そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

自衛権という戦争理由はどの国も行っている

2014-04-10 | 安倍晋三

日本政府は、「自衛隊は戦力ではない」と言い続けてきた。その根拠は、自衛隊は『専守防衛』であるから軍隊ではないうのである。これは、戦闘機を持ち銃を抱えて戦車に乗る自衛隊が、軍隊でないというギリギリの解釈である。
専守防衛とは、守ることしかしませんという意味である。憲法は
、「陸、海、空軍、その他の戦力はこれを保持しない」とうたっている。これだけの装備を持ち、食糧を支える農業予算を超える金額を国家予算に抱えながら、戦力ではないと言い続けてきたのも、専守防衛しかしませんというのが理由であった。
たとえ海外に派兵しても、イラクでもカンボジアでも銃に手を掛けることはなかった。専守防衛の自衛隊は戦力ではないと、憲法九条が歯止めをかけているからである

ところが、安倍政権は日本は集団的自衛権を保持すると、解釈改憲の地ならしを行っている。集団的自衛権を持ち行為が可能になれば、専守防衛の基本原則がなくなることを意味する。国連の規定する集団的自衛権とは、他国の介入ができないため国連軍などが来るまでの、極めて限定的な時間に起きる特殊な事例なのです。現実には内戦程度の紛争で解釈されているに過ぎない。
安倍政権の目指す、集団的自衛権とはアメリカの傘下の元に、戦闘を行使することを意味する。そのための要件を模索することが、彼らのアリバイ工作の論議の根底にある。

20世紀になってから、「防衛」以外の戦争理由は存在しない。イラクにアメリカが侵攻したのも、大量破壊兵器があってスカッドミサイルがあるということであったが、虚偽である。事実がなければ、作り上げる。それは、自衛のための戦争を演じる必須の作業である。
とりわけ第二次世界大戦後、世界で起きた戦争や紛争や内乱の全てに関わってきたアメリカには、いつでもどこでも自衛の戦いが設定できるのである。
日本が、このアメリカのために応援戦闘が可能であるというのが「集団的自衛権」である。これはどう見ても、専守防衛と言われるものではない。憲法を逸脱したものである。
集団的自衛権とは、戦争をするための理由でしかなく「積極的戦争論者」の言い分ででしかない。
戦後日本が海外で築き上げてきた、平和国家の理念を根底から崩す、集団的自衛権などと言う虚言を掲げるのは、積極的戦争主義者の安倍の言い分である。

左のフォトアルバムに<春を待つ岬>アップしました。

コメント (2)
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