不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

「リニアは理に合わない」即刻事業停止を

2019-11-15 | 地方自治


リニア新幹線は、エネルギー効率や環境問題の側面からだけでも、十分「理に合わない」鉄道である。80%がトンネルの中であるし、鉄道好きの私にとっても興味もない。
そもそも、リニア新幹線は国鉄の分割民営化が生んだ、モンスターである。民営化は致し方ないとしても、分割は地方を切り捨てることにつながった。分割民営化によって、赤字線を切り捨てるようなことはしないと説明したが、嘘であった。JR北海道は最悪である。四国も九州も苦戦している。その分といえるかどうかは別にして、東海道を持つJR東海は金が余っている。不要なものでも作ってしまう。その典型が無意味な、リニア新幹線である。
環境面では、地質学的にも日本列島で最も新しい断層(フォッサ・マグナ)の最も活動的であった南アルプスを穿つのである。活断層は無数にあるだろうし、ひと時克服しても安全など何も飛翔されるものでもない。日本第二の標高の南岳を抱く高山の南アルプスとそれが生み出す、山岳河川環境をほとんど無視した工事である。
工事早々、出水が際限なくあり、この地を潤した河川に影響が出始めている。この先活断層と地下水に工事が行き詰るだろう。当初は金出すから、東京オリンピックに間に合わせろと、ノーテンキな命を出した事もある。リニア新幹線は政治的事業だという側面である。
ほとんどトンネルであるが、事故対策は不可能に近い。客をトンネル内を30キロ歩かせる計画である。
リニア新幹線には原発二基分の電気が必要になる。「旅行」とは無縁の「転送」という言葉の方が似合う、技術者の自己満足の移動手段である。リニア新幹線は馬鹿げたく工事である。く

https://linearstop.wixsite.com/mysite「ストップ・リニア訴訟」のほかに以下のサイトを参考にしてください。
ストップ・リニア!訴訟原告団&リニア新幹線沿線住民ネットワーク http://linearstop.wixsite.com/mysite
東濃リニアを考える会 http://blog.goo.ne.jp/ookute3435
リニア新幹線を考える東京・神奈川連絡会 http://web-asao.jp/hp/linear/
樫田秀樹さんのブログ http://shuzaikoara.blog39.fc2.com/
リニア市民ネット http://d.hatena.ne.jp/stoplinear/
リニア新幹線を考える相模原連絡会 http://sagamihara-g.mond.jp/
NO!リニア連絡会 http://tobigas.wixsite.com/nolinear
南アルプスは大丈夫 http://tozansyarinia.seesaa.net/
渓流9条の会 http://keiryuu9jou.o.oo7.jp/
株式会社ヤマテン http://yamatenki.co.jp/ 
山岳ガイド「風の谷」 http://www.ne.jp/asahi/tetsu/kazenotani/
静岡勤労者山岳会 http://shizuoka-rozan.sakura.ne.jp/
日本山岳会静岡支部 http://www.jac.or.jp/info/shibudayori/shizuokasibu/index.html
赤石山河の会 http://mopou84.wixsite.com/akaishi-sanga
山伏峠小屋 http://sanpukutouge.com/
中央構造線博物館 http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重(ジュウ)連休に思う事、田舎を思うなら都会を捨てよ

2019-05-05 | 地方自治

今日5日は子どもの日で、10連休最後の前日である。上に写真は報道を撮ったものである。左側は東京へ向かう車のテールランプで、何キロもついて明るく渋滞している。右はパラパラと、東京からの車である。連休最終前日に東京へ戻る人たちで溢れているというのである。
これを見て思った。東京は遊ぶところではないのである。仕事をするには便利であるが、暮らすようなところでないと内心人々は思っているのである。
田舎に来た都会の人は、「空気がおいしいだの、水がおいしいだの、人情があるだの、自然がいっぱいだの」と褒めちぎる
が、言葉だけを残して都会に戻る。少子高齢化社会は均等に発生しない。田舎から始まる。
何より田舎に連休どころか休日もろくにない。特に酪農家はこの間ずっと毎日搾乳と餌やりをしている。毎日搾乳と餌やりをしている。私もこの間のほとんどの日仕事をしている。連休を6割の人が歓迎していない。様々なことが滞って、機能しない。不便な日々を多くの人は送っている。
10連休を謳歌しているのは正規雇用の安定職場の人達だけである。長期連休で職場をなくする人たちもいる。
2025年には、都会の人口が田舎の人口を上回るといわれている。人は古くから、「住めば都」といわれるように、都会に憧れる。都は煌びやかで人々を誘惑する。

