井上ひさしさんが亡くなられた。北海道新聞では追悼の文章が、芸能欄に掲載された。文芸欄ではなく、芸能欄に井上さんの追悼文が載ったことが何か象徴的でもある。
井上さんは、極めて筆の遅い作家として知られている。井上さんは小説家であり脚本家であり舞台作家でもあった。何度も志望大学から拒否されて、思うような大学生活でもなかった。苦学生でありながら、女遊びに没頭するなど、決して順調な道を歩んでこられた人ではない。悲惨な幼少期を過ごすなど、生い立ちも家庭内暴力と貧困で相当惨めであったようである。
井上さんの書かれた文章にはそうした暗さはない。「難しいことは易しく、易しいことは深く、深く掘り下げたことは愉快に明るく・・・」だったかの文章を残している。
井上さんの活動に二つ共感している。一つは九条の会の呼びかけ人であったことである。井上さんよりも高齢者の方は沢山おられるけれで、その人たちより先に逝ってしまった。平和の大切さを、軍国教育を受けた世代として強力に発信してこられた。平和憲法を平易に、だれもが読めるように説明された。
あんな時代に戻りたいのかと、庶民の目線で戦争体験や憲法を説く。難しい局面になればなるほど易しい言葉で説得します。自分の立場に戻って考えましょうとか、だれもが戦争をしたくないと多くの条約をしてきましたがそれらを引き合いに出して、平和の大切さや九条の持つ意味を、遅筆そのものの語り口調で説得します。
井上さんにもう一つ共感するのが、お米の問題です。米所の山形に生まれた井上さんは、お米の持つ意味を文化的に、歴史的に、自然環境的に、栄養学的に説明します。豊葦原瑞穂の国と日本がなったのは、この国の風土にお米がぴったり合ったからです。そして、お米を作ることによって、ムラやが成り立ち、日本文化が培われてきたのです。日本人の勤勉さや、お互いを支え合う文化はお米の作り上げたものだと井上さんは説明します。
つまり、平和であることと、食糧の自給は全く同じことなのだと、井上さんに教えられました。訥々と話す井上さんが亡くなられたことが残念でなりません。井上さんの冥福をお祈りいたします。