日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

『コロナは風邪』

2020-08-07 12:43:57 | 歴史探訪・城巡り
スマホのポータルサイトから、先ほど こんな記事を読んだ。
8月6日付のPRESIDENT オンラインに掲載の記事とのこと。

現役医師「これからは『コロナは風邪』と割り切る視点も必要だ」

説得力ある。
それなりにボリュームのある文章です。時間がある方は、是非ご一読ください。
政府から声のかかったお医者さんでなくても、専門的な見解を発信できるというのは、極めて重宝です。

世の中、ずいぶん変わったものです。
以前、PRESIDENTという雑誌をWeb購読していたこともあるけれど、今は、そんな手続きしなくても読めるんですね~。

新聞やテレビの限られた紙面枠や時間で発信されている情報を超えるものが、どんどん出てきている。
実は、こうなんだよ、と聞いていても、そもそもの基準が違うのに、数字だけを伝えられて、最高値だ、最高値だ、と発信している報道と距離を置きたくなる。

基礎疾患のある90代の方が、さらにコロナウィルスに感染したことでなくなっても、世間は死亡者が増えた、増えた、と喧伝するのだろう。
普通に高齢の方で肺炎、インフルエンザで亡くなる人はいるのに、新型コロナで亡くなるのがさも大問題、という感覚。

なにがなんだか、マスコミって視聴率が大事で、片手落ちの報道をしているのじゃないだろうか。

















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ぼんやりと思う。

2020-08-07 07:32:39 | 社会問題
昨日は8月6日でした。
仕事に行っていたので、昼間のテレビ報道には接していません。

詳しく追ってはいないのですが、アメリカのその筋の専門家(学者)が、「日本は近いうちに降伏する段階に入っているのをアメリカは知っていたのだから、敢えて原爆投下は必要なかった」という論文を発表した、という記事をネット上で目にしました。アメリカでは、原爆投下は必要だったというのがこれまでの大勢の見解とされています。それをしなければもっと多くの米兵が犠牲になっていたのだから、という論理です。
解説記事では、そんなアメリカで、原爆投下は必要なかったという論文も出たというのは、世代が変わり、より客観的にみられるようになったということも考えられる、と。

戦争中も、ドイツ側、アメリカ側の双方で核爆弾の研究開発競争が行われていました。急がないと負ける、完成したから使ってみたい、という気持ちが働いたのでしょうか。
攻撃(実験)対象は有色人種である日本となりました。原爆投下の模様はアメリカ側はしっかりデータとしてとっています。
間もなく、敗戦処理がなされ、その段階で、ドイツ側科学研究者は戦争犯罪を問われることなく、ソ連とアメリカに特権付きで受け入れられました。

東西冷戦時代の技術革新競争にさらに拍車がかかるのです。

戦後、アイゼンハワー大統領は核開発には膨大な資金投入がなさりているのだから、かかった開発費は収益を上げるような政策につなげないと、という発言があった。(「20世紀の映像」とかのドキュメンタリー番組の中にあったのかな)
その路線のひとつだろうか、敗戦国日本の東海村に原子力発電所(アメリカ製)が誘致されたのは昭和30年代。

何十万もの民間人が一瞬に犠牲になった、というおぞましい出来事を、武力アップの流れでしか見ていない層(戦後のアメリカ政府)がいたんだ、と、ひとつひとつ知識を加える。

もうだいぶ前になるけれど、スミソニアン博物館での原爆博実施は見送られたということもある。
アメリカという国は、大勢のアメリカ人に、原爆投下は悪だった、とはまだ伝えたくないようです。

我が家にやってきた、アメリカの(どちらかというと、おっとりしたタイプ)女子学生は日本語もたどたどしいのに、休暇を利用して、一人で広島に行く、と向かっていった。きっと、日本に行くと言ったら、ヒロシマを訪問するようにと家族に教えられてきたのだろうか、と推測したりしたものです。

そんな、原爆投下についての周知に偏りがある現状に、文頭のように、「原爆投下は必要でなかった」という論文が出たというのは、アメリカにとっての新しい1ページになるようだ、とおもって記事を読みました。

最近の地上波のニュース報道には、「今年もまたか、、、」と思ってしまいがちです。
でも、時が経過することにより、物事をみるレンズのゆがみも修正されるという効果もあるのだと、そんなことをぼんやり思ったので、ここに書き留めておきます。







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ひそかに自慢。

2020-08-07 06:58:15 | 家政・料理
暑くなると、朝食は冷たい麺類が多くなる。
お鍋に乾麺を湯がくためのお湯を沸かしながら、
麺をお鍋に投入して、〇分というタイマーセットしてから、
庭に出て、ミョウガの葉叢に首を突っ込んで、花を咲かせようとして地上に顔を出したところのミョウガを片手いっぱい摘む。
あちこちに育っている(※苦笑)青シソも、柔らかそうで大きさもそれなりのを10枚ほど選抜して摘む。
シソの葉を摘んだ時の鼻先に漂う香りは至福です。
買ってきたシソを利用していては、この快感は味わえない、と一人悦に入っています。

※シソはこぼれだねから育っているものです。春先に見つけた時、サルビアの発芽かと勘違いして、あちこちに分散して移植した。トホホ
葉の形は似ていても、緑色の濃さは違ってきて、おやっ、違う、と気が付きました。
今のところ花壇に農薬は散布していないので、花壇の青じそ、食用にもOKと思っています。

ぷりっぶりっに膨らんだ、摘み立てのミョウガ、小口切りに切っり終わったぐらいで、麺は茹であがるのです。

家庭菜園やっている方には、普通のことでしょうけれど、コレって、菜園やっていることの特権ですよね。

私は、我が家で作っていなかったら、この手の脇役野菜はなかなか買い物かごに入れないかも。

そういえば、先日、お仲間二人と会う時に、ミョウガをジップロック1袋ずつをおすそ分け。
即、お二方から、夕食に利用しました、と返信メールあり。・・・迷惑でなくて、ほっ。苦笑

以上、小さな話でした。




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