都会が人々を引き付けるのは欲望を満たしてくれるからであるが、それらのすべては金銭による評価を効率的に行ってくれるからである。物流にしても情報にしてもお金にしても経済のすべてが、効率を求め都会に集中する。
そのために失ったものを田舎に求める姿が、上の渋滞である。田舎に核施設や廃棄物処理場や、軍事施設など嫌われものばかり押し付ける都会の姿勢こそが問われるべきなのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんとも寝覚めの悪い朝を迎え

2019-04-08 | 地方自治
北海道知事選挙は原発推進派とカジノ(日本は民法で禁止されている賭博を金もうけのためにやらせる施設)を認め、鉄路をなくすとする候補が当選した。当選した鈴木直道氏は正面から道民に不利になる主張したのではない。
沖縄知事選挙でも与党の推薦する候補が、最大の争点となる辺野古基地の問題は封印したのと酷似する。北海道でも与党推薦候補は、上記の三点は封印したままであった。判断ができなかったといった方が正確であろうが、明確にしなかったのは結局は与党の差し金通りにすることになる。
この中で最も地方のあり方を象徴するのがJRである。最近こんなことがあった。釧路から根室までの花咲線の典型的な赤字路線線であるが、何しろ沿線の風景が素晴らしい。夏などは鉄道フアン垂涎の路線である。その宣伝のプロモーションビデオ制作の資金を募ったところ、数千万円集まるかと思っていたようであるが、3億円も集まったのである。今なおその金額は増えている。地方の現状と打開策を暗示させる出来事である。
カルロス・ゴーンが簡単に赤字工場と高値が付いた土地を売りさばいて経営を好転させたのに酷似するのが、自民党の地方の切り捨て政策である。
北海道のようなへき地は、政治的に的確な判断をしなければ、地方の都市に人口が集まり、さらにその人口は道都の札幌に集中してしまう。現在そうした動きを着々と進んでいるのである。当選した与党推薦の知事は、その判断を中央に委ねるというのである。が、秘境駅と名指しされて喜んでいるへき地は、自らに解決策を持つことはない。へき地は自らの命運すらしっかりとした意識が弱いのである。
地方の首長や農協や企業は中央からもたらされるお金を期待する。結果一時の収入があるだけで、産業が育成されるわけでもなければ振興され鵜わけでもない。
黙々と働くのが開拓地北海道を切り開いてきたといえる。カジノはそうした勤労の美徳を削ぐものである。民法でも賭博は禁止されていて、パチンコや競輪や競馬なども規制が強く、かけ事ではないとすることでお金の流れがないように仕組まれている。メリットがるとする表現は誤りで、金が儲かる場合があると表現すべきであろう。しかし賭け事に損得はあっても、賭場は絶対依存はしない。
カジノは北海道のイメージをないがしろにしかねない。ハワイにはカジノはないが、シンガポールや香港にはある。カジノの開設はう北海道への憧れを削ぐことにもなる。
泊原発には活断層があることが判明した。規制委員会が正常に機能すればという前提はあるが、泊原発の再稼働の見込みはない。早期に再生可能エネルギーに転換すべきである。そうした時期に来ているが、原発再稼働に判断すらできないのは、国交省出自の前知事の指示であろうが、早期に離脱をすべきである。
投票率がこれまでで最も低く、無投票当選地区が最も多かったことも、象徴的である。北海道民は自らの頭脳で志向することなく、自らの手足を動かそうとしなくなった。かつての開拓者の気骨が消えつつあるかに見えるのである。
北海道は自らの未来を放棄したかに見える今回の知事選挙の結果といえる。
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エネルギー生産こそ地域で賄うべきである。

2018-09-10 | 地方自治

北海道電力が社説で、北電の責任は極めて大きいと次のように指摘している。「電力の安定供給よりも、電源の集約による経営効率を優先したと言われても仕方ないだろう。」と、一極集中を指摘している。
地震後の停電についての本ブログへのアクセスが多く、広域停電の矛盾を指摘した。遠隔地の巨大施設の建設による発電力の集中は、やがて原発建設への思想へと繋がる。

