雑感です。
ブロ友さんのところで、空海の時代の帝釈天の仏像が精巧でした。
最初に目に入ったのが、薄絹をまとった膝頭。関節の具合の表現も正確で魅了。できる仏師さんだな、さぞかし適職、才能の持ち主の方だ、という敬意。ルネッサンス期の絵画研究所の画家たちも身体の構造から勉強していたけれど、9世紀の日本の仏師さんも凄い。変なところに感心するので、彼女のブログにコメントできない。苦笑
アップで全体をみる。様式に沿っての仏像なのだろうけれど、私には、膝頭をこのように表現できる彫刻家という、その人を想像しながら、製作途中の彼を想像してしまいます。…変でしょう。苦笑
そして、思い出します。
飛鳥寺で見た大きな仏像(釈迦如来像)が思い浮かんできます。
聖徳太子の像もあったり、早熟だった彼の逸話も印象に残っており、そのお寺に行ったことは有意義でした。語り継がれている話だから、多少の誇張も交じっているかもしれませんが「栴檀は双葉より芳し」の典型例のように思えました。
で、メインの立派な仏像。釈迦如来像の手が人体としての構図的に異常に長いようで、なんだか~という感想を持ちました。
一緒に行った友人は、若いころから仏像を見て回るのが趣味(もっと真剣な意味かも)の人だったので、不遜な感想を彼女に伝えたところ、そんな違和感を感じていなくて、広く世の中の人を救いたいという意図で長いのでは。という返答。
ふ~ん。そういうことか、とも思いましたが、フォルム的に納得を保留にしたまま、そのお寺を辞しました。不遜でしょ。
渡来人系の鞍作止利による飛鳥寺の釈迦如来像は日本最古の仏像(7世紀)とのこと。
「初めての」という背景を思えば、フォルムがどうの、と言ってはいけないのでしょう(浅はか→ワタシ)。その時代に、こんな大きな仏像建立を思い立った時代背景を思うべきですね。
飢饉や病気の蔓延は、神仏に祈るしかなかった時代に、祈る対象として出現した仏像の存在意義を思うべきでした。
それにしても、200年という時代は、仏師の技術の高まりを思います。
今年の春に北陸の井波というところの瑞泉寺というお寺に行きました。井波という町は欄間彫刻で有名であり、お寺にも見事な彫刻があるので有名です。こんな北陸の地にどうしてここまで立派な彫刻が施されたお寺があるのかと、説明を読んだものです。高僧が行脚の途中で、この地域にお寺を作ったらいいとお告げをしたことから、衆人の勧進によってつくられたとのこと。京都で彫刻師として働いていた人がこの地にとどまって、彫刻を広めたとありました。
立体感アリアリの見事な彫刻のオンパレード。仏師と彫刻師との区別もできない素人ですが、職人技のレベルの高さに圧倒されました。
仏像は宗教の世界の具現化されたもの。美術品とは違う。
あるときの日曜美術館で、仏像の展覧会を取り上げていました。
仏像は拝むものであって、まじまじと眺めるものではない、そうです。
だから、ここにある仏像は精神性という魂を除いて(表現?)から展示しているので、美術品として眺めても不遜にはならない、と説明なさっていました。
素人なので、そういうものか、と教えられました。
じゃあ、これまでの私は仏様の前に立つときは、どっちだったろう、と顧みる。
現代彫刻を見るのとは違う。
その時代に、この仏様を敬った多くの人たちがいたのだ、という思いで、眺めさせてもらっている。
のだと、思う。
古来の仏教には経典はあっても、仏像はなかった。それが形あるものの出現で、普及しやすくなったのでしょう。
日本最古の仏像だものね。写実性なんて言うほうが不遜だったのです。
仏像を見て回るのが好き、というのは、どういうコンセプトなんでしょう。
きっと、よく教えてもらえば、奥が深いのでしょうね。
ブロ友さんのところで、空海の時代の帝釈天の仏像が精巧でした。
最初に目に入ったのが、薄絹をまとった膝頭。関節の具合の表現も正確で魅了。できる仏師さんだな、さぞかし適職、才能の持ち主の方だ、という敬意。ルネッサンス期の絵画研究所の画家たちも身体の構造から勉強していたけれど、9世紀の日本の仏師さんも凄い。変なところに感心するので、彼女のブログにコメントできない。苦笑
アップで全体をみる。様式に沿っての仏像なのだろうけれど、私には、膝頭をこのように表現できる彫刻家という、その人を想像しながら、製作途中の彼を想像してしまいます。…変でしょう。苦笑
そして、思い出します。
飛鳥寺で見た大きな仏像(釈迦如来像)が思い浮かんできます。
聖徳太子の像もあったり、早熟だった彼の逸話も印象に残っており、そのお寺に行ったことは有意義でした。語り継がれている話だから、多少の誇張も交じっているかもしれませんが「栴檀は双葉より芳し」の典型例のように思えました。
で、メインの立派な仏像。釈迦如来像の手が人体としての構図的に異常に長いようで、なんだか~という感想を持ちました。
一緒に行った友人は、若いころから仏像を見て回るのが趣味(もっと真剣な意味かも)の人だったので、不遜な感想を彼女に伝えたところ、そんな違和感を感じていなくて、広く世の中の人を救いたいという意図で長いのでは。という返答。
ふ~ん。そういうことか、とも思いましたが、フォルム的に納得を保留にしたまま、そのお寺を辞しました。不遜でしょ。
渡来人系の鞍作止利による飛鳥寺の釈迦如来像は日本最古の仏像(7世紀)とのこと。
「初めての」という背景を思えば、フォルムがどうの、と言ってはいけないのでしょう(浅はか→ワタシ)。その時代に、こんな大きな仏像建立を思い立った時代背景を思うべきですね。
飢饉や病気の蔓延は、神仏に祈るしかなかった時代に、祈る対象として出現した仏像の存在意義を思うべきでした。
それにしても、200年という時代は、仏師の技術の高まりを思います。
今年の春に北陸の井波というところの瑞泉寺というお寺に行きました。井波という町は欄間彫刻で有名であり、お寺にも見事な彫刻があるので有名です。こんな北陸の地にどうしてここまで立派な彫刻が施されたお寺があるのかと、説明を読んだものです。高僧が行脚の途中で、この地域にお寺を作ったらいいとお告げをしたことから、衆人の勧進によってつくられたとのこと。京都で彫刻師として働いていた人がこの地にとどまって、彫刻を広めたとありました。
立体感アリアリの見事な彫刻のオンパレード。仏師と彫刻師との区別もできない素人ですが、職人技のレベルの高さに圧倒されました。
仏像は宗教の世界の具現化されたもの。美術品とは違う。
あるときの日曜美術館で、仏像の展覧会を取り上げていました。
仏像は拝むものであって、まじまじと眺めるものではない、そうです。
だから、ここにある仏像は精神性という魂を除いて(表現?)から展示しているので、美術品として眺めても不遜にはならない、と説明なさっていました。
素人なので、そういうものか、と教えられました。
じゃあ、これまでの私は仏様の前に立つときは、どっちだったろう、と顧みる。
現代彫刻を見るのとは違う。
その時代に、この仏様を敬った多くの人たちがいたのだ、という思いで、眺めさせてもらっている。
のだと、思う。
古来の仏教には経典はあっても、仏像はなかった。それが形あるものの出現で、普及しやすくなったのでしょう。
日本最古の仏像だものね。写実性なんて言うほうが不遜だったのです。
仏像を見て回るのが好き、というのは、どういうコンセプトなんでしょう。
きっと、よく教えてもらえば、奥が深いのでしょうね。