日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

静養する権利(言い訳)。うっふふ

2017-11-18 09:02:48 | 健康
なんだか、毎日堂々とソファーに寝そべっている。

本を読んだり、テレビを見たり。

背骨、腰骨に負担をかけないように仰向けになる、のが腰椎骨折の治療のため、なんだと自分に言い訳。

しばらく動くと、腰がずしんと重くなるのは事実だし、横になると「ラク」なのは確かなのだけれど、

でも、なんだか、この言い訳をしていると、やがて、動くのが嫌になるのではないかと、ちょっと心配になっても来た。

本を読んだり絵を描いたり、というのが好きというのは、退屈しないから得ですね。

でも、骨折で入院している人はそれでも退屈なのでしょうか。

1か月は経過した。

コルセットを装着して2週間後にレントゲン撮影した。

次は1か月後に再度レントゲンを撮って、回復具合をみる、という流れ。

負傷を治療するのは自分自身。

口から摂取する食べ物の栄養と、栄養を配布する血液。よって血行。

少しずつ、体操もしたり、加重のかからない体幹のストレッチをやってみたり。

次の1か月後は長すぎるので、養生は今月いっぱいにして、来月ぐらいから、庭仕事もやりたいな~。



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司馬遼太郎著『王城の護衛者』を読む

2017-11-18 08:26:50 | 
数編の短編で編まれていて、全体のタイトルにもなっているメイン作品。

幕末。
王城とは京都御所。
薩長の志士たちが暗躍する京都の治安を守る職、京都守護職を命じられた松平容保の話です。
混乱の幕政にあって、福井藩主松平春嶽、一橋家当主徳川慶喜が暗殺がしばしばおこっている京都に武力を堅持している会津藩を抜擢した話です。
同時代を描いている「花神」に引き続きの読書なので、新たな幕が上がって、その観客になっている思いです。
孝明天皇の権威がどういうものであったか、孝明天皇とはどういう環境にあったのか、など、司馬さんの書きぶりに、ひとつひとつ、知らない世界を、もののとらえ方を教えられているように思います。

徳川幕府は、大名の京都入りを禁じていたし、公家(当然天皇も)が京都から出ることも禁止していた。
そういう時代を300年近く、禄も少なく(きわめて貧しく)暮らしてきているわけで、そこにひそかに、策を弄して金品物資を流す藩が出てきたら、公家たちの気もそぞろになるのもうなづける。しかし、それらは(金品、物資、情報は)天皇にいきわたることとは別。
天皇のあずかり知らない勅許もいくつも出されていた、らしい。
何か事実で、なにが正義か、
正しい、正義だと信じてきたことが通じない不条理を飲み込んで幕末動乱に巻き込まれ、その後の明治の時代を生きた松平容保。そして徳川慶喜(「最後の将軍徳川慶喜」は20年ほど前に読んでいる)。

きっと、いつの時代にも、このジレンマはあるのだろう。

■余談
先日の九州旅行の時、世界遺産という宗像大社参拝が天皇陛下の参詣スケジュールと重なった。で、旅行会社は警備が厳重で交差う渋滞が予想さるから、行程変更して、陛下より先に参拝します、とアナウンス。大社にはすでに天皇陛下を出迎えたい人たちも集まっていたけれど、私たちはスムーズに観光を終えて次へ進行した。
その後、娘からのメールで、某ピアノコンサートへ行ったら、天皇ご夫妻の来ておられた、お顔を初めて見た、と。

現人神から人間宣言。そのごの全国行幸された昭和天皇。それからさらに時代は下って、身近に話題を聞く存在になっています。
松平容保が御簾の向こうに帝の気配をありがたく感じ、あれほど敬い続けた天皇と、今の時代の受け止めかたの差異を思います。

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