日本の少子高齢化は均等に起きてはいない。それは僻地に優先して起きている。経済効率優先と大企業優先政策の結果であることを、僻地に住む者は痛感する。
経済学者内橋克人氏のFECという提案に共感するものである。(Food・食料)、(Energy・エネルギー)、(Care・福祉)は可能な限り、地域で賄うようにするべきだという考えである。
経済効率からかこれらの多くは、巨大な資本や政治力によって、都会に吸収されてしまった。そして遠くから与えられる、食糧もエネルギーも福祉も、結局は質的に劣る内容のないものになってしまっているのである。
特に食糧は、都会どころか海外から輸入されている。今は戦後食糧難の時に作られた多くの法律によって、海外の食料品への歯止めにはなってはいるが、安倍試験になってそれらが次々と壊されている。このままでは海外から、巨大資本によって製造された遺伝子組み換えが主流のものが大量に輸入されることになる。
先日あるビデオで、北欧などは日本がエネルギーを自賄しようとしないことに驚いていた。フィンランドのその小さな自治チアは、脱石油を掲げてほとんどのエネルギーを町内で賄っているというのであった。その関係者が日本は多くの資源を持ちながら、海外依存しているというのである。日本は、緯度が低く太陽の恵みが大きく太陽光発電に適しているし、降水量も多く山国で高低差があり水力発電の適地であり、火山国であり地熱などの地力発電それに、海洋国であるために波力や海流それに近年発掘されつつある海洋地下のガスなどの資源、海岸に面した年や住宅地が多く風力発電にも適している。要するに日本はエネルギー資源大国なのである。
再生可能エネルギーは不安定であるとか、小力であるとか、コストがかかるとの指摘がある。多くの再生エネルギーが不安定であるのは、性質上当然のことである。相互の連携や蓄電池の開発などの不安定さへの対策こそが、検討課題として行うべきであって、原発再稼働へと走るのは間違っている。コストの面は明かである。一見安価に見えた原発がこんなにも高価なものとは多くの国民が思い知ったことである。何より、再生可能エネルギーの寿命は極めて長い。次世代に残すべきは原発の脅威と汚染より、再生可能エネルギーであるこは明かである。
エネルギー大国の日本の再生可能エネルギーは、大資本が食指を動かさない。田舎に持ってくるのは、産業廃棄施設や原発や防衛施設や、不要者扱いされた物ばかりである。
エネルギー生産は、食糧同様に都会に適さない。地方再生を謳うのであれば、食糧とエネルギーを地方に任せるべきである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道の広域停電で根室管内では日量約2000トンが廃棄されている

2018-09-07 | 地方自治
北海道の内陸型の地震としては最大級になる、震度7を超える地震が胆振の安平町あたりを震源地として、6日午前3時8分頃発生した。「北海道胆振東部地震」と命名されたこの地震は、内陸型の割には人災はそれほどでもなかったのは過疎地であるからであろう。山の土砂崩れも尋常ではない。
当地(根室地方)は直線距離でも450キロほどであり、地震の揺れも被害もほとんどなかった。ところが地震と同時に停電してしまった。遠隔地のものからすれば、一時的な停電と単純に思ってみた。ところがマル2日になろうというのに、根室地方の酪農家にはほとんど電力が供給されていない。生乳は冷却されて、多くの農家は2日に1回のペースで集荷される。朝夕搾乳の4回分ということになる。この間の牛乳は約4度程度に冷却することになる。停電でそれもかなわない。自家発電機を緊急用として所有する酪農家も少なくはない。しかしながら乳業会社の方も停電しているため、生乳を処理も加工もできないために、受け入れることもできない状態である。
一方、乳牛は何としてでも搾乳してあげなけれれば、乳房炎などの病気になったりするし、乳量の少ない牛はそのまま上がってしまう。したがって、何とか搾乳はしてあげても、その牛乳は捨てなければならなくなる。当地の年間出荷乳量は78万トンである。単純計算で、毎日2000トンが廃棄されることになる。農家手取りから算出する金額は、損害額は乳代だけで毎日2億円程にもなる。

しかし、何とも理解できないのがこの地震による、北海道全域に及ぶ長期の停電である。震源地に近い北海道最大の、火力の苫東厚真発電所(165万キロワット)が被害を受けて発電能力を喪失したのは理解できる。この発電所は北海道電力需要のほぼ半量を供給していた。他に、火力の苫小牧(25万キロワット・以下同)、伊達(70万)、知内(70万)、奈井江(35万)、砂川(25万)、それに水力として京極(70万)、新冠(20万)、高見(20万)といった内容である。すべてが、北海道の西に位置している。高圧線で何百キロも道東には、送られてくることになる。
最大発電所がダウンしたことで、電力要求システムが一気に他の小さな電力に負担がかかり、一気に停止したとのことである。

電力が典型であるが、近代化に伴って日本は巨大な資本で、先行的に産業を振興させる手法をとってきた。ところがそれが定着しだすと、独占化することになり長い時間の経過の中で権力と癒着する。本来は、電力は消費地に生産し供給させるものである。巨大な発電施設を建設するために、僻地や遠隔地に建設されることになる。原発に危機感を持たないのは、都会の人が知らないだけである。危機を感じる現地には金をばら撒き黙らせる手法をとってきた。
電力輸送のロスもばかにならない。高圧線を指さしドイツの学者が、「あれは何ですか」と質問されたことが忘れられない。本来電力などのエネルギーは、最小限の地域で賄うべきである。その中で相互の保管があってこそ、現在はうまく拾うことのできない風力や波力や水力や地熱などを電力に変えることができる。発電施設の巨大化思想が生んだ原子力発電であり、今回の巨大火力発電なのである。
それにしてもあと何日停電が僻地には課せられるのだろうか。
コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野中広務の死を悼む

