東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

白鵬の優勝は無効にせよ

2006-05-21 18:50:34 | スポーツ

白鵬の千秋楽の二試合には失望した。昨年琴欧州と朝青龍が優勝を争った相撲について『朝青龍の汗』という文章をブログに書いた。本文の末尾に採録しておく。二度目である。これは明らかに意図的な八百長、不正試合である。行司なり、四人もいる審判は注意しなければならない。

制限時間が来たら上体に発汗のある力士にはタオルで汗を拭くように注意しなければならない。制限時間前にたつこともあるから、仕切りの途中でも発汗が甚だしい場合は途中でもタオルで拭くように注意しなければならない。ボクシングでもレスリングでも発汗にはレフリーが注意してタオルを使うように命じている。公正な試合のためである。

モンゴルやトルコのレスリングでは体に油を塗ってやるらしい。それはそれでいい。技や戦い方もそれに合わせて発達してきた一つの体系だからだ。だから最初から組んだまま試合を始める。しかし、相撲では汗で手や体が滑れば意味をなさなくなる技が多い。雅山が得意とするツッパリ、のどに両手を当てて突き立てる戦法は全く通用しなくなる。ぶちかまし、かち上げ、おっつけなどは効果がなくなるだろう。ぶつかり合ったとたんに手や体が滑って横向きになってしまう。そして相撲の面白さはこのような技を交換する立会いの妙にあるのではないか。

白鵬と雅山の優勝決定戦のビデオを見れば分かるが、白鵬の喉から胸は大量に発汗している。これでは雅山が昨日のバルトや本日の朝赤龍にみせた威力のある突きはできない。今日の試合も喉ツッパリの効果がなくすぐに組みとめられてしまった。それにしてもその後雅山はよくがんばった。よほど調子がよかったのだろう。

末尾に採録した『朝青龍の汗』でも書いたが、昨年の朝青龍も今日の白鵬も支度部屋で異常とも思える過度のウオーミングアップを行っている。発汗を促すためである。本日の白鵬は係りから入場を催促されてもぐずぐずと四股の真似をしていた。これは効果的である。特に優勝決定戦では土俵下であまり待たないから仕切りの終わりごろにちょうど発汗がピークに達する。その意図的なことは犯罪と断じても差し支えない。

異様だったのは、今日の支度部屋で部屋の親方ではなくて、旭鷲山がひそひそと白鵬にコーチしていたことだ。明らかに昨年の朝青龍の戦法を伝授していたのだ。私は元来相撲の自由化論者であり、モンゴル勢の活躍を楽しんできた。朝青龍が礼儀を知らないとか、しきたりを無視するとマスコミで非難されるのを冷笑してきた。そんなことはどうでもいい。

しかし、この問題は見逃せない。発汗を利用するのは犯罪である。しかも、発汗を利用する手を再度用いるとなると、何らかの対策を相撲協会にたててもらわねばならない。スポーツのフェアプレイに反する根本的問題である。プロだから、優勝の行方は大きな金の流れを作る。正に作為した犯罪である。

決定戦の前のバルトとの対戦で変ったのも感心しない。相手は前頭11枚目だろ。ああいう駆け引きは下の力士が、かないそうもない上手に試みるのは許されるだろう。また大関同士で実力が拮抗していれば変化も許されよう。

今回の白鵬の優勝は不正で無効というべきだろう。また相撲美学の観点からみれば醜悪そのものであった。

* 昨年9月のブログ採録はじめ

朝青龍の汗

相撲協会は朝青龍の汗を黙認しているらしい。営業上の配慮であろう。相撲協会が財団法人の特典を受けていなければ余も黙っていただろう。

テレビの画面でもはっきりと朝青龍の胸に汗が球をなしているのが見えた。優勝決定戦の前の両力士の様子をNHKのカメラが追っていたが、琴欧州は緊張のためか控え室にカメラを入れず、付け人が部屋の外をがっちりとガードしていた。

一方、朝青龍は珍しく盛んに鉄砲をしたり、四股を踏んでいた。その前の栃東戦があっけなく終わったのでウオームアップが必要だったのかもしれない。それはいい。立会いの前になってタイミングよく汗が噴出してきた。

問題は立会いの前に横綱がタオルで胸の汗をぬぐわなかったことである。体の汗をぬぐうのは相手に対する礼儀でもあるが、公正な試合を担保するためでもある。さもないと体に油を塗って勝負するモンゴル相撲やトルコ式レスリングと同じになる。突きや体がぶつかったときに滑って不利が生じる。

