日本の農業を活性化させるために、様々な模索がされている。その事はなんとか評価をしたいところであるが、的を外れていないかと思われるものも少なくない。その典型が、「農の6次産業化」である。
6次産業化とは、作るのが1次産業でそれを加工する2次産業に、販売する3次産業までふくめた体系にすることを意味している。1+2+3で6次産業と言うわけである。確か作るだけではなく、加工とまで行かなくても生産物の意味や価値を消費者に知らせる必要はある。特に、最近の都会人には食の意義や意味を知って貰わなければならないことが数多くある。
おいしい牛肉は、牛の頭部を叩き穴をあけて放血して殺し、バラバラにしなければ食べられないことすら知らず、無頓着になって"かわいそう"などと言う。見た目に綺麗な野菜なが危険などとはだれも思わない。そうした意味で、農産物の生産過程やその意味を知らせる必用はあると思われる。
コンビニのおにぎりの生産者手取りは、僅か15円ほどである。おにぎりの値段は、他の具で決まると行って過言ではない。200円なら数パーセントしか生産者のものにならない。加工賃やノリや梅干しなどが大きく価格に占める。おにぎりの本質、食としての存在意義は米である。その本質部分の手取りが数パーセントしかないのは問題ではある。
然し、流通や販売まで手がけるとなると、特定の地域や農産物に限られてしまう。あるいは、そうとの販売のセンスのある人材がいなければ、とうていないし得ないシステムである。三重などの特定の地域で成功を収めている団体があるが、とうてい一般化できるようなものではない。
現在の日本で、食に対する一般的な知識や認識不足が大きな問題だと思われる。食を他の商品と同等に扱うことの危険性が認識されていない。
それよりもっとも重要なことは、生産地である僻地の疲弊である。高齢者が主体となった限界集落は、細かくわけると数千の集落にならんとしている。先人の築いた歴史と文化、それに食の生産地が崩壊ではなく消滅しようとしてるのである。6次産業化ではこうした問題は解決はされない。