日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

もう、なのか、早、なのか1周忌。

2022-06-20 07:15:50 | 私の雑感あれこれ
彼女が亡くなったのは去年の6月半ば。経過したのは確かに1年なのに、アレヨアレヨ、という気もする。
歳月というのは、こんな風に1年、5年、10年と経過して、やがて自分の「生」の終了時が遅かれ早かれ来るのだと思う。

10人のメンバーが集まった。同年齢も何人もいるし、少し年配者もいらっしゃる。
皆さん長年のお付き合いの方々ばかり。私だって、末っ子は幼稚園に通っていたころから。
だから、みんなさん、彼女とはたくさんのおしゃべりというか、語り合いをしてきた方々ばかり。

彼女は、飾らない直情派的なところがあったから、多分、大元のところでは、私に語っていた話を皆さん(4つのグループ)にもしていたのだと想像できる。
だとしたら、私に語っていた話を、皆さんも耳にしていらっしゃるのだとも推測できる。
いかに彼女と親密であったかを披露なさった皆さんたちも、夫君の同席していらっしゃる場では話題にしないけれど、彼女の語る愚痴の聞き役をしていたのかしら、とも推測する。お嬢さん育ちだから、溜まった不満をストレートに話題にするタイプでした。
あるとき「息子が言うの。自分の親たちのことを見てきているから、なかなか結婚する気にはなれないよ」と、彼女は痛いところを突かれた、といった風に苦笑しながら言っていたものです。

私たち世代の女性が、1週間で10日でも家を留守にすることがフツウに(気兼ねもなく)できるって、ご主人の理解があってのことよ、というと、彼女にはそちらの感覚が新鮮なようでした。彼女夫婦の方が自立しているということなのでしょうか。
海外旅行に行くにしても、前日の晩に初めて聞くほどでした、とのこと。
昨日も、「〇子が海外クルーズに4回も行っていたなんて、今日初めて知りました」と夫君。

何なんだ?
そんな、会えば、夫の愚痴が何割か混じっていた彼女との会話。きっと、他の人たちも似たり寄ったりのおしゃべりを耳にしていると思う。
それなのに、夫君主催で偲ぶ会に集まっている、この不思議?

皆さんしっかり者の方たちばかりでオトナだから、オトナの対応ができる方たちなのだろうけれど、彼女の「夫やその親族がらみのてんこもりの愚痴」に同調して相槌を打っていたメンバーさんたちも、さらっとオトナの顔をして褒めたたえている。

一年たって、残された夫君は、この集まりの日の会場セッティングのために相当な時間をかけて頑張ってこられたということ。近い日の目標がっあったことが、喪失感の寂しさどころではなかった、というのは良かったのかもしれない。

ちなみに、更地からご自分で設計施工して(一部は専門業者ですが)自宅建設してこられました。
彼女もマイペース、夫君もマイペースのカップルだったのでしょうね。

何度も訪問したお宅でしたが、昨日が最後の訪問となりました。
2台のグランドピアノがあった広い居間でしたが、1台になっていました。
彼女が生きていたら、なかなか手放すという話もスムーズにはいかなかったのでは、とは思います。苦笑









コメント
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