土俵下の審判か行司が注意すべきことであろう。まま、こういうことがある。そうして大体において横綱とか大関のような上位者が汗をそのままにすることを黙認する。仕切りの手つき不十分を黙認することも同然である。大相撲の伝統であろうか。相撲協会が節目節目で演出を行うことは明らかである。興行というシステムによっているかぎり止むを得ないことであろう。

さて、この場合相撲協会はどちらに勝ってほしいか。出来れば両方勝たせたいのが協会の親心であろうが、そうもいかない。

琴欧州は今場所すでに大記録を達成している。新関脇で12連勝という前人未踏の記録である。優勝すればさらに入幕7場所目で優勝という大記録を立てる。これも相撲人気のためには欲しいだろう。

一方、横綱が勝てば、六連覇タイ記録が生まれ、さらに来場所優勝すれば7連覇新記録という相撲を盛り上げる格好の話題が出来る。それに、年間六場所完全制覇という大記録も生まれる。琴欧州の未来はまだまだあるということを考えれば、ここは横綱にかかった記録を優先したいだろう。

余は積極的な八百長や陰謀があったと言っているのではない。暗黙の、消極的な黙認、汗をそのままにするという、があったということを言っている。責めても始まらない。これが日本の社会であり、相撲協会でもあるのだから。

追記:今朝のテレビで大鵬親方が言った。<強いものが勝つのが相撲の発展、人気のためには良いことだ> 補足 強いもの = 横綱 なら理想的だ。また大鵬は横綱の来場所も優勝して7連覇の記録を立てることが大切だ、とも。要するに、<拭わぬ胸の汗>は横綱に与えられたささやかな特権の一つであるということ。強いものにプラスハンデがつくということが競馬とは逆だ。悔しかったら横綱になってみろ、ということ。横綱のインセンティブ。まさに番付が一つ下なら虫けら同然の世界だ。それでこそ、ハングリースポーツの雄たりうる。

昨年のブログ採録おわり *


ジーコの心

2006-05-16 07:48:47 | スポーツ

ワールドカップのメンバー決定の話題で占められているね。ジーコの心にあるキーワードの最大のものは『情報の少ない新兵器』だろう。フォワードの巻がその例だ。正直言って日本が一次リーグを突破する力があるかどうか、不安だろう。ジーコは別にして蹴球協会のお偉方も不安を漏らしている。客観的なところだろう。

飛びぬけた相撲の『バルト』のような、ロナウジーニョのような選手なら、ワールドカップに3回も4回も出ていて、相手から徹底的に研究されていても攻略するのはむずかしい。

日本のベテランにはそういう選手はいない。中田英しかり、世界レベルで言えば贔屓目にいっても中の中だろう。2回、3回も出た選手は皆相当な資料を持って研究されているだろう。相手の研究を蹴散らす桁外れな実力を持った選手はいない。

日本としては、そこそこの力のあるピチピチした選手で外国のチームがあまり情報を持っていない選手を多用することが最善の作戦だ。もちろん場慣れしたベテランと適当に組み合わせることも必要だ。ジーコはそこにわずかに一次リーグ突破の望みをかけている。

フォワードを5人にしたのも正解だ。日本の決定力のなさは女性的である。シュートの数は多くてもゴールには入らない。あれくらいイライラするものはない。組織的なパス回しで相手の間隙をつくという日本の戦法はたとえゴールを決めても面白くない。ドリブルで一人でDFを突破してゴールを決める。これが蹴球の醍醐味じゃないかな。

DFやMFは組織プレーでよいが、FWは目の醒めるような個人技を見たいね。現時点では日本の一次リーグ突破のオッズは11.6というところか。大会直前までにオッズがどのくらいになるか。7.5以上だったらロンドンのブックメーカーに注文を出そうと思っている。


猪口選手も辞退

2006-01-07 20:13:04 | スポーツ

この度はじまる野球の世界選手権はワールド・ベースボール・クラッシクというんでしたかね。ホワイトソックスの猪口選手も出場を辞退したという。彼は出場を表明していたが、ヤンキースの松井選手に続いてやめることにしたようだ。イチロー選手はどうするんだろうか。

プロ野球全体から選手を集めるチームは日本の場合成功しないと思うが、それでも今度の王監督は長島ジャパンよりかましな成績だろうと期待していたが、それも分からなくなった。オリンピックでもプロが出場した大会がこれまで二回、いずれもアマチュアのみの参加のときよりも成績が悪い。変にひねくれたプロ意識でまじめにやっていないからだろう。オリンピックでもWBCでもむしろ日本シリーズの優勝チームを単独参加させたほうがいい成績が残せるのではないか。ただし、シーズン開幕前はだめだ。秋のシーズン終了後がいいだろう。

