東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

大本教

2022-08-25 09:30:14 | 街で聞いたはなし

 戦前の昭和初期、大本教の大弾圧事件があった。教団関係の施設はすべて爆破され、教祖は逮捕された。
 理由は大本教が軍部に浸透したからである。更に皇室、宮家にも浸透した。危機感を持った政府は大弾圧を行った。
今日統一教会の政界汚染の醜状をみると、戦前の大本教事件は参考になる。勿論現代的対応をするね。フランスのように反カルト法を制定するとか、宗教法人の解散命令とかね。
 統一教会が極めて悪質なのは、外国の、反日、侮日的な思想にこり固まった半島人の団体であることである。目指すところは日本乗っ取り、日本の資産をカラカラになるまで収奪することである。それも正体を隠して行う悪質さであり、犯罪と異なるところはない。
 統一教会対策こそ、国防政策のかなめである。それを唱える自民党が統一教会に骨がラミされている状態はホラーそのものである。


羽生田光一君、これ以上親分の顔に泥を塗るな

2022-08-23 08:19:52 | 街で拾った話題

 君の親分はかたじけなくも国葬の栄誉に浴することとなった。その顔にこれ以上どろを塗ってはいけない。
 子分の倫理である。安部氏は相馬眼に問題があった。類は友を呼ぶということかもしれないが。その見本が君であった。

 殉死という美風がある。勿論私が勧めるのは政治的殉死である。すなわち政界引退である。世に言われるところの七奉行これに準ずる。


一書に曰く、安倍晋三は稀代の被・忖度・男である

2022-08-19 08:22:13 | 街で聞いたはなし

 権力者が忖度されるのは当たり前である。安部氏の回りに異常に多くの忖度男・女が群がった。物知り顔のテレビのパカ・コメンテーターが言う。『安倍さんが官僚の人事を内閣がもっぱらにしたからである』
 これは安部氏を免責にする必要条件ではあるが、十分条件ではない。我こそはと思う人物が首相に売り込みをかけるのは当たり前である。忖度もするだろう。もっとも忖度にもやってはいけない忖度とそうではないのがある。
 権力者にはそういう連中の中から有能で、高潔な人物を選別する人物鑑定能力が求められる。安部さんにはそうい資質は無かったようである。人格に疑問を持たれる忖度男・女を多数選んだのは安部氏の責任である。


一書に曰く、政権長きがゆえに尊からず

2022-08-18 06:36:57 | 街で聞いたはなし

  あるフミに曰く、山高きが故に尊からず。政権長きが故に評価すべからず。
安部さんが史上最長の政権であったことを国葬の理由のヒトツにあげていたようだが、間違いである。長期に政権を保ったというのは、いいかえると何もしなかったということになる。
 勿論いろいろとしたんだろう。全然記憶にないが。政治なんてものはフワフワと日々湧いてくる問題を処理したり、身をかわしたりすることが仕事のほとんどだから、安部さんは身のこなしがうまかったということは言えよう。
 自己の政治生命をかけて積年の課題を解決したという記憶はない。たとえば、自民党の結党以来の宿望である憲法改正はしようともしなかったように見える。勿論その周りをぐるぐると回ってアピール効果のある小細工はいくつかしたようだが、政治生命をかけたという印象は全くない、素人つまり一般国民には。そういう大切な問題から巧妙に身をかわしたから長期政権だったのだろう、と考えるのが妥当だ。


ある書(フミ)にいわく『安倍晋三は   』

2022-08-17 09:25:56 | 街で聞いたはなし

  あるフミに曰く「安倍晋三は隠れ天一坊である」と
いうまでもなく現代の天一坊は橋下徹(この字でよかったかしら)であるが、そのペアであるそうだ。


失効小切手を使うのは犯罪である

2022-08-12 08:09:17 | 東アジアの悪友

 勝共という小切手は失効して久しい。恥ずかしげもなく失効小切手を振りかざす統一教会はお笑い草である。勝共スローガンが意味があったのは大負けに負けても1970年代までである。つまり岸信介君の時代までである。
 其のころまで大学の新入学生は共産主義サークルと反共産主義サークルの草刈り場であった。入学式が終わると両陣営はキャンバスに出店をはり、強烈な呼び込み合戦を始めた。いまはどうだい、最近大学に行かないから知らないが、そんな光景はないだろう。
 先日の統一教会会長?の記者会見で痴呆的に自民党と勝共連合を組んできたと「誇らしげ」に自己正当化をしているのは気持ちの悪い漫才にすぎない。
 いま言うなら「勝・覇権主義、勝・独裁」であろう。最も具体的な相手は変わらず、シナ、ロシア、北朝鮮というのも妙だが。
 自民党もこの時代錯誤のスローガンを錦の御旗に振りかざす非倫理的団体を便利使いしてきた大罪を免れることは出来ない。
 つまり岸信介君の時代には便利使いもあっただろうが、、今は母屋まで浸食されている。


