日本人がアメリカ流の政治を心から受け入れたきっかけは、敗戦でもなければ、東京裁判でもない。
トルーマン大統領によるマッカーサー元帥の解任である。電撃的であった。大統領が命令しただけで、あれだけ日本で絶対的な権力をもっていた元帥は解任されてから一週間以内に離日した。
もともと、トルーマンとマッカーサーは仲が悪かったが、朝鮮戦争で鴨緑江の北側に原爆を50個も落とせというマッカーサーの発言を機に電撃的に解任した。
これが戦前の日本軍では考えられないことだった。これがシビリアン・コントロールか。政治家の力が軍隊に対してこれだけ強ければ非合理な戦争はしないだろうと、日本国民は目をひらかれた思いがした。
戦前は関東軍の下級参謀が勝手なことをやり、軍部首脳はそれをやめさせるどころか、若手のかつぐ神輿に乗ってやろうとばかり考えてた。
そのアメリカもいまや軍部主導になっている。ベトナム戦争もおかしかったが、ブッシュのイラク戦争あたりからはアメリカ軍は関東軍化している。関東軍でも実際に政治を動かしたの諜報将校たちであったが、今回のシリア問題でもアメリカ軍を動かしているのは(というのは、とりもなおさずアメリカの政治、外交を動かしているということだが)、軍の諜報部隊のようである。