日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

昨日は「偲ぶ会」があった。

2021-11-24 08:09:51 | 私の雑感あれこれ
コロナ禍で亡くなったときは会話も控えなくてはならない時だったこともあり、改めて集いが設けられました。
中華料理店の個室は14名で満杯。
故人の遺影を配置したスペースの照明が暗くて、少し残念。そして暖房も効き目が?でした。
コロナで飲食店不況の実態なのでしょうか。お店が借りていた駐車場も返上したとかで、近くの故人宅に集まって、自家用車でのシャトル対応でした。
彼女との関係は様々で、半分以上は、耳にしたことはあっても面識のない方々。でも、どなたも彼女の仲間らしく、はつらつとした行動派が多い。
まだこれからも元気に動き回れる年代だったのに残念。それに尽きます。

会費は入場料程度で、お料理はフルコース。いいんです。彼女、リッチさんでしたから。ご馳走になりました。笑
そんなことない!と向こうから怒っているかしら。苦笑

スティーブ・ジョブスと同じ種類のガンなの。
あんなにお金持ちで、世界一の治療を受けようと思えば受けられる人でも亡くなるのだから、、、と言っていた。
精一杯の治療を受けることを選択する、とアチコチの病院にかかったけれど、余命宣告とそんなに違わずにその時が来てしまった。
「結局(これこそはと望みをかけたけれど)ダメだったの」と力なく伝えてきた電話の声が記憶に蘇る。

聞くしかない。

良かったことは、最期を自宅で過ごせたこと。

最近聞いた、亡くなったご近所さんは、近くの総合病院での最期だったという。看病の方のことも考えての、、、と伝わってきた。

いろいろなんだな~、と思うし、学ぶ。

できる選択、出来ない選択、それぞれだろうし、ね。

昨日偲ぶ会だった彼女は、病院側とひと悶着を起こしてまで(本人の弁)、「自宅で最期を」と貫いたのだから、やっぱりエネルギッシュなタイプだったんだな、と思った。

ひとりひとり違ってよし、です。

来年の命日には、また集いを企画しております、とのこと。
彼女はまた人が集まる機会を作るという役目をしてくれてもいる。
その集まりに、彼女も出席できたらいいのに、と叶うはずがないことをぼんやり思ったりする私はうつけです。







コメント
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