自家用車で。
明日香、奈良公園にかけて巡ってきました。
1泊目のホテルの窓からの眺め。
右手の山容は畝傍山。
あかねさす紫のゆき標の行き野守はみずやきみが袖振る 額田王
車移動とは言うものの、駐車場にとめてからも結構歩く。
ブログに歩数を書いていらっしゃる皆さんに比べると、お恥ずかしい歩数ですが、ヘトヘト。
1万歩はサクサクあるけるようにしないとね。⇒ ワタシ
素敵な旅行だったね~と口から出る旅ではありました。
また行けばいいから、多くは求めない精神です。
■備忘録として旅の足取りを記します。画像は後から追加。
自家用車で奈良方面へ向かう。
カーナビの目的地を法隆寺に。(私は数年前の女子3人旅で行ったとこ)
敷地は広くて、またまた夫の口から「名古屋にはこんなとこないね~」と。
だって、天下の法隆寺ですから、、、。
隣接する中宮寺にも拝観。3人旅の時は弥勒菩薩は韓国に貸し出し中でレプリカでした。
日本人的詫びさびを愛でるタイプには素敵な仏様、と思ったのですが、長年の油煙などで彩色が抜け落ちてこの色合いになったのだとか。ふぅ~ん。
聖徳太子の妻が夫の死を悲しんで作らせたという天寿国曼荼羅繍画の複製が置いてある。
法隆寺でずいぶん歩いたから(もう?!)、一旦ホテルにチェックインすることにして、それから再度飛鳥寺方面に向かう。
飛鳥寺 ⇒ 高松塚壁画館 ⇒ 石舞台
飛鳥寺もそろそろ近づいたところで、妙な信号が、、、。赤信号が一向に変わらない。すると赤4分青20秒と標識に目が留まる。
なんでこんなアンバランスな?と思ったけれど、これは知恵から出たルールでした。
車1台がようやく通れる道路。一方通行にできない生活道路。向かっている途中で反対方向からくる車をシャットアウトして、対面しない仕組みにしてあるのです。
高松塚壁画館を目指すも、飛鳥歴史公園というとてつもなく広いエリアをモクモク歩かなくてはならない。
壁画館に展示されているのは複製品。劣化が進むから別の場所、または本来の古墳の中、なのでしょうか。
絵を描くのが得意(好き)な人は、古にもいたのだと、思いをはせる。
石舞台。ここも駐車場からテクテク。
すぐに失念してしまうけれど、露出している巨石はかつては土で覆われていたのだと、改めて思い出す。
ホテルに戻る。ホテルの駐車場は満車で焦る。向かい側の提携駐車場に入庫。ほっ。
GoToトラベルキャンペーン利用で、ランクアップした中華料理もリーズナブル。苦笑
私、フカヒレはOKだけれど、北京ダックやピータンは食べられません。トホホ
画像にはありませんが、このほかにジャージャー素麺とデザートはアンニン豆腐とゴマ団子でした。
二日目
ホテルから徒歩で、橿原神宮に向かう。ここも敷地が広大でテクテク。
本殿までの砂利道は私には遠かった。
次は藤原京跡に向かうことにするが、地図で見るとホテルとの位置関係は3角形の形なので、歩く?と提案あるも、自信ないからホテルに戻ってく車で向かう。車を選択したのは正解。なかなか藤原京跡が見当たらずに、そりなりに探し回る。歩かなくてよかった~。
藤原京跡。まだ発掘調査の段階。隣接する農協の2階にある資料室へ。コロナのためDVDが禁止になっていて残念。
奈良文化財研究所ではもっと詳しく説明が聞けるとのことで、車でそちらへ。藤原京は持統、文武、元明の3代の天皇の時代16年間の都だったと初めて知る。平城京に遷都するときに壊して持って行ったのだと。破損した瓦などは遺跡から発掘されている。
藤原京も唐の都の影響はあるものの、より一層配置などを唐風にした平城京が造営されることになる。
平城京に向かう途中で、薬師寺に立ち寄る。
ここも大寺院。かつて薬師寺の東塔と覚えたものだけれど、西塔もあるから驚き。私たちの学んだ頃の後に建立されたようだ。
唐招提寺も途中あるけれど、脚力に余力を残さないといけないのでパス。
平城京に向かう。
ここも広い。ちらっと、再建されたという大極殿や朱雀門が見えるけれど、どこが駐車場やら、ぐるぐるあたりをめぐる。
