日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

不得意なのはわかっている。

2017-11-22 11:13:52 | 私の雑感あれこれ
衣類の整理整頓。

5人家族の衣類を収納してきたのだから、二人家族になって、収納スペースが足りなくはない。
そういえば、季節ごとに衣類を(月日などをメモして)タンスと収納ケースに入れ替えてもいた。
今は昔。

ついつい、積み上げている現状。
で、今日は小春日和。
秋冬物と夏物の交替をした。

一応、仕事用とお出かけ用と普段着がある。
秋冬物は、上に羽織るものもあるのでかさばる。

「コレは廃棄処分」と決めるには、ちょっと一呼吸が必要だけれど、退場してもらうことも大事。

いつだか、「クローゼットのハンガーの数を決めていて、その数以上は持たない」と話していた女優さんがいたけれど、彼女を尊敬する。
洋服屋さんは、買ってもらいたくて、デザインなど流行を変えながら、どうぞ、どうぞ、と誘ってくる。
お店に足を踏み入れて、ほいほい、と買っていたら、衣類の山ができてしまう昨今です。



わたしたちの国、時代がずいぶん変わったんだ~と思う。

以前、北海道のアイヌの集落を訪ねたとき、壁にかかっていたベストがサケの皮でできていた。えっ!と驚いたけれど、綿を育てる文化がなければ、綿織物がないのは道理。だから、毛皮のほうが身近だったりしたのでしょう。
一方、沖縄の八重山諸島では、芭蕉という草の繊維で織物を作っていた。「綿」というものが入ってきて、綿花から木綿の布ができるようになった、と。今は芭蕉布のほうが高価なのかも。

長い時代が経過して、布という素材が貴重という時代ではなくなったのです。
わたしが子供のころは、母は余り布を工夫して座布団などをこしらえていたものです。そんな光景が残像としてあるので、傷んでいないこの布で、、、なんて、つい思ってしまうのだから、その分廃棄処分とするには、一呼吸アリ、です。笑
わたしもミニスカートをリフォームして子供服を作りました。


で、今、持っていても着ないであろうものは、全部とはいかなくても、それなりに処分、に回そうと作業しています。

買う時は、それなりに選んでいるハズなのに、グッドチョイスからほど遠いものもあったりして、オシャレ下手。

結局は、スタイルがよくなくては、何を着ても映えないわ、の心境になっています。

今、コルセット装着中なんだけれど、そもそもが体型をカバーする着方をしているので、誰も気が付かない。うっふふ







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同窓会の通知のもろもろ

2017-11-22 09:54:00 | 私の雑感あれこれ
「汽車通」同窓会の出欠ハガキは、まだ投函スタンバイ中。苦笑

どうにか、ひとり(8月にあった彼女)に連絡をとって、女子2名(私と彼女)は確実になった。

まだ参加者増えたら、、、と思って、年季の入った卒業生名簿(30年以上前に編集されたもの)を引っ張り出してきた。

まったく会話を交わしたこともない人に電話するのも気がひけたり、何人かは電話番号が変わっていたり、で成果はゼロ。

で、「汽車通」の該当者にしるしをつけてみた。

連絡のハガキでは、60名ほどとあったけれど、女子はそのうちの12名~13名しかいない。

カウントしたことがなかったけれど、そういうことだったのだ。

地元の高校があるのに、あえてその高校に行かせる、というのは女子のほうには贅沢だったのでしょう。

そういえば、私は例外ですが、皆さん地域では教育熱心な高学歴家庭で育っていらっしゃる方々ばかりみたい。

そうだったのですね~。なんだか感慨深いです。



だとすると、今回ひとりは連れが確保できたけれど、なにも確認していないと、ひとりボッチだったかも。

こんなワサワサとした作業をし、通学時の彼女たちの姿を思い出していたら、当時の高校生気分になってきた。

現実は60代後半、なんだけどね~。





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司馬遼太郎著「王城の護衛者」の中の短編「英雄児」を読む

2017-11-22 09:07:11 | 
この「王城の護衛者」には5つの短編が入っている。

1、「王城の護衛者」会津藩主松平容保を描いている。

2、「加茂の水」岩倉具視の参謀、玉松操(劉備玄徳における諸葛孔明のような存在)の話。

3、「鬼謀の人」村田蔵六(大村益次郎)の話。

4、「英雄児」河井継之助の話。

5、「人斬り以蔵」岡田以蔵の話。

村田蔵六を書いた本は、先日長編「花神」で読了したばかり。これは「花神」には詳しく触れていなかった明治2年の彰義隊との武力衝突に焦点を当てている。敗血症でなくなったというのは当然同じなのだけれど、50日もイネが看病に当たったということには触れていない。

河井継之助はこれも長編「峠」に描かれている。薩長勢力が官軍となる中、幕府の恩恵を受けてきた親藩長岡藩のために尽力した描写が脳裏に残っています。この短編で河井継之助を再読したのは、また別の視点を持つためにはよかったです。彼は徳川、長岡の殿様のために総力を挙げて戦ったのですが、結果、長岡の町は戦禍に焼け落ち、多くの領民を死なせてしまった。
彼を恨んだ人も多かったのか、死後、彼の墓はすぐくだくだに砕かれ、恨みをかうたちばになった、と。
当時の情報収集能力にたけていたので、刀剣では戦力にならないと判断し、財力を外国製の武器購入にあて、次々と官軍に寝返る藩が多い中、最後まで筋を通そうとしたことが被害甚大という結果を招いたのです。

幕末、明治初年にかけて、横浜などの港には、武器を売る外国船が多く押し寄せていたそうです。南北戦争も下火になり、余った武器の売り先に混乱期の日本がちょうどよいお客になったようです。買い手側の知識がないとわかると、旧式の武器を高値で、、、という商売が横行したりして、欧米技術の情報に詳しい人材がいるかどうかも大事なことだったとか。
きっと、これらはいつの時代にも通ずることなのでしょう。

先日、トランプ大統領が来日して、結果、日本も韓国も大量の軍事関連の出費をすることを約束したと報じられていました。
北朝鮮問題で危機感が増せばますほど、武器商人側がおいしい思いをする、共通している、とおもつた次第です。

幕末明治の有力藩は溶鉱炉を作って自前の武器製造に励もうとしました。
今日の日本はどうなのでしょうすか。確かに武器3原則があるけれど、完成品は作らないけれど、部品には、、、だったり、複雑っぽいですね。
素人にはわかりません。

武器商人は戦争がおいしいんだ! 自分の血が流れない限り。
知らないわけではなかったけれど、きな臭くなって「買いませんか」と言ってすり寄ってくる、今も似ているなと。




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