安倍晋三氏の大罪

2022-08-11 09:42:53 | 東アジアの悪友

旧統一教会の日本に対する考え方は安部元首相の思想と背馳
 安部元首相の大罪は、自身の歴史観に全く反する統一教会の侮日思想を知っていて付き合っていたらしいということである。多くの元信者などからの証言にあるように『日本は韓国より劣った国であり、韓国にかって極悪非道な植民地支配を加えていた』と日本の信者に教え込んでいた。そして、だから日本の信者は過去の罪を償うために丸裸になるまで献金をしろ、とか霊感商法で不法に高い商品を売りつけさしていたという実態がある。

 これは安部氏が口を極めて排斥する自虐あるいは侮日思想ではないか。
もし、安部氏が全くこのような実態を知らなかったというなら、政治家として失格である。また首相に情報を提供する義務のある公安当局はまったく無能であったということである。


安部元首相の国葬問題

2022-07-25 09:04:53 | 街で聞いたはなし

 このブログでかって、二首相論を提案したことがある。外交担当の首相と内政担当の首相を分けるべきだというのだ。
 安部さんの国際的な知名度は歴代首相の中では抜群に高い。外国の高位の人物の弔問希望者も多いだろう。先の葬儀の際にもそういう打診が多くあったようだ。それに対応するにはそれなりの段取りが必要で政府も大分慌てたらしい。だから外国からの弔問者に対していわゆる「お別れの会」的な場を国費で設定するのはいい、というかやむをえまい。
 外交の場で存在感を示したと言ことでは安部さんは歴代首相のなかで群を抜いていた。しかし、内政ではボロが大小取り交ぜて多い人だった。脇が甘いというのか、近寄ってくる人物、勢力に胡散臭いのが混じっていた。これは否定できない。人徳の欠如か側近を含めて政治判断力の問題なのかは分からない。
 いずれにせよ、国葬という名称には一考の余地があるようだ。「しのぶ会」なんてのはどうだ。


パブリシティーの観点から安部元首相銃撃事件を考える

2022-07-24 11:15:29 | 街で聞いたはなし

  警察は山上容疑者の精神鑑定を行うという。この動きに姑息な政治的判断が絡まっているような気配がある。彼ら(警察、検察)は統一教会に対する恨みから安部元首相にターゲットが変わった山上容疑者の供述がつながらないというらしい。そうかな、新聞で報道されていた供述内容からするとそんなに首を傾げるところはない。むしろつながらないとするほうの精神鑑定が必要ではないか。
 どうも、自民党あたりが事件のパブリシティ量を抑え込もうという政治的動機があるのではないか。仮に、精神鑑定で不起訴となれば、マスコミ提供の情報はThe Endとなる。これが起訴されて裁判になれば相当長期間にわたりマスコミ報道の対象となる。そのたびに自民党との怪しい関係が喧伝される。自民党は裁判なしにしたい。これが妥当な解釈のようだ。
 ま、精神鑑定は手順としてはある。弁護側がそれを要求する可能性はある。しかし、当局が早々と精神鑑定を持ち出し、しかもマスコミを通して世論を誘導しようとする気配が濃厚である。
 自民党の報道されている代議士は断片的に「いいわけ」をしているが、自民党として、党としての責任ある説明はこれまで一切ない。これは許されないことである。そして「精神鑑定」に逃げ込んでマスコミ報道を「結果的に」抑え込もうと画策するなど、破廉恥犯罪の容疑者がとる行動パターンと同じである。


創世記第二十二章にみるキリスト教と統一教会の違い

2022-07-19 07:38:19 | 街で聞いたはなし

 創世記はキリスト教とユダヤ教の聖典である(おそらくイスラム教の聖典でもあろう)。第二十二章に、エホバはアブラハムにその愛する独り子のイサクを我のためにいけにえとして焼けと命じた。アブラハムは命じられたとおり、指定された地にイサクを連れて行き、イサクを縛り刀で殺そうとしたときに、天から声あり。汝の信仰は分かった。自分の子供を殺すな、と止めた。アブラハムが後ろを見ると藪にいけにえ用の子羊がつながれていた。アブラハムはそれをいけにえとして薪の上にのせて焼いた。
 新興宗教は信仰心を試すために極端な犠牲を信者に強いることが多い。真の宗教と邪教、金儲け宗教との違いは最後に人倫に反する行為を中止させるかどうかである。統一宗教で家庭を破壊するようなむちゃくちゃな献金を要求するのも同じことだろう。しかし、違うのは最後の段階で「よし分かった。もうよい」の一言がない。
 信者の家庭が破壊されようが、崩壊しようが構わない。無茶苦茶な要求を際限なく繰り返す。サタンの仕業としか言いようがない。
 もう一つ言えるのは、新興宗教では極端な階級制度があることだ。信者同士を献金を競わせる。それにつれて教会内の地位があがり、教祖との距離が縮まる。いったんはまり込むと教会内の昇進のみが教徒の頭を占領する。とくに、ポイント集めに狂奔するような性癖を持つ、おばさんたちは教徒変じて狂徒となる。山上家もそうだったのではないか。