2018-01-26 | 地方自治

自民党元幹事長の野中広務氏が亡くなった。強面の歯に衣着せぬ厳しい発言から敵も少なくない。野中氏の敵は政界にしかいない。彼に私的な敵はほとんどいない。
私は高校出るまで京都で育った。野中氏は京都府の園部町という小さな町の町議会議員を(3期)務め、その後園部町長を(2期)務め、京都府議会議員を(3期)務め、社会共産与党の蜷川府政の下で野党として対峙したが、その後の林田知事の元で府知事として6年務めたのち、国政に進出衆議院議員になった。すでに野中は58歳であった。たたき上げ政治家の典型である。野中はいわゆる出身者でもあった。
小泉純一郎の政治改革に、「非業の政治」と真っ向から反対し、抵抗勢力と言われながら敗北し、政界を引退した。自民党にいながらも、現場を知らない政治家には妥協することがなかった。小泉純一郎をはじめ小沢一郎や麻生太郎や安倍晋三など下積みを知らない政治家とは、常に一線を引いていた。
自らの戦争体験から、二度と戦争はしてはならないと訴え続けた、護憲派であった。やがて戦争を知らない政治家が権力を握るときに、戦争を平気で口にするようになると警告をしている。
義理堅く恩義を受けた人には尽くし、自らの立場を必ず底辺から見る。国家公安委員長の時に、長野サリン事件の誤認逮捕には真っ先に行き、河野氏に謝辞している。因みに、長野県警はいまだに謝罪はしていない。
野中を慕うものは少なくはない。パフォーマンスが苦手な愚直な政治家であった。上にへつらい下を見下す政治家ばかりになった現在、党派を越えて共感者の多かった野中の死を悼む。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

格安航空は事故を起こし地方を疲弊させる

2018-01-16 | 地方自治

トルコ北東部トラブゾンの空港で13日夜、格安航空会社「ペガサス航空」の旅客機が着陸時に滑走路を外れ、黒海に面した急斜面を滑り落ち、機体は海に落ちる手前で止まった。ほとんど奇跡の停止である。
乗員乗客168人にけがはなかったのが何よりであるが、間一髪のここしかないという所で黒海に転落はしなかった。防御癖もない空港の滑走路を外れ、まるで劇画のような曲芸技の事故である。
今回の事故原因は解ってはいないが、途中にエンジンは落ちていたとのことであるが、バードストライクの可能性も指摘されているが整備不良も考えられる。格安航空機はよく事故を起こす。

そもそも、格安航空(LCC)よばれる航空機会社の事故が絶えない。格安なのは格安の理由がある。羽田千歳間など、3,000円台のものもあるくらいである。タクシーにちょっと乗るとそれくらいにはなる。こんなに安いのはどこかで手を抜かなければできることではないが、それ以上に問題なのは地方を直撃するからである。
6年前にも本ブログで書いたが、格安航空が来るのは、お客が多い特定の路線に限られる。おかげで大手の航空会社は競争に負けないようにと価格ダウンをする。便数の少ないところは格安航空は見向きもしない。
そのあおりを食らうのがお客の少ない路線である。お客の少ない路線とは田舎の路線、地方の空港である。北海道の地方の空港は激減した。本州方面に行くときには、羽田を経由しなければいけなくなった。経済原則が地方を疲弊させている。地方創生を掲げるなら、距離で運賃を決めるべきである。
国鉄がいい例である。分割民営化でいい例である。郵便物は、隣に出そうが沖縄に郵送しても同じ金額である。書籍も再販制度(再販売価格維持)があって、生産者が販売を指定すのでどこで購入しようが同じ価格である。地方にとってはありがたい制度である。経済原則とは、貨幣に換算されるものだけを評価することである。水や空気などを浄化する僻地は評価されない。
田のの国鉄の民営化では、自民党はそんなことはないしませんローカル線は一本もなくなりませんといっていたが嘘である。分割したことで、人口密度の低いところはすっかり鉄路が消えてしまった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄民営化の自民党の嘘、30年目の今日この頃

