そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

タンデム体制がどこまで続くか

2009-05-12 | プーチン

メドベージェフがロシア大統領になってちょうど一年が過ぎた。2期8年の大統領を務めたプーチンは、引退せずに首相の座に収まっている。当初はプーチンの院政と言われていた。2頭(タ2 ンデム)体制と言われている。

エネルーギーの国際的な高騰と国内の開発で、急速にロシア経済を立て直したプーチンへの、国内支持率と評価は高い。今でもメドベージェフを上回っている。プーチンは制度上やむなく2期で退いた大統領の地位を狙っていると、巷間言われている。しかし、この1年でメドベージェフは自ら進んで、プーチンとの違いを見せ実績を重ねている。

言論弾圧を繰り返し、特定のメディアしか受け入れなかったプーチンに対して、メドベージェフはイギリスのBBCのインタビューにも応じている。オバマとの関係を急速に接近しようとしている。外交のメドベージェフを強調している。自らを、ロシアの国家主席であり、最高権力者であるとそ1 のインタビューで述べている。この1年で、メドベージェフは存在感を大きくしてきている。

プーチンは財閥主導の経済構築を図り成功したが、ここにきて急速な経済悪化で、大きくプーチン時代と決別しようとしている。人事権を大きくふるって、大統領権限の強化を図っている。どうやらプーチンは気に入らないように見える。

市場経済を重視し貿易による立て直しをおこなうプーチンに対し、メドベージェフは国内経済重視の内需型を志向している。プーチンが軍中心のチェチェン民族掃討などを行っていたが、メドベージェフは治安警察をによる政策に切り替えている。

二人は友人関係にあるとプーチンが強調するが、どうやら二人の蜜月関係は時期大統領選挙に向けて、対立関係にまで発展するものと思われる。プーチンのご指名で就いた大統領であるが、メドベージェフはこれを死守するようになるものと思われる。どちらかが、3年以内に粛清されることになるのではないか。

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農業・食糧問題を考えるその1

2009-05-11 | 農業と食

日本の農業問題は、戦後様々な局面を迎えるごとに変質してきて、今日に至っている。きわめて複雑な状況になっている。そこで、本ブログをご覧いただいている方に、何度かに分けて、日本の農業問題の深刻さをお伝えしたいと思います。当分は問題の列挙になることをお許し願いたい。

私はてっきり軍事お宅と思っていた石波茂氏が農水大臣になって、極めてシリアスな農業問題を提起するようになり、この男を見直す現在である。鳥取県の出身で、当選当初から農業問題に取り組んできた実績と、くそまじめな性格から真っ向から減反政策を取り上げている。

「農政改革関係閣僚会合」を立ち上げ、メンバーは農水省、財務省、経産省、総務省、官房長官で構成している。減反政策だけで論議すると、短期的視点と狭義の農業だけの中の論議に終始する。広く長い目で食料の在り方を論議していただきたいものである。

その減反政策、コメの生産調整のことであるが、本来は価格調整のためのものであり、農家に一時的な非生産をお願いするものであった。それが、際限なく継続される中で農家から生産意欲を奪う結果になった。これが減反政策の最も大きな問題である。

生産しなければ金を出す政策は、一時的には存在することがあってもやむを得ないかもしれないが、30年も続き、転作もままならず耕作放棄地が、農地の10%を超えて38万ヘクタールにもなる、異常な現実がこの国の農村と農家を蝕んでいる。

その一方で、新たな農地の開墾も進めている。諫早湾の干拓がいい例である。片方で放棄させておきながら、片方で土建屋を潤すような農地の造成を行っているのである。しかもその多くは、環境破壊につながっているのである。

250万戸の農家のうち、70%は減反に応じている。残りの30%は意欲的に生産し続けている。国策に応じて減反している農家のおかげで、一定の価格が維持されている。その最も恩恵を受けているのが、実は減反に応じていない残りの30%の農家である。

生産調整に応じない農家は、ほとんど例外なく大型農家である。生産意欲も高く、販路も自ら開拓する。何よりも若い農家が多い。彼らは奔放な発言を報道番組委で繰り返す。新自由主義者たちの支援も厚く、最も恩恵を受けている彼らに、発言資格がるのだろうか。