最低だったのは、前回の長島ジャパンだった。北京でも長島ジャパンでいくというから驚きだ。偽善的美談の少女趣味ではスポーツマンシップは発揮できない。病気の長島氏を監督からはずさず、前畑代理で行くのが美談らしい。それで世論もマスコミも盛り上がるんだから世話はない。長島氏が病気でいけず、かつ精神状態がしっかりしているなら、自分の意思で監督を辞退するのがスジだろう。チームにもいい影響を与える。悪い影響を与えるとして監督を変えるのを恐れたのなら、あきれるほかはない。そんな精神風土ではなにも期待できない。長島名前貸し監督に反対するマスコミも評論家が一人もいなかったことは驚きだった。

また、病気の性質上ご本人の自主的判断が無理なら、なにかにつけてしゃしゃり出てくる息子が明確に辞退の意思を示すのが父の威厳を保つために当然の親孝行である。おそらくこのような意見は総反発をくらい、無視されるのが日本的風土なのだろう。しかしそれは現代日本的風土であって、伝統的な武士道的さわやかさもないし、真のスポーツマンシップから一番遠いことだろう。

大変酷ないいかただが、前回のオリンピックは予期した成果はあげられないだろうと事前に予測していたがそのとおりになった。こんどの王ジャパンにはすこし期待していたので、辞退続出は残念である。


井口二塁手はさっぱり

2005-10-23 13:08:20 | スポーツ

ワールド・シリーズの第一戦はシカゴ・ホワイトソックスが5対3で勝った。井口二塁手は5タコだった。調子が下降しているのかな。

それにしても、彼はずいぶんホームベースから離れて立っている。背の低い(つまり手の短い)彼は外角のタマにはバットが届かないだろう。案の定外角は空振りする。そして内側のタマは打ちやすいだろうに、ほとんど見逃している。

普段からあのスタンスなのかしら。何回かぶつけられたから遠くに立つようにしたのかな。ギーエン監督に守備さえしっかりやれば打たなくてもいいといわれたのかもしれない。


朝青龍の汗

2005-09-26 07:54:18 | スポーツ

相撲協会は朝青龍の汗を黙認しているらしい。営業上の配慮であろう。相撲協会が財団法人の特典を受けていなければ余も黙っていただろう。

テレビの画面でもはっきりと朝青龍の胸に汗が球をなしているのが見えた。優勝決定戦の前の両力士の様子をNHKのカメラが追っていたが、琴欧州は緊張のためか控え室にカメラを入れず、付け人が部屋の外をがっちりとガードしていた。

一方、朝青龍は珍しく盛んに鉄砲をしたり、四股を踏んでいた。その前の栃東戦があっけなく終わったのでウオームアップが必要だったのかもしれない。それはいい。立会いの前になってタイミングよく汗が噴出してきた。

問題は立会いの前に横綱がタオルで胸の汗をぬぐわなかったことである。体の汗をぬぐうのは相手に対する礼儀でもあるが、公正な試合を担保するためでもある。さもないと体に油を塗って勝負するモンゴル相撲やトルコ式レスリングと同じになる。突きや体がぶつかったときに滑って不利が生じる。

土俵下の審判か行司が注意すべきことであろう。まま、こういうことがある。そうして大体において横綱とか大関のような上位者が汗をそのままにすることを黙認する。仕切りの手つき不十分を黙認することも同然である。大相撲の伝統であろうか。相撲協会が節目節目で演出を行うことは明らかである。興行というシステムによっているかぎり止むを得ないことであろう。

さて、この場合相撲協会はどちらに勝ってほしいか。出来れば両方勝たせたいのが協会の親心であろうが、そうもいかない。

琴欧州は今場所すでに大記録を達成している。新関脇で12連勝という前人未踏の記録である。優勝すればさらに入幕7場所目で優勝という大記録を立てる。これも相撲人気のためには欲しいだろう。

一方、横綱が勝てば、六連覇タイ記録が生まれ、さらに来場所優勝すれば7連覇新記録という相撲を盛り上げる格好の話題が出来る。それに、年間六場所完全制覇という大記録も生まれる。琴欧州の未来はまだまだあるということを考えれば、ここは横綱にかかった記録を優先したいだろう。

