せる車両が縦横無尽に活躍しています。加えて、駅舎の調度は小ぢんまりと風雅な雰囲気を保ち、乗務員と客は良くも悪しくもマイペンラ~イな気風ですので、まぁ総じて日本的センスとタイ独自のセンスが絶妙にコラボレーションしていると言えましょう。
 そんなタイの鉄道につきましては、RP誌編集長氏が『客車の時代』特集巻 (2014.1) に寄稿された日本系列客車概観や、藤井伸二氏の『タイ鉄道散歩』、そして神的サイト『タイ国鉄友の会』といったところから大まかな情報を得ることが出来ますが、その路線や列車ネットワークの拡大・縮小史や、個々の車両の来歴・盛衰についてはまだまだ分からぬことだらけ。ところが、数年前に購入してはみたものの、多忙のため「さわり」の部分しか読んでいなかった柿崎一郎氏『王国の鉄道』(京都大学学術出版会) を、今回のちょこっと寄り道に先立ちようやく最初から最後まで通読してみたところ、これが実に面白い! 鉄道事業へのイニシアチブをとる有力な王族の存在、あるいはそのときどきの政治家や政治課題によって、鉄道建設に気合いが入るかと思えば放置気味にもなること、あるいは当初「こんなド田舎に鉄道なんて要らねぇ」と思われていたイーサーン (東北部) に鉄道を造ってみたら、鉄道建設による経済発展の効果が絶大だったのは実はイーサーンだったこと等々……。国家の規模がほどほどに大きく、極めて複雑な国際環境に置かれる中で、タイという国の生き残りを目指した人々が鉄道というツールをどう扱おうとしてきたのかということが、手に取るように分かります。あるいは、タイという国が適度に大国であるからこそ、ここらへんの問題をストーリーとして語りやすいという側面もあるでしょう。

 そして肝心の日本製・日本ノックダウン客車 (そして既に動態保存機を除いて退役したD51タイバージョンなどのSL) につきましては、第二次大戦後のドロドロした冷戦突入という時代情勢の中、米国側についたタイが米を食糧不足の日本に輸出し、日本は鉄道車両を安く大量にタイに売ることで、日本の工業力回復・戦後復興と、反共の最前線たるタイの経済発展を同時に促すというカラクリの産物であったということで、妙に納得が行ったのでした。タイは一応大東亜共栄圏の一独立国であり (行きがかり上やむを得ずでしょうが)、日本による戦後賠償の対象というわけではなかったことから、単純な賠償としての車両供与ではなかったのですなぁ~。
 以来、罐は日本/欧州、客車は欧州から日本風へと主力を変えて来たタイ国鉄ではありますが、いい加減1940~70年代製の客車が老朽化しているにもかかわらず未だに大量に現役なのは、1960年代以降のタイの交通政策が道路に偏重してしまったことの結果であり、片側数車線のハイウェイを冷房長距離バスが怒濤のように走る脇を、老朽化した列車が年々利用客を減らしながら走るという情景は、何ともやるせないものがあります。まぁ、そんなタイ国鉄だからこそ、古き良き日本情緒にも通じる鉄道旅の魅力が奇跡的に残ってきたと言えるわけですが……(なお、罐は非常に強力で、線路の状態も良好ですので、メークロン線を除けば鈍行でも軽く90~100km/hは出ます。それがまた、かつて本線を激走した日本の旧客を思い出させるのですなぁ~)。

 しかしここに来て、道路偏重政策の弊害とタイ国鉄自身の疲弊は余りにも明らか (とくに鉄道は、ちゃんと客から運賃を取って稼がなければ設備更新も出来ないはずなのに、タークシン政権のポピュリズムによる鈍行3等運賃無料化政策をはじめ[国民身分証所持客に額面0バーツの切符を発行し、本来の運賃分を政府に請求]、国鉄運賃を意図的に低すぎる水準に抑えまくり……)。そこでタイ政府は、様々な国からの借款を得て、大々的に新・鉄道政策を打ちつつあります。
 日本との関係で言えば、バンコク~チェンマイ新幹線計画や、間もなく開業するバンコク紫線などが挙げられますが、中国によるラオス~ラヨーン港鉄道や国鉄優等列車への大量の新型客車投入 (既にアナウンスされて久しいのですが、まだ全く姿形を現さず……謎です)、そしてイタリアによるバンコク近郊国鉄高架化や東線の体質改善などなど、諸事目白押しです。
 そして今回圧倒されたのが……バンコクの新ターミナルとして、バーンスー高架新駅の建設が大々的に進みつつあり、かつての広大な貨物ヤードの敷地に、巨大なコンクリートの塊が現れていること!! これが完成するあかつきには、現在のホアラムポーン発着の列車は全てバーンスー発着となり、さらに空港鉄道もバーンスーまで延伸され、近郊を結ぶ鉄道路線網もバーンスーに結びつけられるということで、数年後には革命的な光景が現出することになります……。そうなれば、バンコクにおける鉄道アクセスは飛躍的に向上することから、国鉄長距離列車の利用客も増えることでしょう~。
 それは自ずと、現在のホアラムポーン~バーンスー間が事実上廃止 (?) となることを意味するわけで、現在のバンコクの鉄道シーンを記録する時間はもう余りないのです。そこで今回は、以前一度訪れた撮影スポットを再訪し、そこそこ頻繁に (?) 現れる列車を激写したのでした。その模様を、少しずつアップして参りたいと思います……。

