韓国側の計算によると、北朝鮮のミサイル製造にかかわる費用は、テポドン2号機発射でおおむね6億ドルかかっている。これをコメのキロ50円ほどの国際相場に換算すると、141万トンになる。これは、北朝鮮のおおむね600万人の飢餓を救うためのコメの量、70万トンの2年分に相当する。
飢えてまで、強制大国を建設するのだという、国家としてのメンツを地で行くものではある。国民を飢えさせてまでも、核やミサイルを製造するというのである。金体制の維持しか、この国の存続に意義を見出さない国家体制を、社会主義国家と呼ぶことができるのだろうか?
北朝鮮の最大の問題は、飢える国民である。国家がどのような体制を保とうと、あるいは国益を追求しようと、すべては国民のためになるはずという前提があってこそ容認される。
北朝鮮にはそれがなく、為政者みずからとそれを取り巻き、権力の暴力に恐れる人たちの保身しか、前提にない。
情報を極端に制限された人たちには、選択肢を模索する手段も知識も持たせない。極めて不条理な政治体制といえる。
北朝鮮の持つ脅威と暴力性ばかりを前提に多くの報道がなされているが、情報と食糧を奪われ国家暴力におびえる人たち、国民の人権こそ最も大きな問題なのである。
もう北朝鮮は、引っ込みがつかなくなってしまったのではないでしょうか?
この国は、共産主義国家でもなければ、社会主義国家でもないでしょう。
ところで、日本の右翼勢力は当然と言えば当然なのですが、「日本も核武装し、
やられる前に叩け!」という論法をくりだしています。
その際に彼らが必ず引き合いに出すのが「拉致問題」です。
石原慎太郎は「私だったら、北朝鮮と戦争をしてでも、拉致被害者を救出する」
と言っています。
良く考えるとおかしいですよね。日本が本当に核武装して、北朝鮮をたたいたり、
アメリカが北朝鮮に原爆を投下したりすれば、確かに北朝鮮を壊滅させることはできます。
しかし、その際に拉致被害者もみんな、北朝鮮と運命を共にすることになってしまいます。
横田さんの、お母様が「戦争は二度とやってはいけない」と、発言したことがありましたが、
その時一瞬、不思議な雰囲気になったことを、良く覚えています。
金政権下で不幸を被ったのは、日本だけではありません。
「コッツェビ」という子供たちも、被害者なのです。
ただ「北朝鮮をやってしまえ」という理論は、よく考えれば、日本にとっても、
大きな痛手を被る可能性のある理論だということが、言えると思います。
北朝鮮を攻撃したくてたまらない輩は、拉致被害者をダシにしていますね。
詭弁ですね。