秋の日差しの中、砂利の音を聞きながら歩く。
「大都会の真ん中にこんなに緑があるなんてすごいよね」
「ロンドンのハイドパークは広いけどこんなに木々がないものね」(横長の公園敷地を横切ったものだから、歩いても歩いても公園が続き、草臥れた思い出が残っている)
「この街はすごいね。地下鉄も縦横に走る都会なのに、こんなに太い木がいっぱいある公園が街の中にあるんだもんね」と娘との会話。
懸案の話について一晩語り明かして、青空に誘われてやってきた新宿御苑。
「お母さん、どこに行きたい」と、聞かれて
確かバラ園もあったかしらなどと、30年前を思い浮かべながら「新宿御苑」と答えた。
そして新宿御苑に。
この街にもう一人の娘もいる。
「東京に行くから一緒に食事でも」との昨日の誘いのメールに、「ごめんなさい、時間がない」との返信があった。
彼女がいるのは新宿区内。
「お正月まで、身動き取れないほど課題がいっぱい」と、数日前にもメールがあったけれど、「それでも」「もしかしたら…」そんな気持ちが心のどこかにあるものだから、
自分自身に「昔訪ねた公園にもう一度」という理由をつけて、新宿区内のこの公園にいる。
「まったくアホだな」と自分を笑う。
アルバムにあるバラ園をバックにすましているミニスカート姿の若い娘が30年経って今の私。
娘たちは自分の30年後を知らない。写真の私も当然知らなかった。
自分の未確定のこれからに対して夢を持っている。夢の分量だけ不安もあるのだろうけれど、若いというエネルギーが彼女らを支えていることを切々と感じる。
「出る幕はない」というのは、こういうことだろう。
離れて暮らす娘たちに「元気?」とメールを送るばかりです。
そういえば、あのコマーシャル1回しか見ませんでした。
「元気か?」
「うん、元気」っていうやつ。
「元気だから、そういつも電話してこないで」と答えて涙をこらえる娘。
親子の心情、言い当てていますよね。「あ・うん」の呼吸ってやつかな。
つい耳を澄まします。
「元気」という音調に。
メールでは音調が伝わらないから、見えない文字を探しているような気がします。
まったくアホですね。
「大都会の真ん中にこんなに緑があるなんてすごいよね」
「ロンドンのハイドパークは広いけどこんなに木々がないものね」(横長の公園敷地を横切ったものだから、歩いても歩いても公園が続き、草臥れた思い出が残っている)
「この街はすごいね。地下鉄も縦横に走る都会なのに、こんなに太い木がいっぱいある公園が街の中にあるんだもんね」と娘との会話。
懸案の話について一晩語り明かして、青空に誘われてやってきた新宿御苑。
「お母さん、どこに行きたい」と、聞かれて
確かバラ園もあったかしらなどと、30年前を思い浮かべながら「新宿御苑」と答えた。
そして新宿御苑に。
この街にもう一人の娘もいる。
「東京に行くから一緒に食事でも」との昨日の誘いのメールに、「ごめんなさい、時間がない」との返信があった。
彼女がいるのは新宿区内。
「お正月まで、身動き取れないほど課題がいっぱい」と、数日前にもメールがあったけれど、「それでも」「もしかしたら…」そんな気持ちが心のどこかにあるものだから、
自分自身に「昔訪ねた公園にもう一度」という理由をつけて、新宿区内のこの公園にいる。
「まったくアホだな」と自分を笑う。
アルバムにあるバラ園をバックにすましているミニスカート姿の若い娘が30年経って今の私。
娘たちは自分の30年後を知らない。写真の私も当然知らなかった。
自分の未確定のこれからに対して夢を持っている。夢の分量だけ不安もあるのだろうけれど、若いというエネルギーが彼女らを支えていることを切々と感じる。
「出る幕はない」というのは、こういうことだろう。
離れて暮らす娘たちに「元気?」とメールを送るばかりです。
そういえば、あのコマーシャル1回しか見ませんでした。
「元気か?」
「うん、元気」っていうやつ。
「元気だから、そういつも電話してこないで」と答えて涙をこらえる娘。
親子の心情、言い当てていますよね。「あ・うん」の呼吸ってやつかな。
つい耳を澄まします。
「元気」という音調に。
メールでは音調が伝わらないから、見えない文字を探しているような気がします。
まったくアホですね。