小金沢ライブラリー

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オカルト三国志  赤いカラス

2019年09月22日 | オカルト三国志
「孫権伝」に曰く。
238年、麒麟が現れたという報告があり、天下泰平の象徴とされるため元号を改めるべきだという議論がなされた。
皇帝の孫権は「先日、私は宮殿の庭で赤いカラスを見た。不思議な動物が吉兆ならこれも同じであり、赤烏(せきう)という元号にすべきだろう」と言った。
群臣は「周の建国時にも赤いカラスが現れたという吉兆があります。麒麟よりも身近に現れ、しかも陛下がその目で見たのならよりふさわしいでしょう」と賛成し、赤烏に改元したという。
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オカルト三国志  于吉の呪い

2019年09月14日 | オカルト三国志
「捜神記」に曰く。
呉の孫策(そんさく)は日照りが続く中、各地を激励して回っていたが、部下が仙人の于吉(うきつ)を頼っているのを見て、人心を惑わすと激怒した。
于吉を縛り、雨を降らせたら許してやろうと告げると、にわかに空が曇り、土砂降りになった。人々は于吉が許されるだろうと喜んだが、孫策はそのまま殺してしまった。
その夜、雲が于吉の死体を覆い、朝には雲も死体も消えていた。

その後、孫策は一人でいるとそばに于吉の幻が見えるようになり、次第に正気を失っていった。
刺客に襲われ傷を負い、ほとんど治りかけたが、鏡で様子を見ると、背後に于吉が立っていた。ところが振り返っても誰もおらず、鏡に目を戻すとやはり于吉がいる。孫策は鏡を殴り壊して絶叫し、傷口が全て開き絶命したという。
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オカルト三国志  五色の光と母の夢

2019年09月13日 | オカルト三国志
「呉書」に曰く。
呉の孫堅(そんけん)の家の東に、先祖代々の墓地があった。その上にしばしば五色の雲気が現れ、空に昇って天とつながり、数里の広さになった。見物人も多く訪れるようになり、長老たちは「孫家が盛んになる印だろう」と話し合った。
孫堅の母親が懐妊した時、内臓が飛び出して城門に巻き付く夢を見た。驚いて隣家の夫人に相談すると「それは吉兆かもしれない」と喜ばれた。

その後、孫堅は武名を挙げ、次男の孫権は皇帝に即位したという。
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オカルト三国志  鄧芝と猿

2019年09月12日 | オカルト三国志
「華陽国志」に曰く。
248年、蜀の鄧芝(とうし)はある時、黒猿を見つけて矢を射かけた。命中したが、黒猿は矢を抜くと傷口に木の葉を巻いて治療した。
鄧芝は「私は生物の本性に背いてしまった。まもなく死ぬであろう」と嘆息した。
3年後、鄧芝は没した。

別パターンの話もある。
鄧芝は親子の猿を見つけて矢を射かけた。母猿に命中したが、子猿は矢を抜くと傷口に木の葉を巻いて治療した。
鄧芝は矢を投げ捨て、自分の死を予知したという。

(※全くの余談だが鄧芝は70歳を有に超えており、3年も経っているので普通に寿命だと思う)
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オカルト三国志  牛の首の夢

2019年09月08日 | オカルト三国志
「蔣琬伝」に曰く。
蜀の蔣琬(しょうえん)は県長に任じられたが、仕事をさぼり飲んだくれていた。そこへ劉備が視察で訪れ、激怒して処罰しようとした。
しかし諸葛亮が「蔣琬は国家を背負う大器で、県を治める程度の人物ではありません。統治さえ安定できていれば、外見を気にしないのです」と弁護したため、罷免するだけに留めた。
その夜、蔣琬は門前に牛の首が転がり、血を流している夢を見た。不吉に思い、夢占いの名手の趙直(ちょうちょく)に相談すると「血を見る夢は、政治に明るく宰相の資質があるという意味です。牛の角と鼻で「公」の字が作れます。あなたが公の地位にまで上るという吉夢です」と見立てられた。
その後、蔣琬は諸葛亮の後継者となったという。
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オカルト三国志  世界を旅する男

