係争事件の一方の当事者が裁く裁判というものは存在しない。裁判という名前を意図的につけて愚衆を惑わすにすぎない。お得意のリンチ文化にすぎない。
万に一つ、譲って裁判だとしよう。裁判なら当事者は意義を申し立てることが出来る。もっとも軍法会議なら即決再審なしが多いらしいが、それはちゃんとした軍法会議の規定があることが前提である(例外はある。独裁国、未開発国の場合)。東京裁判は一応先進国が双方に名を連ねているから、後付の理屈、法規でごり押しすることは許されない。勿論その規定が国際法としてすでに有効であることが必須である。
二審、上訴がない裁判を裁判マニアの左翼の諸君が受け入れられるのか。もっとも、彼らはいつでも自分の都合のいい理屈をつける(実際には操るご主人様につけてもらう)のであるが。
東京裁判は強姦犯人が被害者に対して、被害者が挑発したから被害者が全責任を負うべきだ、盲判を押せと主張することに等しい。普通は強制された署名合意は無効とされる。
全裸で無防備の被害者を前にして、いやならもう一度やるぞ、と言われて署名した書類に合法性はない。しかし、民族滅亡を免れるためには道は一つしかない。原爆をあと一ダース落として、関東平野全域にサリンを撒くぞと言われれば、他に選択肢は無い。これを昭和二十年敗戦という。
万に一つ、譲って裁判だとしよう。裁判なら当事者は意義を申し立てることが出来る。もっとも軍法会議なら即決再審なしが多いらしいが、それはちゃんとした軍法会議の規定があることが前提である(例外はある。独裁国、未開発国の場合)。東京裁判は一応先進国が双方に名を連ねているから、後付の理屈、法規でごり押しすることは許されない。勿論その規定が国際法としてすでに有効であることが必須である。
二審、上訴がない裁判を裁判マニアの左翼の諸君が受け入れられるのか。もっとも、彼らはいつでも自分の都合のいい理屈をつける(実際には操るご主人様につけてもらう)のであるが。
東京裁判は強姦犯人が被害者に対して、被害者が挑発したから被害者が全責任を負うべきだ、盲判を押せと主張することに等しい。普通は強制された署名合意は無効とされる。
全裸で無防備の被害者を前にして、いやならもう一度やるぞ、と言われて署名した書類に合法性はない。しかし、民族滅亡を免れるためには道は一つしかない。原爆をあと一ダース落として、関東平野全域にサリンを撒くぞと言われれば、他に選択肢は無い。これを昭和二十年敗戦という。