雨降る中、水前寺成趣園(水前寺公園)へ。
車中で熊本城や徳富記念館への案内板を目にすると、近くにいる、時間があれば訪ねたいのに~という、後ろ髪をひかれる思いです。
雨降りの水前寺公園は、水も滴る緑、緑、緑。観光客もまばらな公園は目の極楽でした。日本3大名園(後楽園、偕楽園、兼六園)には入らないけれど、+2して、5大名園ということらしいです。+2は、この公園と四国の栗林公園。
宿泊ホテルは菊池川沿いの山鹿市の大きめのホテル。
スイートでしょう。個室に24時間お湯が注いでいる露天風呂がついていました。
歴史ある温泉町って感じで、1時間の豊前街道惣門地区の街歩きがありました。
かつては輸送は船の時代ですから、菊池川に米が輸送されてきて、酒造業、麹屋さんが商売をしていたと。
レトロの街路にスポットを当てて、今は観光で地域おこし、といった感じでした。
ツアーのメンバーが60代70代ですから、子供のころに見覚えがある光景でもあります。
その街路の一角にある八千代座という芝居小屋が圧巻でした。
町の有志が今のお金で数億円という資金を出して作られた芝居小屋だそうで、洋風建築の要素も取り入れられていて、町を盛り上げようという意気込みが感じられます。
現役の芝居小屋です。芝居小屋は映画の時代になって人気が落ち、テレビの時代になってすたれてしまったそうです。そんな朽ちかけた芝居小屋に再度命を吹きかけたのは坂東玉三郎さんで、彼はそれ以来毎年この芝居小屋で興行をなさっているとのこと。同世代の玉三郎さんがまだまだ現役で活躍されているのには頭が下がります。市川海老蔵さんの芝居が終わったところで、来週火曜からは、坂東玉三郎さんの演目が始まります、と。玉三郎さんはじめ大勢のスタッフがもうこの町に滞在していて、町の活性化に大いに貢献しているんですね。海老蔵さんはこの界隈をぶらりと歩いて、さくら湯という銭湯にも通われるんですよ、とのこと。今の歌舞伎界の一流どころが目白押しみたいです。チケットの価格はミュージカルの相場ぐらい。収益は大ホールのようにはいかないでしょうけれど、草の根にも歌舞伎文化を絶やしたくない、という思いが伝わってきて、いいものだな、と思いました。
芝居小屋の構造が頑丈だったので去年の地震の被害はなかったそうです。
翌朝は雨も上がって、クルーズ船に乗るまでは観光です。
天皇陛下が宗像大社(朝鮮文化の窓口という点で壱岐と併せての世界遺産らしい)に来られる日程と重なって、交通規制で渋滞となるのを避けるため宗像大社見学を先に済ませて、太宰府天満宮と順序変更となった。
こんな機会じゃないとお参りすることもない。
太宰府天満宮は学問の神様を祭っている神社だから、孫の数分だけのお守りを買うわ、なんてほざいていたものだから、自分用にも買えば、ということで、宗像大社で健康祈願のお守りを購入。お守り屋さんができるぐらい?苦笑
太宰府天満宮の近くの割烹料理のお店で昼食。このお店の食事は堪能できました。近所にあればまた来たい、という声がちらほら。
食後に太宰府天満宮へ。
門前町は大賑わい。伊勢神宮の門前町おかげ横丁に似ています。街も大量の観光客に慣れているようで、インバウンド景気にあやかっているエリアです。海外のお客さん用の観光バスが圧倒的に多いです。海外からのクルーズ船が博多港についた日には、もっとごった返します、とのこと。時代の波なのでしょうね。
天満宮は大勢の参拝客を受け入れるのに手慣れた感じで、私も、目的のお守りを購入しました。参内してお祓いしてもらっている受験生群とは違って、まだまだチビちゃんなのに。苦笑
菅原道真さんは、この地に左遷されたことを嘆き悲しみ、失意の中で詩歌を作る日々を過ごし、3年余りした53歳没、とのこと。
そんな~、役人なのだから転属された地域のために仕事しなかったの?と思うのは、現代だからかな。
イヤ、違う。天神さん(菅原道真)となって、長きにわたって、こんなにも地域経済に役立っているのだから、地域孝行の方ですね。
この後、クルーズ船の待つ博多港に向かいました。雨の心配はすっかりなくなっていました。
乗客定員872人だそうです。+乗組員は470人。大きくて全体がうつりません。
海外のクルーズ船には定員が5000人超というのもあるそうで、どんなふうに人を誘導するのか、想像の枠外です。