生産調整は転作を奨励数政策でもあったのであるが、現実には転作せずに放棄する農家が多くなっている。農地が宅地評価になるチャンスを待っているのである。あるいは、高齢化の進行する中で担い手がいなくなっているのである。

一貫性のないちぐはぐな農業政策が、アメリカ依存へとシフトしてゆくのである。畜産への食体系の転換と、コメ消費の極端な落ち込みは、アメリカ穀物の侵入によるものである。

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開発局の汚い手法

2009-05-10 | 政治と金

根室管内で2番目の長い川である、標津川の蛇行を復元させるとする、まるで以前のような河川に戻させるような事業がある。全長80キロほどの河川は、河口から30キロほどの蛇行は、見事にショウトカットされている。

この辺りは、かつてはほとんどが遊水池を河川の周辺まで広げ、 見事な蛇行を080727_6見せいていたところである。特に武佐川と交わる辺りは、高・中層湿原であったが、国営事業で農地にしてしまった。1000ヘクタールを超えるこの、遊水池だったところを強引に改良して作られた農地は十分な草地にもならず、昨年移管されていた中標津町も標津も町も放棄した。

河口からわずかに上の部分の一部の蛇行を復元する開発局の提案を支持したのが、魚が好きな連中である。開発はさらに、花が好きだったり鳥が好きな地元の人たちを巻き込んで、事業の展開を行った。

結局、この蛇行復元計画の総事業費は43億円である。蛇行を復元するとしているところは、わずか1キロに満たないところである。水たまりになっている旧河川に、直線化し遊水池を装071211_15置に変えて勢いの増した本流につなげようとするのである。

地元の川を知る人たちは立ち上がり反対運動を行った。署名し嘆願書を国土省に提出している。これを理由に、開発局はどうやら蛇行復元は放棄するようである。それではこの事業は中止になるかと言うとそうはならない。洪水対策と当初から主張していたが、引提を、遺跡がある外に作るとのことである。

この事業の43億円のほとんどは、この引堤に使われることになっている。もともと、蛇行復元などどうでもいいことである。環境を守るしぐさのためのポーズあるいはお題目に過ぎない。

洪水対策と主張する、引堤は500年ほど前の遺跡の外である。洪水は遺跡を越えて起きるとは思えない。まるで不要の引堤である。当初から、反対運動に難色を抱く地元の人たちの思いは、共通していた。反対すると事業が来なくなるのである。そこでとりあえず、自然を復元さすという、どうでもいいが今の時代に受けるプラカードを掲げたのである。我々の反対運動のおかげで、蛇行復元できなくなったことにすれば、堂々と引堤だけを作ることができる。

実にうまくできたシナリオである。ところで、当初からこの事業を持ち上げていた、魚が好きだった研究者たちの姿は今はない。単に利用されただけである。環境問題に最も危険な連中である。

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憲法を評価しない日本の提案

2009-05-07 | 政治と金

4月5日にオバマ大統領が、プラハで核兵器廃絶の演説をして、一月が過ぎた。いち早く彼の演説を、一縷の疑問が残るものの、私は高く評価した。http://okaiken.blog.ocn.ne.jp/060607/2009/04/post_3ea8.html#trackback

現実に世界が動き出し始めた。核廃絶は夢物語には違いないが、軍縮がアメリカ主導で論議されることに、大きな活路が見いだせるように思える。NPT(核不拡散条約)もにわかに活気づいたようである。オバマも「核兵器と核テロの脅威に有効に対処できるように」とメッセージを送っている。

Photo アメリカとロシアがそれぞれ5000発を超える核弾頭を所有している。その維持管理が財政的に困難になってきたことに加え、テロリストへの広がりが現実を帯びてきたことが背景にある。オバマの提案は、少なくともロシアには受け入れられることにはなるだろう。

日本の広島長崎の秋葉、田上両市長も出席して、日本の被爆地での会談を提案している。広島の秋葉忠利市長は、「オバマジョリティー」として、多いに声を上げ広げようとユニークな発言をした。オバマとマジョリティー(多数)をくっつけた造語である。今までの日本の政治家にはなかった、新鮮な提案である。広がりを期待したい。