2017-04-01 | 地方自治
今日は国鉄が民営化されて30年目になる。30年前は昭和が終わろうとしていた時期で、総評が同盟と合流して連合となり、電電公社と専売公社が民営化されてそれぞれNTTと日本たばこになった。戦後が消えてゆくときであった。
国鉄の民営化は、50万を超えた国労の組合員対策、政治判断であった。中曽根内閣が国鉄を民営化させるだけでなく、分社化を進めた意味がそこにある。上の宣伝文は自民党が日本の新聞各紙に掲載した、ふんだんに嘘を羅列したコマーシャルである。
ブルートレインはなくなりましたし、何よりもローカル線を次々と切り捨てている。全国一律などなっていない。トップに掲げた「国鉄が・・・あなたの鉄道になります」という騙しのコピーは、今となっては笑う以外にない。民営化はともかくとして、国労を失くすために分社化が行われ、国労の幹部職員が再雇用されないという陰湿な闘争がその延々と続くのである。
JR東海、JR東日本、JR西日本は順調に黒字を重ね、九州も頑張っている。四国と北海道の島組が赤字経営である。特に北海道の経営は悲惨である。これまでほぼ半分の距離にもなる、1142キロを廃線にしている。この他に線路やトンネルや橋まで作ったがレールが敷かれるこのなかった、超ローカル線がかなりある。
JRの分社化で地方が切り捨てられた形になっている。JR北海道はこの間、13000人の職員を7000人まで減らした。15年間ベースアップを抑えられている。この30年で4500億円の減収があり、国の追加支援も4200億円減らされている。全路線の4割を廃線にした。しかしながら、こうした企業努力に加えて、事業の本質を放棄したとしか思えない姿勢が引き起こした事件、事故が度重なる。列車火災や数多くの車両やレールのトラブル、杜撰な点検と放棄、データーのねつ造などである。どうやら民営化以降恒常的に行われていたようである。目先の営利だけを求めた結果と言える。
先月JR北海道は、単独で全線の維持は難しく、4割ほどを廃線を検討していると表明した。そして、下になるレールの維持管理を自治体に任せるとする、上下分離方式などを検討してくれと地方に匙を投げ返している。
航空会社の場合は、便こそ少ないが地方空港まで運営している。最近ドル箱だけに限って運営する、格安会社の出現は、こうした航空会社の経営を圧迫する。このような良いとこ取りと全く同じなのが、JR本州グループである。人口が多く物流も盛んなところが潤うのは当然である。野放しで営利事業奨励を追及してきたのが、中曽根自民党が国民を騙して強行した、国鉄の分社民営化の本質である。
地域格差も、貧富の格差も全く同じ構図である。潤う地域や人たちや企業が、地方や貧困層を騙す構図は、現在に至る安倍政権まで、連綿と続いているのである。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都民は石原慎太郎を知事に選んだことを恥じなければならない

2017-03-05 | 地方自治
石原慎太郎が大量の票を獲得して東京都知事に選出された。行政手腕もなければ、政治的見識もない。唯一政治家として彼を支えるのは、幼少期に叩き込まれた軍国主義、ナショナリズムである。東京都民はそれに気づくことなく、名が知れている作家を選んだポピュリズム感覚を反省するべきである。
一昨日の石原の弁明記者会見を見たが、ばかばかしくて開いた口が塞がらないというより、評論にも値しない会見だったといえる。弁明にもならない、無籍に極まりない会見といえる。上司が部下に責任を押し付け、私は悪くないとは、笑止千万であるが、石原なら仕方がない。
週に2日ほどしか出勤することなく、海外視察は豪遊といえるものである。舛添などのチンケな公私混同など、足元にも及ばないが、マスコミは石原は叩くことなく、舛添を面白おかしく取り上げ中傷し続けた。
新銀行東京には、1400億円もの都民の税金をつぎ込み破産した。日中関係を悪化させた歴史的愚策、尖閣列島を買うからと集めた金の行方もままならない。4男の作品を高額で都に買い込ませ、「余人をもって代えがたい」と意味不明の言葉を発した。なのにどうして、東京都民は石原慎太郎が好きなのだろうか。明瞭であっても、中身のない言語を並べ断定する技術が好きなのだろうか。

「最高責任者として、審議会なり専門家の特別委員会なり、あるいは議会は調査権を持っていろんな調査して、委員会でもきわどい採決で可決されたわけですけども。それを踏まえて、私は最高責任者として、とにかく豊洲移転に裁可願いたいということで、それを承諾して裁可しましたということで、私のハンコを預かっている課長さんが私のハンコを押してことが決まったわけです」
この文言に、石原慎太郎の無能と無責任が象徴的に表れている。一般社会では全く通用しない話である。「最高責任者として裁可したことに関しては責任があるが、私一人というよりも行政全体の責任だ」は、無責任もここに究めりといった感じだ。ハンコ押したけど俺に責任はないというのである。

