それは政治家としての心得、覚悟、深慮、勉強研鑽である。いな、それらは普通の人間としても当然持つべきものである。彼にはそれらが欠落している。これを不倫理というか、非倫理と言うか、無倫理というか。一種の政治倫理・不感症とでもいうべきであろう。不感症は美人の条件であるという。美人が潮吹きであっては需要に追いまくられて体が持たないから不感症は当然の生体防御反応であるが。
前原は政治的美人であるから(人気投票で上位に来るから)、当然と言えば当然か。
民主党政権になって閣僚になってからのことにしぼろう。だれでも憶えているし、野党時代に無責任な立場でチーチーパッパしていた時とは責任の重さが違う。
国交省のころの八ツ場ダムの場合:
コンクリートから人へ、か。誠に結構な標語だ。政治的課題は色々な意見、立場がありどんな政策にも反対がある。自分の意見を主張して実現しようとするのはいい。それでこそ政治家であるともいえる。
しかし、当然反対を説得し、場合によっては押しきり政策を実現するのが政治家の責任である。ところが前原誠司はかっこのいい標語を言ってスポットライトを自分に当ててもらいたいだけの「芸人根性」しか持っていない。
この問題でもたちまち各方面から反対の声が上がったが、前原は馬鹿の一つ覚えのように「火野用心」的なスローガンを繰り返すだけだった。大体野党時代が長かったのだから十分に問題を研究し、反対を押し切って政策を実現する方策を練る時間があったはずである。何のために国民は野党議員にも莫大な税金を与えて飯を食わせているか分かっているのか。
前原はまったく具体策を持っていなかった。遅ればせながら必死で自分の政策の実現策を編み出すこともしなかった。様々な関係者、住民、官僚、地方自治体、関係業界に甚大な損害を与え、大混乱をもたらしながら、問題をうやむやなままに自らは問題から隠れてしまった。
これを例えれば、結婚詐欺師がうまいだまし話で国民に近づき、嘘がばれるといち早く身をかくしてしまうのと同じである。
前原が残したものは大混乱である。問題提起をしたことにもならない。なぜなら前原が言っているようなことは何百万回もその種の主義者から提起されていたからである。前原の一連の言動はまったく無意味であり、有害であった。
つづく
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