 なお、タイの鉄道はミャンマーと同じで、目の前に向かって来る列車の邪魔をしなければ、基本的に駅でも線路脇でも撮り鉄していて文句を言われることはありません。軍政なのですが……ここらへんのマイペンラ~イぶりは流石タイ……。しかしそれは裏返して言えば、自分が線路内撮影をしていて事故が発生しても、それは完全に自己責任で、誰も構ってくれないことを意味しています。このような前提で撮り鉄活動しておりますのでご了承下さい。

第四ヤンゴン熱鉄記 (1) 総論・顔ぶれ激変

2016-03-21 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 高山線岐阜口?!と思いきや、ここはヤンゴン環状線。



 仙台色のキハ40/48は、非冷房車最高の「当たり」車両に。



 キハ11の多くは冷房車として運用されています。



 エンジンを外してRBT化された編成も魅力です♪

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 東南アジアと南アジアを結ぶハブにあたるミャンマーは、ここ数年来の思い切った開国に次ぎ、昨年の競争的な選挙の成功による平和的な政権移行が実現しつつあることから世界的な注目を集め、ヤンゴンをはじめ各地で急速な経済発展の動きが始まっているところです。そのような中、とりわけ長年何のかの言って深い関係にあった日本による影響は大きく、ミャンマー国鉄近代化事業の進展に伴う日緬協力の実情が各種報道で伝えられています。
 その最たるものは、マンダレー本線やヤンゴン環状線の軌道改良進展であり、線路の歪みを修整して道床を厚くした区間は乗り心地がかなり改善されつつあり、当面その成果を最大限享受しているのは、中国中車製の空気バネ新型客車ではありますが、日本勢もJRC・JREのキハ40系列とJRCのキハ11がヤンゴン環状線に投入され、広島電鉄の電車も「電化お試しパック」として臨港線標準軌区間をちまちまと走り始めています。さらに、故障した日本中古RBEがRBT化されたり、はたまたヤンゴン地区では一旦全車離脱したRBT800が復活したり、そしてキハ181の運用が一旦消滅したり……約1年前と比べれば浦島太郎の如き激変がありました。
 そんな、昨年春以降日々伝わって来る話題の数々に、それこそ垂涎の思いを禁じ得なかったことから、このたび約1年ぶりにヤンゴンを再訪しまして、全く印象が変わった (?) ヤンゴンの鉄事情を駆け足で乗って撮って参りました。もっとも、最新情報の数々は既に他の多くの方によって日々明らかにされていますので、当ブログで扱うのはもっぱら、「あんな車両やこんな車両を撮ってはしゃいだ備忘録」にとどまることをご了承下さい (笑)。
 なお、過去3回の訪問時と同様に、撮影許可証の類いは一切取得せず、線路用地内にも入りまくっておりますが、厳密には旅行会社を通じて撮影許可を申請し、ガイドも付けた方が良いことを申し添えます。とりわけ車庫&工場訪問は許可&ガイド必須ですし、長大な鉄橋等の撮影は軍事的な要因からして控えるのがお約束かと存じます。また、暑季のヤンゴンは軽~く気温40度に達する酷暑の地ですので、その方面の対策も怠りなきよう。
 なお、体調管理の点につきましては、一部のコンビニにおいて「神の水」ポカリスエットを見かけるようになりました。もっとも、恐らくシンガポールかマレーシアからの輸入品で高いですので、日本から粉を持参して現地で溶かすのがベストでしょう。いっぽう、列車にもラッピングされているレッドブルはどうなのか……試したことがないので分かりません (笑)。