ところで、日本政府の動きは、日本が唯一の被爆国で非核3原則を掲げていることを、理由にしている。それはそれで良いのであるが、特に非核3原則は世界的な評価を受け、佐藤栄作がノーベル平和賞をもらうという珍事の理由にもなっている。現実には、アメリカの核は自由に持ち込まれていた。持たない、作らない、持ち込まないは実行されてはいなかった。

本来であれば、日本は平和憲法を高く掲げる国家であるから、こうした会議の主導権をとるべきなのである。ところが、この国の最高法規の憲法を掲げる政治家はいない。その派生物を理由に掲げるのは、本来ではない。

日本がアメリカの核の傘、抑止力を利用しながらの発言に、憲法を前面に出さないことに説得力があるのだろうか。日本は、半年で1000発の核弾頭を作ることができる、ウランなどの資源と技術力があると評価されている。核廃絶へ向けて、日本が猛烈に世界にアピールする機会を、原子力発電所の依存と平和憲法を蹂躙するこれまでの経過から、日本自ら資格を喪失してしまっている。残念でならない。

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国粋主義者たちの抗議などかまうべきでない

2009-05-06 | 政治と金

初回は、日本の台湾統治がその後の世界デビューへの、原点として位置付けている。日清戦争の勝利を受けて、1895年の下関条約で日本は、台湾、遼東半島、澎湖諸島を中国から譲渡させたものである。日本の支配は、終戦の年まで丁度50年続いたことになる。

この間、日本の皇民として台湾の人たちは日本教育を受ける。異国民に統治・支配され、異国民の歴史教育を受け、異国民の文化圏に統合されて50年経過する。いわゆる同化政策である。台湾の人たちは温厚で従順であった。叔父も長年住んでいたので、親近感はあるが。

この番組に抗議する人たちは、李登輝元中華民国総統の取り巻きがほとんどであるが、内容が極めて陳腐である。李登輝は退任後日本にきて靖国神社に参拝し、日本の首相も参拝すべきと述べている。戦前に日本で教育を受けた彼は、旧日本帝国主義者思想そのままなのである。李登輝元総統を担ぎあげる連中は、台湾は親日的であって、日本支配の時代は良かった、日本など恨んでいないというのである。

中共軍に追われた台湾に辿り着いた蒋介石の残党は、賠償すら放棄してまで、アメリカの庇護を選択したのである。これを支える日本には、反共産主義者たちが、唯一の中国と台湾(中華民国)を支援した。

これらの、元反共産主義者の国粋主義者たちは、いっせいにNHK番組を批判した。この中に、安倍晋三がいる。せっかく政権を投げ出したのだから、蟄居して焼き物でも焼いていればいいものを、最近はいろんな場面に登場して、右翼発言を繰り返している。

安倍ボンの他には、稲田朋美や櫻井よし子などの、国粋主義者たちがNHK番組を批判している。おおむね彼らの主張は、列強欧米からアジアを守る思想、大東亜共栄圏思想は正しかった、日本の支配・統治は良かったとする思想である。

異国民が、武力で強圧的に統治することが、いまだに正しいと彼ら主張する。その延長には、日本国憲法の改正、再軍備、核武装、皇国思想などが見えている。

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憲法25条を考える

2009-05-05 | 市場経済

憲法記念日の3日の新聞に「9条、25条の実現を”戦争を止め人間らしく生きたい”」という、一面の意見広告が出たのをご覧になったであろうか。全国一斉に、9条の会などが中心になって、改憲派へのけん制の意見広告でもある。

憲法9条ばかりが目立つが、我が国の憲法の優れたもう一つが“生存権”をうたった、25条である。即ち、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とするものである。憲法25条は、人間の生存権を大きく取り上げた条文である。

新しい憲法制定に伴い、生存権の明文化を強く主張したのが、憲法学者の森戸辰男である。ワイマール憲法を学んでいた森戸は、生存権こそ必要であると、ほとんど彼の主張だけで25条ができたほどである。こうした意味でも、25条は純粋に日本人が作ったものである。