2019年09月07日 | オカルト三国志
「淮南子」に曰く。
世界中を旅して回る廬敖(ろごう)は、北方の山中である男に出会った。廬敖は「私は天地四方の外までも全て見て回っている者です。残すは北方だけでしたが、こんな山上で出会ったからには、あなたも私と同じような旅人でしょう。友人になってください」と語りかけた。
男は歯を見せて笑い「あなたは中国の民なのによくこんな遠くまで来ましたね。しかしここは日が射し、星が瞬き、四季のある土地です。私はまだずっと奥の無名の地から来ました。南は果てしなき野で、北は黒々とした里で、西は暗さをきわめ、東は赤々とした光の中を突き抜けます。そこには天も地もなく、何も聞こえず何も見えませんが、その外にはまだ千万里の空間が広がり、私もそこまでは行ったことがありません。
あなたはようやくこの山まで来たばかりなのに、全て見て回ったとはなんと見当外れな言葉でしょう。私はこれから九天の外で人と会う約束があるのでお暇します」と言い、雲の中へ消えていった。

廬敖は男が消えていくのを呆然と見送ると「私は彼と比べれば、鳥と虫のようなものだ。いくら旅しても目と鼻の先を離れられないのに、遠くまで行ったと思い込んでいた。なんと悲しいことか」と嘆いたという。
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オカルト三国志  名馬の見分け方

2019年09月06日 | オカルト三国志
「淮南子」に曰く。
現代でも「名伯楽」という言葉で知られる、馬の鑑定に優れた伯楽(はくらく)は、年老いて引退が近づいたため後継者を探すよう命じられた。
伯楽は「良馬は形体や筋骨を見ればわかるが、名馬の相は表に現れず、見えたと思ってもたちまち消えてしまう。私の子供達は良馬しか見分けられません。仕事仲間の九方堙(きゅうほういん)は名馬を見分けられます」と推薦した。

伯楽の主君は九方堙に名馬を探させた。三ヶ月後、彼は「茶毛の牝馬を見つけました」と報告した。ところが連れてこさせると黒毛の牡馬だった。
主君が「あいつは毛色や性別すらわからないではないか」と伯楽に抗議すると、「ついに九方堙はその境地にまで達しましたか。これこそ私が一万人いても及ばないほどの技術です。彼は馬の内側に集中するあまり、見るべき点だけを見て、見なくてもいい外側は見落としている。彼が判断しているのは馬以上の何かです」と伯楽は感嘆した。
はたして九方堙が探してきた馬は、天下の名馬だったという。
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オカルト三国志  譙周の死期

2019年09月05日 | オカルト三国志
「譙周伝」に曰く。
三国志の著者である陳寿(ちんじゅ)は、師にあたる譙周(しょうしゅう)を訪ねた。
譙周は「孔子は72歳、劉向と揚雄(前漢の大学者)は71歳で没した。私も70を過ぎたことだし、できれば彼らと同じ年齢で死にたいものだ。おそらく今年は越えられないから、君に会うのも最後だろう」と言った。

はたして譙周は年内に亡くなった。彼が予知術も心得ていたことから、予知でそのことを知り、孔子らの年齢にかこつけてそれを伝えてくれたのだろうと、陳寿は考えた。

三国志内に陳寿本人が出てきた例はほとんどなく、これは師への敬愛の現れだという。
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オカルト三国志  大木が折れる

2019年09月04日 | オカルト三国志
「杜瓊伝」に曰く。
262年、蜀の宮中の大木が突如として折れてしまった。
譙周(しょうしゅう)はそれを見て柱にこう書きつけた。

「曹には衆(多い)、魏には大という意味がある。衆にして大なら人々は集まる。
蜀の皇帝の劉備の「備」は完結を、後を継いだ劉禅の「禅」は授けることを意味する。劉氏は完結し、他人に授ければ、二度と即位できない」

264年、蜀は魏に降伏した。人々は譙周の予言が証拠立てられたと考えたという。

(※大木が折れた理由はわからないし、劉氏の名前の話は三度目だし、魏も翌年に滅びてるしとツッコミどころの多い逸話である)
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オカルト三国志  名前の持つ力

2019年09月03日 | オカルト三国志
「杜瓊伝」に曰く。
蜀の譙周(しょうしゅう)は杜瓊(とけい)から、名前の持つ不思議な力の話を聞き、同様の現象を探した。

昔、晋の穆侯(ぼくこう)は長男に「仇」と、下の子に「成」と名付けた。
家臣は「まるで長男が仇になるようだ」と反対した。はたして弟の成のほうが名声で上回った。

霊帝(れいてい)は二人の子に史侯、董侯と名付けた。その後、子らは相次いで帝位についたが(少帝と献帝である)二人とも帝位を失い、侯の位に落とされた。

蜀の皇帝の劉備の「備」は完結を、後を継いだ劉禅の「禅」は授けることを意味する。劉氏は完結し、他人に授けるということで、これは穆侯や霊帝よりも酷い。

はたして蜀は劉禅の代で滅びたという。
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