農家は資金繰りに困り、友人や親せきに保証人になってもらうことがよくある。それでも倒産し離農することになると、「ハンコ押しただけ」という弁明などまったく聞き入れてもらえない。連鎖倒産も珍しくない。
石原慎太郎の、寝ぼけたような責任回避論など、どこの誰が聞いてくれるものか。石原には賠償責任がある。それができないようであれば、100条委員会開催など意味がない。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄宮古島市長選を野党共闘の教訓に

2017-01-23 | 地方自治
任期満了に伴う宮古島市長選は昨日(22日)投開票され、保守系無所属で現職の下地敏彦氏=自民推薦=が9587票を獲得し、3期目の当選を果たした。選挙の争点は現職市長が、自衛隊を誘致したことへの実質信任投票である。
御多分に漏れず宮古島も過疎化が進んでいる。現職が中国の海洋進出に呼応して安倍世間が、数基のミサイル設置など自衛隊の基地にする方針に答えた形である。これに対して宮古島が標的にされるようになると誘致反対派が、観光振興などを掲げ、これまで無風選挙が多かったのであるがにわかに選挙になった。選挙には4名が立候補したが、自衛隊誘致反対派の奥平一夫氏はわずか375票及ばず敗北した。民進党の支援を受けた奥平氏は、オール沖縄を掲げて翁長知事の支援を得て戦った。
ところが、社民と沖縄の社会大衆党が別候補の下地晃氏を推薦したのである。彼は4020票も獲得している。野党共闘がなされていれば、自民党推薦候補を破ることができ、自衛隊配備反対の島民の意思は示すことができたはずである。
選挙結果を受けて、菅官房長官は「陸上自衛隊配備容認の意思が示された」と表明している。自衛隊配備が事実上決まった形である。静かな南の島は基地の島になる。選挙民の意見が別れなければ、多くの住民が望まない自衛隊配備はなかったはずであるが、過疎化に悩む地方の苦悩がここにも見える。
巨大な財源を背景に与党は公共事業を地方に持ってくる。地方は今回の宮古島の選挙に見られるように、民意が分裂し苦悩するのである。こうした大きな問題については、野党共闘しか道はないのである。野党は。宮古島市長選を教訓にするべきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都改革、毒には毒をもって制すればそれも良かろう

2016-09-30 | 地方自治
東京都知事の小池百合子が、点数の荒稼ぎをやっている。豊洲移転市場の地下空間の存在と、専門家会議の提案の盛り土を無視した経緯など、全国何処でもお役人がよくやる話である。今回は問題が大きかったので、騒いでいるだけである。小池はその絶好のタイミングを得たのである。
知事は記者会見で、ピンポイントでの責任の所在は不明だというのである。お役人は責任が分散するように体制を作っている。集団的責任分散体制そのものである。石原都政時代に作られた責任者所在の文案体制は、東京都銀行の破たんがいい例である。お役人に言われて、あるいは誰かの進言でパフォーマンスの好きな、石原が飛びついてみたが、破たんしても誰も責任は取らない。都民の税金で穴埋めしたのだから、都民が責任を取ったことになる。
これだけ文書が揃っていながら、専門家会議の提案を知らなかったはずがない管理職が、決済内容を確認することがなかったのである。部下を信用したという言葉で飾るほど、上級者は愚かなのである。民間ではありえないことである。

本ブログで何度も触れた東京オリンピックであるが、メインスタジアム以外は半径8キロ以内の既存の施設を80%を使用する、ということで誘致を成功させた。安倍晋三の、放射能はコントロール下にあるという虚偽の発言も手伝って、東京に誘致させたのである。
施設に関することも嘘である。誘致成功後は全くなかったことのように、大盤振る舞いをするのである。お役人が良くやる手であるが、とりあえず嘘でも何でもいいから事業を承認させる。オリンピック誘致も同様である。自民党のだれかバカ議員が発言したように、小さく生んで大きく育てるのである。事業の承認さえ取り付ければ、あとはどんどん増やしていくのである。
おりんぴっきご使用目的がないものは、全て仮設でも構いはしない。メンツばかりが先立つ、森喜朗など労害もいいところである。オリンピックは東京都が誘致するものである。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗、それにオリンピック、パラリンピック担当大臣の丸川珠代、それに文部大臣やスポーツ庁長官などのお歴々がずらっと並ぶ。そしてこの頂点がいない。
年齢から、森喜朗が責任者面しているが、本来は東京都知事である。
そもそも、オリンピック誘致を経済成長への足掛かり、公共事業のお零れを期待する腹づもりでいる連中のやましい思惑が、これらを混乱させるのである。
それに、小事を突き回すマスコミのおかげで、知事の資質や業績とは無関係のくだらに事で、次々と知事を辞めさしたことも大きい。ここにも責任者がいない。お役人が責任取らずに、お横柄にふるまう素地が生まれることになった。