余は積極的な八百長や陰謀があったと言っているのではない。暗黙の、消極的な黙認、汗をそのままにするという、があったということを言っている。責めても始まらない。これが日本の社会であり、相撲協会でもあるのだから。

追記:今朝のテレビで大鵬親方が言った。<強いものが勝つのが相撲の発展、人気のためには良いことだ> 補足 強いもの = 横綱 なら理想的だ。また大鵬は横綱が来場所も優勝して7連覇の記録を立てることが大切だ、とも。要するに、<拭わぬ胸の汗>は横綱に与えられたささやかな特権の一つであるということ。強いものにプラスハンデがつくということが競馬とは逆だ。悔しかったら横綱になってみろ、ということ。横綱のインセンティブ。まさに番付が一つ下なら虫けら同然の世界だ。それでこそ、ハングリースポーツの雄たりうる。


駒大苫小牧高校野球部

2005-09-01 21:02:11 | スポーツ

9月1日の夕刊フジ「花田紀凱、天下の暴論」を読んだ。
タイトルは「偽善が不祥事の原因」。

もともと、甲子園は興味がないのだが、この話題はマス
コミの垂れ流し量が多いので一言コメントしてみるかな
という気になった。そもそも、この話題そのものがこん
な報道量に値するものだろうか。しかも各社とも校長の
コメント、父親のコメントそれに高野連のコメントをそ
のまま流しているだけ。これがジャーナリズムといえる
のか。

どこか1,2誌がちょこっと囲みで一、二度報道すれば
よいようなものだが、こうしつこく行くのなら、もっと
取材をしてほしい。マスコミの情報が例によってないか
ら、推測だが、報道されたような奇麗事ではあるまい。
とくに、「父親」の側には色々な思惑があったのではない
か。例によって『被害者側』の父親は顔もうつさず、名
前も報道されない。校長は顔をさらしっぱなしだ。おか
しく思わないのか。

「校長に対応をおまかせした」という父親の言葉の真意
を取り違えたそうだが、墳飯ものだ。不自然で全然無理
筋だ。事件では二度殴られたことになっている。一度は
大会前、一度は開会中。これは父親が金銭保障を要求し
て裏で交渉が継続していたか、大会中に一度試合に出す
ことを条件にしていたのではないか。

子供の実力は知らないがレギュラーの力はなかったのだ
ろう。出番がなかなか来ないので父親が校長か、有力後
援者(私立だから学校側が弱い有力スポンサーがいるは
ず)を通して圧力を部長にかけたので、怒った部長がス
リッパでひっぱたいたのではないか。

事実は取材しなければ分からない。こんな問題を連日大
々的に報道するなら、読者が納得するような背景取材を
独自にしてほしい。とくにテレビの諸君にはお願いした
い。電波は免許ですよ。それに応じた働きをしてもらい
たい。そうでなければ免許は返上しなさい。ホリエモン
にその枠を与えるのも一興である。

この父親というのもただの人ではあるまい。いずれかの
スジのひとであろう。その辺も読者にきちんと報道しな
いなら、最初からなにも報道しないほうがよろしい。

夕刊フジで花田氏がいう甲子園神話が偽善であるという
のはその通り。花田氏の文章を読まれるとよい。


スペインの座布団

2005-07-18 08:46:25 | スポーツ
昨日の千秋楽での座布団の飛び方はいつもと違っていましたネ。

琴欧州が朝青龍に勝った一番です。場内の興奮はすごかった。近
来あんなに盛り上がった光景はなかった。欧州勢で横綱に勝った
のは琴欧州が一番乗りじゃなかったかな。たしか黒海もまだ横綱
には勝っていない。

テレビであの興奮を見てスペインの闘牛場を思い出した。興奮し
てくると観客が色々なものをアリーナに投げ込む。座布団はない
が、花束から自分の持ち物、着ているものまで脱ぎ捨てて投げ込
む。

ひと目で粋筋とわかる美人が興奮してパンティを脱いで投げ込む。
形状、質量などの空力学的関係で座布団と違って、ああ小気味
よく遠くまで飛ばない。最前列の親爺が興奮して帽子を投げ込
む。その禿茶瓶の頭の上にパンティが着地する。カトリックの
坊さんの帽子みたいに頭に乗っかったまま滑り落ちない。興奮
した女性のパンティは湿気を含んでいるから摩擦係数が大きい
のである。

金星の番狂わせがあると舞う座布団を見るたびに闘牛場を思い
出すのだが、昨日はとくにまざまざと記憶がよみがえった。