25条を受けて、生活保護法が作られた。生存権を危うくされた国民を救うために作られた法律である。今流行りのセフティーネットと言われるものの一つであろうか。

この生存権がいま、規制緩和を受けて存在が危うくなっている。非正規雇用を大量に生み出す構造を作り上げた小泉改革は、生活保護法も聖域なき改革と大ナタをふるい、結果としてこの国の国民の生存権を危うくしたのである。

貧困を個人的な“怠惰”の枠の中に閉じ込め、個人の問題にしてしまう風潮が、この国の素地としてある。小泉改革は、巧みにそれを利用したのである。貧困を、個人の中に閉じ込めることで、リストカットや秋葉原事件のような噴出部分が露呈するのである。それでは社会の持つ欠点を、閉ざすことになってしまうのである。

貧困を生みだすことは、ひいては社会的に大きな負担を負うことになる。効率優先の市場原理主義あるいは新自由主義は、中長期的に見ると極めて非効率なシステムである。様々な社会保険や税負担を偏在し、国民から労働を奪うからである。更にその人たちを支えなければならないからである。小泉はそれをも外したのである。

新自由主義は、極めて一部の成功者が、社会的な負担を負うことになる。成功者は、その負担すら拒むべく自らに有利は税体系や法律を作り上げようと画策する。それがさらなる貧困を生み、生存権を奪うことになる。格差がさらに広がる。

日本の失業者の70%は雇用(失業)保険も受給していないし、生活保護すら受けていないないのである。世界第2位の経済大国の国民は、貧困であるが故の生存権すら補償されていない状況にある。憲法25条が生かされていないのである。

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オバマと中曽根弘文の提案

2009-05-04 | 政治と金

オバマ大統領がプラハで核兵器の廃絶への演説を行った。自らが唯一の核兵器使用国家であPhotoる反省と、核兵器廃絶への提案である。唯一の被爆国である日本政府は、この提案に戸惑うばかり で、広島、長崎市が反応した程度であった。

中曽根外相が5月27日に都内で「ゼロへの条件-世界軍縮への11の指標」と題する、演説を行った。軍縮への提案であるから、このことは大いに評価しなければならない。しかし、オバマの演説とは明らかに内容が陳腐であり、空論に近い。

オバマの提案も、実現には相当な時間がかかると思われる空論に近いが、最大の核保有国である当事者であることを考えると、どんな形にせよいずれ具体的に動くことになる。そうした意味での評価は当然あっていいと思われる。むろん背景には財政事情と、相対的なアメリカの地位の低下に加えて、テロリストへ核が渡ることの憂慮があることは否定できない。

日本の外相の提案は、核保有国に対しては、米ロへは大いに核拡散への対応を評価するな01どして持ち上げ、英仏へは透明性があり優等生であるとし、中国へは核開発計画を隠していると批判している。インドとパキスタンや北朝鮮に対しては、核兵器の抑止力を認め、安全保障が論議されるとしている。

現実に日本が、アメリカの核の傘の中にあり、核の抑止力も認めている。こうした矛盾を抱えたまま、事情の異なる国家へ説得力を持つというのだろうか。中曽根外相の論旨は、核軍縮と核の平和利用から成り立っている。平和利用と軍事利用は技術的には紙一重である。事実、中国や北朝鮮それに韓国までが、日本はいつでも核兵器を持てる国だと思っている。

河村官房長官の、オバマ演説へのコメントも「日本には非核三原則がある」とする、極めて消極的な内容であった。外相も官房長官も、平和憲法を持つ日本こそが、世界へ向けて軍縮を提案できる、などとは一言も発言はない。外相演説も、オバマ演説を受けてほとんど唯一、日本の政府が態度を見せたのが、今回の中曽根外相の演説である。何とも情けない、平和憲法国家の政府である。

左に<春を待つ知床>をアップしました。

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憲法前文を読む

2009-05-03 | 平和憲法

日本憲法の9条を補完するのが、前文である。国民に主権がることを述べて、政府の行為として戦争がないようにすることを述べている。また、全世界のが、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するとる。そして、

