日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

こどもの手を引いて。

2008-05-26 07:35:14 | 私の雑感あれこれ
1950年代の初め頃。
4歳の春のぼんやりと、でも、確かにそう思った、という記憶があります。
2学年年上(多分、実年齢では1年半ぐらいの違いか)の、お向かいのきぬ子ちゃんが仲良しの遊び友達でした。ぬりえや着せ替え人形遊びをしたものです。
その春、「きぬ子ちゃんが小学校にあがる」と聞き、「私も行きたいのになー」とそれは、ねだっても真似のできないものだと、羨ましかったことを覚えています。あのころの、来年、再来年って、果てしなく遠いものですから。

で、昨日、こんな話を聞きました。
私より一世代若い1980年代。
ベトナム戦争も終了し、革命政権も落ち着いたころなのでしょうか。
まだ、義務教育制度も整ってはいなかったのでしょう。
お母さんは、長男と二男の手を引いて、「この子らを学校に入れてください」と、学校に連れて行ったそうです。
彼らが生まれた頃は、国の行政も整っていない時期。
出生届出もなされていないことが、最近判りました。
正確な年齢を証明するという手だても知りません。
兄と弟は3歳違い、だそうです。
先生がそのとき言った言葉を弟は覚えているそうです。

「片手をこうして頭の後ろへ回してね、反対側の耳をつかめたら入学してもいいよ」と。

お兄さんの手は届いたのですが、弟は届きませんでした。
先生は言いました。
「手が届くようにならないと、学校はダメだよ」と。
そういわれ、自分が期待していた学校に行けなかったことがとても寂しかった、と。
物心ついた時から、何でもお兄さんと一緒のつもりだったのでしょう。学校当然も、と思って、いそいそと学校にやってきたのに。
「自分は入れてもらえない」とわかったときの思い。
幼稚園なんてものもないし、初めての興味にあふれていただろうに…。

とにかく生活は当然貧しい。
そんな中でも、二人まとめて、「この子らには学校教育を是非」と手を引いて連れて行った文字を知らない母親の思い。

傍から見ると、長男の入学が目的だったのかも・・・。
お母さんに手を引かれて、喜び勇んで「学校」というところに胸を弾ませた弟。
・・・けなげです。

ちなみに、弟の現在の名前、正式な出生届けもなされていなくて、身内内の通称しかなかったので、入学後に先生がつけてくれたものだそうです。

国が違って、豊かさに格段の差があっても、生まれて4つ、5つの子供が抱く気持ち、共通したものってありますね。

私も、(勿論私の場合は親に)「再来年ね}と言われて、小学校に上がるきぬ子ちゃんが、まぶしかったこと、覚えているから、幼い子の抱えた願いを思い起こして、・・・いとしい。
コメント
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