先ごろ、テレビ番組に関する気になる二つの報道があった。一つは、あるある大辞典とやらのことである。こんな田舎でも、納豆が店頭から消えてしまうほどの影響力がある番組を、残念ながらほとんど私は見たことがない。もともと信用していないからである。類似の番組も、所詮テレビでしかないからと思っている。
この国の人間は、こんなにも簡単に番組を信用する軽薄さを垣間見た気がするが、納豆関連の株が急上昇するのまで見ると驚きを隠せない。
競争相手の他の局は、これ幸いと一斉砲火の感がある。それでは、フジテレビのほかの番組は、雪印や不二家が他の商品まで影響を受けたことを考えると、この局の体質まで問われないのは不思議な感じがする。攻撃する他局はどうなのだろう。
いまひとつは、NHKの従軍慰安婦問題を扱った番組の改編問題である。番組は元慰安婦の証言や天皇に関する部分を、圧力で変えたということを東京高裁が「編集権限の乱用・逸脱」を認めたことである。編集者は罰せられたが、同じく圧力をかけた安倍晋三や中川昭一たちの圧力は認めなかった、片手落ちの判決でもある。
安倍晋三たちは慰安婦も金をもらっていたのだから、国内の慰安婦と変わりない。韓国や満州に日本は道路や鉄道や工場などを作ってやったのだから、礼を言われてしかるべきだなどと発言を繰り返していた。占領下で収奪するためのインフラ整備を感謝する民族などいない。
公共放送のNHKが国民ではなく、政府や権力者におもねるようでは、大本営発表と同類に堕してしまう。
テレビ番組製作者は、自らの持つ影響力の大きさを認識していないのではないか。それとも、自らも所詮テレビ程度のことだからと思っているにであれば、その影響力を