大阪新市長、橋下徹が「マンション出来ますから、愛人の一人、二人でも囲ってください」と発言した。その発言に対して、見事に皮肉を込めて評価する記事を見つけました。(クリックすると読める程度に大きくなります)
橋下はとにかく、冗談のつもりであろうが本音としてこういうことを平気で言うのである。すべてに潔癖である必要などないが、この男のこうした繰り返される発言は、政治の理念としても評価されるべきなのである。
大阪都構想がいい例である。地方分権と言いながら、地域で権力や制度を集権させる方式であり、考え方そのものが矛盾している。女性や一般国民を、道具として統制することを描いている。
教育委員会にしても地域の首長が権限を持つことで、組織は動きやすくなるだろうし、決断も早くはなるだろう。しかし、教育はそうしたものであってはならないはずである。誤解を恐れず言うならば、民主主義もそうであるが、効率よりも経過の方が重んじられるべきなのである。ましてや権力者の意向で決定されるような教育制度は、戦前回帰の他ならない。
しがらみがありませんと言っていた、みんなの党もしがらみを引き寄せてお金をもらっていた。こんな下品な人物たちが権力者になることが怖ろしく、そして子供たちの教育を委ねることの方がよっぽど危険である。
制度に人を嵌めることで、制度や社会が機能すると考えるのは、本末転倒である。制度は人が作り、活用しなければならない。ましてや教育は、権力者が機能させることの恐ろしさを、先の戦争が教えてくれたはずである。
左のフォトアルバムに<春を待つ岬>アップしました。