古くから言われているが、日本の国会議員の給与が異様に高い。そして人数が多い。イギリスのドキュメンタリー番組で、「世界の民主主義」というのをやっていた。世界中の国は大きな矛盾の中で政治をやっている。とりわけ国会議員は、様々な案件に取り組んでいる。途上国は賄賂と暴力が横行する、そうした様子を淡々と流していた。奇異だったのは日本の民主主義の紹介である。日本の選挙を紹介していた。街頭や駅前で名前を連呼し、頭を下げて握手をする立候補者をナレーションもほとんどなく流していた。政策を述べるわけでもなく、名前を覚えてもらうための連呼である。我々にとっては見慣れた光景ではあるが、これが民主主義の原点かと問われると返答もない。
おまけに日本には「供託金」という、財産や組織がなければ立候補できない、世界の誇るべき異様なシステムがある。憲法44条の「両議院の議員資格及び選挙人の資格は・・(中略)・・財産又は収入によって差別してゃならない」に抵触すると思われる。更にその政党は、共産党を除き”政党助成金”なる支援を国家から受け、これまた憲法に抵触する支援の中にある。
日本の国会議員の給与は異様に高い。金額に約と頭についているのは、活動費や特権などがあることを意味しているのだろう。巷間議員一人当たり年間1億円は使っていると言われている。それらを差し引いても、4000万円は高いといえる。
この異様に高い人件費は、政治的無能であっても金目当ての人物が、人脈があれば議席を得る可能性があるという温床になる。ロクな仕事もしないし出来なくても、「ヨロシキオネガイシマス」を連呼し、どこかの政党か企業か組合の支援があって、握手を繰り返すだけで日本国民は投票してくれる。口先の上手い人物は、政治理念もなく責任感も欠如した人物でも、年収4000万円の議席が得られる。田舎なら、先生と呼ばれ祝いの席などでは、上座を与えられる。
東北地方の小さな村が、議員報酬を日当性にしたそうであるが、財政再建に興味があるなら、消費増税などは考えず、自らの身を削るべきである。社会保障費の充実と、政治家が自らを律するために与野党取り組むはずだったが、安倍一強になってどこかすっ飛んでしまった。
哀れなのは次世代の国民である。膨大な負債の中で使われなくなった原発の処理にせっせと金をつぎ込まなければならない。全て無能な国会議員と安倍晋三の尻拭いである。