1987年の国鉄の分割民営化に伴い、国労に所属する多くの職員のJRへの採用をしなかった。当時最も左翼として活動していた、国労職員へのイデオロギー的差別である。この差別に妥協した者もいれば、徹底的な抵抗した人たちが法廷闘争に持ち込んだ。それから四半世紀も経っての和解である。
与党三党に公明党を加えた案を政府は調整して受け入れた。最終的にまとまったのは、一人当たり平均2200万円を払う(100名足らずで総額約200億円)、再雇用に関しては、政府がJRに要請することとなっている。
余りにも長い年月は、当時の先鋭的な対立を収めた格好になったのであろう。その間に、東欧諸国の崩壊があり東西冷戦の終焉があった。そうしたことの犠牲になった職員たちは哀れであった。
国労の職員たちは、様々な内職やアルバイト更には関係機関からの支援を受けながら生き延びて来た。910名ほどの23年は余りにも長かったと思われる。
私たちのような僻地からは、国鉄の鉄路が消えてしまい鉄道跡地や職員住宅がいつとはなしに撤去されて、若い人たちは国鉄があったことすら知らずにいる。隔世の感がある。
政権交代がここにも影を落としているのであろう。新党が乱立しそうな現在、ここに公明党が加わることで、自民党の浮上の目は全くそがれたと見て良いだろう。