それにしても全く気に食わないのは、核武装論者の小池百合子がどんどん点数を稼ぐことである。都議会の悪癖を暴くには、毒には毒をもってかも知れない。来年の都議会選挙で、自民党が分裂して石原親子の存在が搔き消されればそれもよかろうというものである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舛添をあんな叩いたマスコミは、石原慎太郎にはなぜか及び腰

2016-09-20 | 地方自治
あれほど、ショウモナイ知事権限とは無関係の些末な、チンケなことばかりで舛添要一前知事を、いいだけ叩いたマスコミである。本ブログでも、巨悪を叩くべきと指摘はしてみたものの、面白おかしいのであろうやめることはなかった。結局は辞任まで追い込むことになり、セコイ舛添は強姦で捕まった女優の庶子のお坊ちゃまよろしく、マスコミに一瞥を投げかけて姿を隠した。
豊洲市場移転にかかわり、専門家会議の提案を無視し盛り土を行わなった件は、石原慎太郎の責任であることがはっきりした。知っていれば大きな問題であるが、知らなければそれ以上の問題がここにある。
だが、ところが、日本のマスコミは詰められると居直り凄んでみせる石原慎太郎の追及には及び腰である。石原の行状は、せこくはないが巨悪を平気でやりつづける。

ところで上の表であるが、日刊ゲンダイが調査してくれたものである。豊洲移転を巡っての責任ある立場の都の職員であるが、その後は極めてご立派な職に就かれている。これほどいい加減で、専門家の指摘を無視して、食べ物を扱う市場で安全を無視し、誰かの意向に沿った判断の責任は厳にとらなければならない。
ところがどうだ、ほとんど全員が外郭団体へ天下っている。この方々は、後程都が行う事業の情報を人的つながりからいち早くキャッチし、内通者を作り上げて、がっぽりと国民の税金を、事業という名でいただくことになるのであろう。彼らには事業がなければ、事業を作ることすらできる。
石原自身は、衆議院議員になって、太陽の党など作って、タチガレてしまった。国政を混乱させただけであり、この男は出世できなかった。伏魔殿とは石原をも含んだ利権求める組織のことである。

マスコミは都民を冒とくした石原慎太郎の責任を追及するべきであるが、同時に職員側の責任者を白日の下に曝すべきである。そもそも豊洲移転こそが不自然であり、石原都政への疑念の本質があろう。
マスコミは石原慎太郎を叩く勇気がない。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石原慎太郎が盛り土案を潰す提案者だったことがはっきりした

2016-09-16 | 地方自治
昨日書いた石原慎太郎についてのことは、BS放送で述べた彼の言葉を、『正しい発言』という前提で、彼の無責任さを述べたものである。ところが昨日になってすっかり様相は変わってしまった。
石原慎太郎は都知事時代の2008年5月10日の定例会見で、豊洲の土壌汚染対策について「技術会議が提案していた盛り土案より、もっと費用のかからない、しかし効果の高い技術を模索したい」と、「インフラ(建屋)の下に空間を設けて安くする方法がある」語っていたのである。
この事実を石原はボケたのであろうか否定し、「当時の市場長が言ったのをそのまま喋ったけだ。俺は素人だからよくわからん。」と述べ、都は伏魔殿だと言ってのけた。部下に責任を擦り付け逃げ切るつもりだ。
しかし、当時の都中央卸売市場長の比留間英人氏が15日、本紙の取材に応じ、「石原氏から『こんな案があるから検討してみてくれ』と指示を受けた」と明かした。
比留間氏は地下にコンクリートの箱を埋める案について、石原氏から指示を受けたと認め、時期を2008年5月ごろと証言。「私の記憶では、工費や工期を検討した。しかし、かなり工費が高かった。2009年1月か2月ごろ(別の専門家による)技術会議で工法内容がまとまり、石原氏にコンクリート箱案は採用できないと伝えた」と述べた。(東京新聞)
つまり、石原が専門家会議の方針に反し、盛り土をしない工法を独断で模索していたことが判明した。自分は素人と言いながら、責任逃れに必死である。石原慎太郎は、パフォーマンスが好きで、大騒ぎになることなら何でも食いついた。せっかく日中で問題を抱え、双方に領土問題の認識のずれを認識を持ちながら触れずにいた状況であった尖閣諸島を、外交のど素人の石原が火をつけて炙ったのである。
結局民意など関係なく、言葉とパフォーマンスと居直りで居直り続けた、石原は都民を騙す格好で命脈が尽きることになる。少し遅かったけれど・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕は騙され?嘘つけ!石原慎太郎君!!君は騙した側なのですぞ!!!