車中で熊本城や徳富記念館への案内板を目にすると、近くにいる、時間があれば訪ねたいのに~という、後ろ髪をひかれる思いです。
雨降りの水前寺公園は、水も滴る緑、緑、緑。観光客もまばらな公園は目の極楽でした。日本3大名園(後楽園、偕楽園、兼六園)には入らないけれど、+2して、5大名園ということらしいです。+2は、この公園と四国の栗林公園。
宿泊ホテルは菊池川沿いの山鹿市の大きめのホテル。
スイートでしょう。個室に24時間お湯が注いでいる露天風呂がついていました。
歴史ある温泉町って感じで、1時間の豊前街道惣門地区の街歩きがありました。
かつては輸送は船の時代ですから、菊池川に米が輸送されてきて、酒造業、麹屋さんが商売をしていたと。
レトロの街路にスポットを当てて、今は観光で地域おこし、といった感じでした。
ツアーのメンバーが60代70代ですから、子供のころに見覚えがある光景でもあります。
その街路の一角にある八千代座という芝居小屋が圧巻でした。
町の有志が今のお金で数億円という資金を出して作られた芝居小屋だそうで、洋風建築の要素も取り入れられていて、町を盛り上げようという意気込みが感じられます。
現役の芝居小屋です。芝居小屋は映画の時代になって人気が落ち、テレビの時代になってすたれてしまったそうです。そんな朽ちかけた芝居小屋に再度命を吹きかけたのは坂東玉三郎さんで、彼はそれ以来毎年この芝居小屋で興行をなさっているとのこと。同世代の玉三郎さんがまだまだ現役で活躍されているのには頭が下がります。市川海老蔵さんの芝居が終わったところで、来週火曜からは、坂東玉三郎さんの演目が始まります、と。玉三郎さんはじめ大勢のスタッフがもうこの町に滞在していて、町の活性化に大いに貢献しているんですね。海老蔵さんはこの界隈をぶらりと歩いて、さくら湯という銭湯にも通われるんですよ、とのこと。今の歌舞伎界の一流どころが目白押しみたいです。チケットの価格はミュージカルの相場ぐらい。収益は大ホールのようにはいかないでしょうけれど、草の根にも歌舞伎文化を絶やしたくない、という思いが伝わってきて、いいものだな、と思いました。
芝居小屋の構造が頑丈だったので去年の地震の被害はなかったそうです。
翌朝は雨も上がって、クルーズ船に乗るまでは観光です。
天皇陛下が宗像大社(朝鮮文化の窓口という点で壱岐と併せての世界遺産らしい)に来られる日程と重なって、交通規制で渋滞となるのを避けるため宗像大社見学を先に済ませて、太宰府天満宮と順序変更となった。
こんな機会じゃないとお参りすることもない。
太宰府天満宮は学問の神様を祭っている神社だから、孫の数分だけのお守りを買うわ、なんてほざいていたものだから、自分用にも買えば、ということで、宗像大社で健康祈願のお守りを購入。お守り屋さんができるぐらい?苦笑
太宰府天満宮の近くの割烹料理のお店で昼食。このお店の食事は堪能できました。近所にあればまた来たい、という声がちらほら。
食後に太宰府天満宮へ。
門前町は大賑わい。伊勢神宮の門前町おかげ横丁に似ています。街も大量の観光客に慣れているようで、インバウンド景気にあやかっているエリアです。海外のお客さん用の観光バスが圧倒的に多いです。海外からのクルーズ船が博多港についた日には、もっとごった返します、とのこと。時代の波なのでしょうね。
天満宮は大勢の参拝客を受け入れるのに手慣れた感じで、私も、目的のお守りを購入しました。参内してお祓いしてもらっている受験生群とは違って、まだまだチビちゃんなのに。苦笑
菅原道真さんは、この地に左遷されたことを嘆き悲しみ、失意の中で詩歌を作る日々を過ごし、3年余りした53歳没、とのこと。
そんな~、役人なのだから転属された地域のために仕事しなかったの?と思うのは、現代だからかな。
イヤ、違う。天神さん(菅原道真)となって、長きにわたって、こんなにも地域経済に役立っているのだから、地域孝行の方ですね。
この後、クルーズ船の待つ博多港に向かいました。雨の心配はすっかりなくなっていました。
乗客定員872人だそうです。+乗組員は470人。大きくて全体がうつりません。
海外のクルーズ船には定員が5000人超というのもあるそうで、どんなふうに人を誘導するのか、想像の枠外です。