私の記憶が正しければ、公営カジノの導入を最初に口にしたのは、石原慎太郎である。経済活性のために、カジノを東京都に作ってじゃんじゃんやろうというのである。
カジノの具体的なルールに熟知しているわけではないが、カジノは金銭や兌換性の高い物品を賭けて、偶然性による結果によって、私腹を肥やそうとするものである。博打、賭博、ギャンブルである。
賭博は、賭ける方が必ず損をする。賭博場を提供する胴元が儲かるのに決まっている。でなければ存続できない。賭けるお客が儲かるなら、閉鎖されることになる。はっきりしている。公営でやる理由もそこにある。
賭博は犯罪の温床になるし、人生の転落をここから始める人も少なくはない。良くある事務員などの横領の多くが、ギャンブルに使っていることでも、のめりこむこ感情が判る。
競馬や競輪や競艇なら、オープンでスポーツ的要素があり健康的であるし、金銭的なこと以外の楽しみがなくもないが、カジノは違う。
賭博場が、やくざなどの裏社会に支配されていたのも一理ある。賭け事の確率や方法を操作する、いかさまが大手を振る世界でもある。
当然の結果として、犯罪の温床にもなる。日本では公営ギャンブルと呼ばれる、競馬や競輪などを除き法律で禁止されている。パチンコも、年齢制限があったり金銭交換は禁じられている。私はパチンコなどしたことないが、玉を景品にしてお金に換えるシステムはどうもおかしい。儲かっても損しても労働意欲を削る。習慣性も強く麻薬のようなものでもある。
日本ではこうしたこともあって、賭け事は禁止されている。かけ麻雀や賭けゴルフなど摘発される報道も、散見される。
儲かるからと、公的にカジノ場を導入して経済活性にしようと、特区を設けようと画策する動きがあるが、理性も倫理もあったものでな
い。いっそのこと、売春場を公的に経営する方が儲かるからやってはどうか。原発や兵器の輸出を平気でやる、政治家たちにはお似合いである。
「カジノ法案」に積極的なのは維新の会や自民党であるが、関西経済界は期待を込めて青写真まで描いている。カジノの開設は公的機関がやるべきことではない。