日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

生きるということ。 こんなやり取り

2008-05-06 09:27:53 | 私の雑感あれこれ
もう5,6年前になるでしょうか。
新聞の投書欄か何かで、こんなやり取りを読みました。

-ガン患者を家族に持つ人の投書ー
最近はガンは告知すべきだとの風潮だけれど、ガンと告知されてショックを受け、耐え切れない人もいるのではないか。
だから告知は、人と、状況をみてすべきであり、「すべての人に告知」は行き過ぎである。
患者には「ガン告知を受けない権利」も認められるのではないか。

ー上記に対するお医者さんの投書ー
医師としては、治療に当たって、患者に病状を知らせるのは当然のことであり、なすべきことだと考えている。
治療の過程では、ガンであることが伏せにくいものもある。
患者が病院に来たということは、現在の病気の状態を治療して欲しいという、意思で、病院に来ているのであり、病気治療のためには、現状を理解していただくことが起点だと。

昨日のTVタックルで、
民主党の議員さんが、
お医者さんが終末期の患者の治療について、ご本人にどこまで治療を受けますかと、訪ねる仕組みになったのだと、説明しておられました。
   ↑
パネルで説明しておられましたが、本当か?いつから実施なのか?

終末期に入った人に、終末治療の程度を確認する・・・ちょっと、国の品性を疑ってしまうところがありますが、
自分の「生きる」ということを自分で自覚できなる植物人間状態のケースなどは、事前の本人の意思表示を伝えておく、これはあってもいいのではないでしょうか。
うーーん、ここまで書いて、読み返すと、考えながら…の拙文ですね。
やはり、国が出てはいけませんね。
本人が、家族に、お医者さんに、意思表示する。
これでなくては、妙なところに暴走しかねません。

もうすぐ母の日です。
90歳を超えている私の母は、「延命治療はいりません」と2通書いて持っていると、先年本人から聞きました。お医者さん用と、家族用だと。
離れて暮らすお前にも、もう一通書き残そうか、とも。
日野原重明医師の本を読んで納得した方法らしいです。

最後まで、自覚的であることはできない、それはわかっているのだけれど、
できるだけ、自覚して生きたい、
そう思っている人も増えているのだと、そう思っています。







コメント (2)
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