広い。歩くのキツイ。けれどせっかく来ているのだから、たどり着かなくっちゃ、と歩く。
歴史の解説を読んでいるときはワクワクと興味深いのだけれど、見渡す限りの跡地の広さが恨めしくもアリ。苦笑
ホテルは奈良公園に隣接した小さな8室しかない宿でした。
ここのGoToキャンペーン利用だしと、お料理をランクアップしたから、期待はしていた。
3日目
奈良公園に向かう。
隣接といっても中に入るまでは1キロ近くも廻らなくてはならない。
さて東大寺。まっすくに行く、とは地図ですぐにわかるのだけれど、広いからそれは遠いということ。鹿の姿を横目に歩く歩く。
南大門をとおり、中門の奥にある大仏殿へ。
かつて、絵の仲間と旅した時に描いた中門のスケッチです。
初日の明日香あたりでは、こんなところにも人は来ているのね(混みあってはいない)、と思ったけれど、さすが奈良公園はにぎわっていました。それでも観光バスが来ていないし、修学旅行も出会ったのは1組だけだったから、平年とは格段に違うのでしょうね。
国立博物館で奈良の歴史のおさらいをしようかと思ったけれど、コロナ理由なのかで休館。
興福寺へ向かう。
興福寺といえば阿修羅像。
もう何度もこの像の前に立っている。阿修羅は8体の像のひとつです。
阿修羅の対面に置かれていた、何とかの弟子10人衆という10体の像に魅入った。なんとリアルというか、切々さが表情に出ている。
仏師は多人数で作業に当たっており、個人作ではないのかもしれないけれど、こんな表情の像を作りたいと意図した方と語らってみたい気がする。
ひとくちに仏像といっても様々。
疫病が流行るといって、お寺を立て仏像を鋳造して平安を祈願するしかなかった時代。
藤原不比等は巨大権力を握っていたけれど、4人の息子は天然痘で亡くしている。
現代、新型コロナ流行の最中だけれど、祈願で直す、はない。
あんまりたくさん見ると、どこがどこだったか忘れちゃうから、少しで充分。
また次に来ればいいから。
そう語って、まだ半日はあったけれど(苦笑)、早々に奈良路を後にした。
明日香、奈良公園にかけて巡ってきました。
1泊目のホテルの窓からの眺め。
右手の山容は畝傍山。
あかねさす紫のゆき標の行き野守はみずやきみが袖振る 額田王
車移動とは言うものの、駐車場にとめてからも結構歩く。
ブログに歩数を書いていらっしゃる皆さんに比べると、お恥ずかしい歩数ですが、ヘトヘト。
1万歩はサクサクあるけるようにしないとね。⇒ ワタシ
素敵な旅行だったね~と口から出る旅ではありました。
また行けばいいから、多くは求めない精神です。
■備忘録として旅の足取りを記します。画像は後から追加。
自家用車で奈良方面へ向かう。
カーナビの目的地を法隆寺に。(私は数年前の女子3人旅で行ったとこ)
敷地は広くて、またまた夫の口から「名古屋にはこんなとこないね~」と。
だって、天下の法隆寺ですから、、、。
隣接する中宮寺にも拝観。3人旅の時は弥勒菩薩は韓国に貸し出し中でレプリカでした。
日本人的詫びさびを愛でるタイプには素敵な仏様、と思ったのですが、長年の油煙などで彩色が抜け落ちてこの色合いになったのだとか。ふぅ~ん。
聖徳太子の妻が夫の死を悲しんで作らせたという天寿国曼荼羅繍画の複製が置いてある。
法隆寺でずいぶん歩いたから(もう?!)、一旦ホテルにチェックインすることにして、それから再度飛鳥寺方面に向かう。
飛鳥寺 ⇒ 高松塚壁画館 ⇒ 石舞台
飛鳥寺もそろそろ近づいたところで、妙な信号が、、、。赤信号が一向に変わらない。すると赤4分青20秒と標識に目が留まる。
なんでこんなアンバランスな?と思ったけれど、これは知恵から出たルールでした。
車1台がようやく通れる道路。一方通行にできない生活道路。向かっている途中で反対方向からくる車をシャットアウトして、対面しない仕組みにしてあるのです。
高松塚壁画館を目指すも、飛鳥歴史公園というとてつもなく広いエリアをモクモク歩かなくてはならない。
壁画館に展示されているのは複製品。劣化が進むから別の場所、または本来の古墳の中、なのでしょうか。