2016-09-15 | 地方自治
BS放送のプライムニュースで、石原慎太郎元東京都知事が豊洲市場建設に関して、「僕は知らなかった。騙されたのですね。我々は現場に行くことはないから。」。と平然と述べたとのことである。
この男には組織についての現実感がない。騙したのは都の職員である。石原慎太郎は都の組織のトップにいた。彼らの上司である。私も小さいながらも組織にいて、部下を抱える立場にいたことがある。部下の不祥事には困ったことが数多くあるが、責任は決して部下には擦り付けることはしないよう心掛けていた。直接叱責することはあっても、責任は自分にあるとする自覚はあった。
豊洲市場の盛り土の問題の責任は、時の上司にあるのは当たり前である。石原慎太郎が最高責任者、最終責任者である。私も騙されたと、まるで被害者のように振る舞うのは責任逃れであって、部下に責任を擦り付ける最低の上司である。騙されたのは都民である。
そもそも、週に二度ほどしか顔出さないようなトップが、部下を掌握できるはずもない。部下を信じていたなら、自らが騙す側にいた責任者であることを認識し、猛烈に反省し都民に詫びるべきである。
週に二日しか顔出さないような知事を、都の職員が信じるわけがない。今回の不祥事の責任は直接的には、時の知事石原慎太郎にある。そして、今日のような体質にしてしまったのは、石原慎太郎である。この男には、地下で蠢く利権の構図を知ることはない。この男は、腹心の副知事でさえ詰め腹切らされるほどの都議会の現状すら理解できない。現場に行くことのない責任者に、東京都民は支持を続けた。自民・公明に上げ奉られ、その代償に黙することで、知事職を続けていたにすぎない自分の立場を知るべきなのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都知事選挙に民主主義劣化の縮図を見る

2016-08-01 | 地方自治
東京は一地方自治体とはいえ、日本の首都であり選べれる首長は日本最大の票を獲得する。今回東京都知事選では、小池百合子氏が当選したが、ほぼ300万票という巨大な支持者を得たことになる。支持基盤からすれば、分裂した事項に比べて、ほぼ対等の支持基盤をもつ野党は連携したのであるから、鳥越が圧倒的に有利のはずであった。
ところが現実は、不評の増田を担ぎ出した自民党候補をも下回り、小池の半数以下の得票であった。野党は浮かんでは消える候補者を探しあぐね、およそ政治には向いているとは思えない、鳥越を担ぎ出した。第一声が、まだ政策をまとめていませんですから、支持者が集まってもほとんど演説をしなかったことなど、多くの野党支持者の選挙民も離反した。宇都宮健児氏は立候補を直前に止めて、鳥越氏に託するということであったが、政策を出さない鳥越を支持することもなかった。ある調査では、共産党支持者の30%が小池に投票したというのであるから、敵失もいいところであろう。自民党は敗北したわけではない。むしろ二手に分かれて票を掘り起こしたといってもよかろう。小池は思想的には安倍に近い存在である。いずれほとぼりが冷めたら、見せかけ壊れた関係も修復することになる。
小池の選挙手法も効果的だった。鉢巻が受けたので、増田も真似たが二番煎じもいいところである。石原慎太郎の厚化粧発言も女性票を獲得することになった。小池はほとんど政策らしいのを訴えていない。できもしない冒頭解散はともかく、都政の見える化や五輪の適正化や多くの政策は何の特色もなく、政策などと呼べる代物ではない。野党の敵失や自民党が締め付けにかかったことも票を集める結果となっている。
こうした劇場型のパフォーマンスは演技によって作られる。選挙という大きな洗礼を受け止めるためにための、政治技術である。こうして為政者が選ばれるが、例えば東京都民の70%は反原発であるが、小池氏は稼働容認である。憲法についても東京都民の半数以上は改憲敗反対であるが、小池氏は現行憲法を廃棄し5月3日の憲法の日をなくせばいいなどとおっしゃられている。

民主主義を現代の政治家や識者は高く掲げるが、それは多数でもなければ国益優先でもない。民主主義の底流に存在しているのが、憲法に明記されている主権在民である。主権在民の表現形態が民主主義なら、世界各国の民主主義の形態は一様でないのも、おかしな話である。類似に民意という言葉があるが、これは簡単にマスコミに作られてしまう。さらにこれらは恣意的ですらある。
主権在民を実現するためには、情報の公開と絶え間ない為政者の国民への問いかけとその還流が必要であろう。
多くの為政者はいったん得た地位を固執し、まるで王政のように権力をかざし振る舞う。最もみじめな権力者は私腹を肥やすことの奔走する。
未だに政治目的の内容ではなくパフォーマンスが優れたものが勝ち、政治内容ではなく金銭問題やスキャンダルで失脚する政治家がいるのも、こうした質的劣化が政治を貧困にしているのである。小池氏の民意を汲む主権在民政治を望むものである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港