「日本国民は、恒久に平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって・・・」とあり、最後には「・・・いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならにものであって・・・」とある。

Photo日本は、憲法の精神を蔑ろにしたままで、この国に平和の理念を植え付ける作業を忘れてしまった。私は、戦後間もなく日本は「戦争放棄」をしましたと、、平和憲法を教えてもらった。当時の 文部省がやったのであるが、朝鮮戦争が収まる頃には授業からそれは消えてしまった。

左の図はその時のパンフレット「新しい憲法のはなし」である。武器を戦争放棄によって、平和産業に変えるとする意味である。なぜか今は、憲法も戦争放棄も教えることはない。

日本国憲法の9条ばかりが存在感を大きくしているが、前文は極めて崇高な反戦の理念と、国民の生存の権利を掲げている。

この憲法の採択に、大きく関与したアメリカがその後、全く異なる暴力国家に変貌していったのは、何とも皮肉なことである。改憲派の人たちは、国民を守ることすなわち国防論から安全保障へと展開し、再軍備を目指す。戦争ができる国家にするのが目的である。他国の存在は問うことがない。

戦争の放棄は、自らが戦わない、武器を持たないことだけではなく、他国の存在を認めることが前提でなければならない。今日は憲法が施行されて62年目の記念日である。今一度、前文の存在を確認したいものである。

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憲法を考える

2009-05-02 | 平和憲法

日本が戦争に負けた時に、連合軍が最も考えたのは、第1次世界大戦でのドイツへの対応であった。ヨーロッパを戦場にしたこの戦争から、大きな教訓を残そうと多くの国が真剣に取り組んだ。パリ不戦条約で戦争への反省を各国が行った。多くの国がこれに調印した。

ドイツはこれを無視し、ヒトラーがドイツ国民のナショナリズムを喚起し台頭し、日本も調印しながらも、中国各地への侵略を続けていった。かつてのドイツのように再軍備をしないためにも、日本には平和憲法を持たせたのである。日本に国家を蹂躙された国々でなる、極東委員会が日本の再軍備を最も恐れていた。この憲法はパリ不戦条約から学んでいる。

戦後60年を過ぎて急速に、この国の平和憲法を見直すような機運があちこちから上がっている。軍隊を持たないことによる危険性ばかりが論議される。平和を語るのではなく、安全保障を語り再軍備への足がかりを、北朝鮮の核開発などに求めようとしている。

戦争が、国家による殺人行為であり、侵略行為であり人権の侵害なのである。軍隊をもつことが、平和を保障するのであれば、世界で最も強大な軍事力をもつアメリカが最も平和な国家であるはずである。現実は、第2次世界大戦以降全ての戦いにアメリカは関与している。

軍隊は平和を保障するものではない。軍隊はあるいは兵器は、敵国が持つ以上のものを持つことがその本質である。軍隊は常に強大化することを本質として抱えている。敵国を下回る軍隊は存在意義がない。軍隊は常により強力な軍隊へと志向する。そのためには手段を選ぶことはない。

日本の平和憲法は、自主憲法の制定を目指す長年続いた自民党のおかげで、十分活用されていない。世界各地で起きる紛争へ自衛隊を派遣するのではなく、民間の産業支援などの技術協力などを主体にすべきなのである。紛争の原因の多くは、貧困あるいは格差によるものである。こうしたことへの積極的な支援は、自衛隊を軍隊に押し上げたい自民党には、発想そのものがない。

アメリカの軍事・核の傘の下に収まることで経済発展を遂げてきた国家には、アメリカを追従する以外、国際協力の選択はないのである。その時点から、安全保障を論じるから、日本国憲法の平和への理念は生まれてこない。パリ不戦条約の理念は戦争を二度と起こさないことであったが、改憲論議の中で国防論ばかりが先行する。

この国を守るのだという論理、敵国が攻めてきたらどうするのだという仮想から脱却しなければ、平和は語ることができない。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」の文言のどこに不満があるというのだろう。

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羅臼港

春誓い羅臼港