絵を描くのが得意(好き)な人は、古にもいたのだと、思いをはせる。
石舞台。ここも駐車場からテクテク。
すぐに失念してしまうけれど、露出している巨石はかつては土で覆われていたのだと、改めて思い出す。
ホテルに戻る。ホテルの駐車場は満車で焦る。向かい側の提携駐車場に入庫。ほっ。
GoToトラベルキャンペーン利用で、ランクアップした中華料理もリーズナブル。苦笑
私、フカヒレはOKだけれど、北京ダックやピータンは食べられません。トホホ
画像にはありませんが、このほかにジャージャー素麺とデザートはアンニン豆腐とゴマ団子でした。
二日目
ホテルから徒歩で、橿原神宮に向かう。ここも敷地が広大でテクテク。
本殿までの砂利道は私には遠かった。
次は藤原京跡に向かうことにするが、地図で見るとホテルとの位置関係は3角形の形なので、歩く?と提案あるも、自信ないからホテルに戻ってく車で向かう。車を選択したのは正解。なかなか藤原京跡が見当たらずに、そりなりに探し回る。歩かなくてよかった~。
藤原京跡。まだ発掘調査の段階。隣接する農協の2階にある資料室へ。コロナのためDVDが禁止になっていて残念。
奈良文化財研究所ではもっと詳しく説明が聞けるとのことで、車でそちらへ。藤原京は持統、文武、元明の3代の天皇の時代16年間の都だったと初めて知る。平城京に遷都するときに壊して持って行ったのだと。破損した瓦などは遺跡から発掘されている。
藤原京も唐の都の影響はあるものの、より一層配置などを唐風にした平城京が造営されることになる。
平城京に向かう途中で、薬師寺に立ち寄る。
ここも大寺院。かつて薬師寺の東塔と覚えたものだけれど、西塔もあるから驚き。私たちの学んだ頃の後に建立されたようだ。
唐招提寺も途中あるけれど、脚力に余力を残さないといけないのでパス。
平城京に向かう。
ここも広い。ちらっと、再建されたという大極殿や朱雀門が見えるけれど、どこが駐車場やら、ぐるぐるあたりをめぐる。
広い。歩くのキツイ。けれどせっかく来ているのだから、たどり着かなくっちゃ、と歩く。
歴史の解説を読んでいるときはワクワクと興味深いのだけれど、見渡す限りの跡地の広さが恨めしくもアリ。苦笑
ホテルは奈良公園に隣接した小さな8室しかない宿でした。
ここのGoToキャンペーン利用だしと、お料理をランクアップしたから、期待はしていた。
3日目
奈良公園に向かう。
隣接といっても中に入るまでは1キロ近くも廻らなくてはならない。
さて東大寺。まっすくに行く、とは地図ですぐにわかるのだけれど、広いからそれは遠いということ。鹿の姿を横目に歩く歩く。
南大門をとおり、中門の奥にある大仏殿へ。
かつて、絵の仲間と旅した時に描いた中門のスケッチです。
初日の明日香あたりでは、こんなところにも人は来ているのね(混みあってはいない)、と思ったけれど、さすが奈良公園はにぎわっていました。それでも観光バスが来ていないし、修学旅行も出会ったのは1組だけだったから、平年とは格段に違うのでしょうね。
国立博物館で奈良の歴史のおさらいをしようかと思ったけれど、コロナ理由なのかで休館。
興福寺へ向かう。
興福寺といえば阿修羅像。
もう何度もこの像の前に立っている。阿修羅は8体の像のひとつです。
阿修羅の対面に置かれていた、何とかの弟子10人衆という10体の像に魅入った。なんとリアルというか、切々さが表情に出ている。
仏師は多人数で作業に当たっており、個人作ではないのかもしれないけれど、こんな表情の像を作りたいと意図した方と語らってみたい気がする。
ひとくちに仏像といっても様々。
疫病が流行るといって、お寺を立て仏像を鋳造して平安を祈願するしかなかった時代。
藤原不比等は巨大権力を握っていたけれど、4人の息子は天然痘で亡くしている。
現代、新型コロナ流行の最中だけれど、祈願で直す、はない。
あんまりたくさん見ると、どこがどこだったか忘れちゃうから、少しで充分。
また次に来ればいいから。
そう語って、まだ半日はあったけれど(苦笑)、早々に奈良路を後にした。