演歌が好きになれない。日本の心と言われるが、演歌と言われジャンルの歌が出てきたのは、昭和40年代である。それまでは流行歌、単に歌謡曲あるいは、はやり歌と呼ばれていた。
それまでの歌謡曲は、歌詞もかなり幅があって、色恋沙汰のものはそれほどなかった。日常の風景や心情や感動などを曲にしたものが多かった。
翻って、演歌と呼ばれる現在の歌は、曲はヨナヌケ(ファとシが抜けている)と言われるもので、どうしても似てくるのである。歌詞も、酒・港・女・恋などにほとんど限定されるようになり、いつの頃かビブラートの一種であろうか、”コブシ”を利かせるように歌うようになった。
それまでの歌謡曲が、多くは基礎的な勉強を積んだ人たちが作曲していたし、歌い手もクラッシク上りが多かった。喉を鍛えていたろうし、音階もぶれることもなかった。歌詞も大事にしていた。
ここに、中村八大たちがアメリカのジャズの感性で割って入って、歌謡曲の歴史が大きく変わった。歌謡界に幅ができてきたのであるが、その反動が演歌を作ったのではないかと推察される。
演歌は曲の幅と感性の広がりを制限する。カラオケ用の曲作りは商業主義的になってしまったからである。
現在は、学芸会を想起させるような、へらへら足上げて歌っている未成熟の女たち集団に席巻されている。リズムばかりが先行し、そのため意味不明の英語らしき文字を、ザビの部分で羅列する。解読不能であることが多い。声の出し方も、口先でへーへー言っているようである。
あるオリンピック会場での、その国を代表する歌手が歌っていたが、声も腹から出ているし広がりもあった。日本にはそのような歌手はいない。いても評価が薄い。とても羨ましく思えた。その反動として演歌に逃げるであろうか。
日本にも力強く感動的な歌謡曲もあった。主に昭和40年以前の歌を歌っている、東京大衆歌謡楽団の若い人たちの歌声を聴いてそんなこと思った。