日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

こんな風に、風化していくのでしょうか。

2020-08-06 06:54:23 | 私の雑感あれこれ
90代の1人暮らしの高齢女性の話。
最後にお会いしたのは、5年ほど前でしょうか。お医者さん帰りという彼女を道筋で見つけて、バラが咲いているから庭に立ち寄っていってね、とお誘いしました。
「極楽みたいだね~」と何度も繰り返し、喜んでくださいました。
道路まで誘導して、別れ際、彼女は一瞬、方向感覚をつかめなくなった感じで、えっ、と思ったのを覚えています。
勿論、まもなく勝手がわかったようで、丁寧にあいさつして帰って行かれました。

彼女を知ったのは、20年近く前に通っていた絵画教室にご主人も参加しておられて、彼女は、ご主人の送り迎えをしておられました。
教室が終わった後は、みんなで館内の喫茶店に立ち寄っておしゃべりタイムがあるのですが、時には仲間に加わったりもなさっていました。
そんな時に、大学芋を作ったから、と言って提供なさったのも覚えています。

年配者の知り合いはめったになくて(そもそも地域に知り合いが少ないのだけれど)、スーパーでお会いすると短い挨拶を交わす間柄でした。
乗合バスで一緒になったとき、まだ私が生まれていない、戦争中の話を語ってくださったのが印象に残っています。
物資不足で金物の供出せよ、の時は、雨どいなんかも外して供出したものよ、とか・・・。
彼女の長女さんが私と同じ年ということもお聞きしました。

そういえば、彼女のご主人は、ジャワ島でのジャングルからの生還者だとも聞いていました。
世間では長期間ジャングル生活をなさった横井さんとか小野田さんが有名ですが、彼もジャングル生活で生き延びた方だったのです。

最近は、(ご主人は死没)お会いすることもなく、耳に入ってくるのは、認知症が進んで、、、という残念な話題ばかりでした。

先日も、ご近所さんから地域の役員さんに苦情の電話が入った、とのこと。

娘さんが来て、食事の用意をしていかれるのだけれど、食べきれないとかで、ご近所におすそ分けしようとなさる、という。
自分が食べきれないから、食べてもらえれば、、、、という、彼女としては好意から出たことなのでしょう。
でも、普段お付き合いの薄いご近所さんにしてみれば、90歳過ぎのおばあさんが手製の料理を持ってこられても、、、、という気持ちにもなるのも理解できます。何度も続くと、やはりきっぱりと断りたくもなるでしょう。
でも、ご本人にそうするのは忍びなく、どう伝えたらいいか、の問題です。

娘さんを通して伝えてもらうことにしたそうですが、他山の石にしないといけませんね。

物のない時代を生きた経験がある人には、どうしても捨てられない、もったいない、が優先するのでしょう。

嫌ね~、認知症だからね~、と言って済ますのは易しいけれど、なんどかお話を聞いた間柄だったので、彼女のこと書き留めておきたくなりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする