日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

スペイン映画「蝶の舌」

2005-11-16 07:14:06 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
先日加入したばかりのケーブルテレビで途中から観る。
教壇で教師風の人が語っている
 「…自由は誰も奪えない…」
子供たちの顔が映る。
-字幕だけど、私観るわー
と、ほんの20分でEND。
森で蝶を追いかけている少年7、8歳くらいか。
とり損ねて、教師が手助け、捕まえた蝶を眺めて、顕微鏡で蝶の舌をみようねと。
その後戦争になったとのニュース。
少年の家、母親は家宅捜索されて不都合そうなものを暖炉で焼く。
少年にも「(仕立て屋の)お父さんが先生に洋服を作ってあげたことはないといいなさい」と念を押す。
「でも、本当は作ったでしょ」と、いう少年の声はかき消される。
そして、建物から護送車で連行される人々を取り囲むように見つめる町の人たち。
街の人たちは、護送車ら向かう人々に口々にののしる。
「アカ」「人殺し」と。
母親は少年にもののしれと促す。
そして、護送車へ向かう人の最後にあの教師も。
少年の口からも同じ言葉が出る。
そして、教師が荷台に乗り込もうとするときに
「蝶の舌!」と。
途中から観た私は、その「蝶の舌」と叫んだのが分からなかったのですが、教室で
「今は隠れていて見えないけれど、蜜を吸うときは巻いていた舌をのばすんだ」と、その教師が教えたことを、連行される先生に投げかけたのだと(これは調べて分かりました)。
ほんの20分でENDだから、一寸しか観てないくせに半可通のネタバレみたいでごめんなさい。
少年らの服装から見て、1940年代頃のスペインかと思いながら見ていました(かの国は70年代まで軍事政権だったと記憶しています)。
通ってきた時代を、こんな少年の目を通して映像にしているなんて、こんなとき
「映画って本当にすごいですね」と、水野晴郎氏の台詞をはいてみたくなります。
ちなみに製作は1999年です。




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映画「ミュージック オブ ハート」を観る

2005-11-15 13:11:32 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ニューヨークの下町の子供達がカーネギーホールで演奏したという実話の映画化。
音楽の課外授業の非常勤講師役がメリル・ストリーブ。
男の子2人を連れて離婚。収入を得るために頼み込んで非常勤講師に。
直ぐ辞めるのが相場の非常勤講師だけれども、生活かかっていることもあって10年勤続。
予算カットで辞職勧告を言渡されたところで、カンパを募るための演奏会企画。
そしてアイザックスターンらの賛助があって、カーネギーホールとなる話。

メリル・ストリーブ素敵ですね。言葉がなくても表情だけで、台詞が聞こえてきそうです。彼女の映画そういえば2、3観ているけれど(彼女の映画だから観るのではなく、内容でチョイスしたら彼女だった)、あの年回りの女性を題材に取上げていること、実はそこのところ、いま話題の韓国映画と違うんだと勝手に推測してしまいます。
だから若者はこの役回り、年よりはこの発想、主人公はこんな思考、脇役はここで登場とセッティングがなされていそうで、韓国映画を観たいとは思わないのは、そこのところかな(ごめんなさい、1話しか観ていません)。

美談の実話を映画にしたらしいと聞いています。そのためかお話的には地味系だけれど、メリル・ストリーブ素敵でした。
ちょっとあんな風に、というか彼女が年を取るように、年齢を重ねていきたいな。
無理か、私が先だから(苦笑)。
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映画鑑賞の記憶

2005-11-10 07:02:52 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
昭和30年代、小学校では映画鑑賞の日というのがあって、近くの映画館は学校貸切となり、並んで近くの映画館へ行ったものだ。
私はその映画鑑賞が苦手だった。
2本立て映画のメインでない1本が怖い映画だったから?定かな記憶はない。
それで、担任に頼んで、「教室で自習」したり、「仲間で写生」をしたりして時間を過ごした記憶もある。
それを認めてもらえないときは、映画館の外側の階段で『チヨコレイト』『パイナップル』『グリコ』とジャンケンしたりして時間をつぶしたこともあった。
この映画「綴り方兄弟」の時は、いつでも外に出られるように映画館の左側最後列に座ってみていた。
私小学校3年生頃か。
同じ年頃の雨漏りするような家に住む学用品にも事欠く女の子が主人公。教室で鉛筆がなくなると彼女に疑いがかかる、そんな話もあったような。
話の筋も朧なのだけれど、悲しくて、こらえようとしても咽ぶように泣き声まで出してしまった覚えがある。
まだ十にも満たない私のココロに入ってきた彼女の境遇。
毎日鉛筆でチラシの裏に作文を書き続ける彼女の映像が朧には残っている。
戦後の復興から置き去りにされていた貧しさの中の健気さに胸打たれたのだけれども、きっとこの感情は普遍的なものだから、今もどこかの国にこんな健気な彼女がいるに違いないと思うことがある。
-人は生まれてくる時代も環境も選べないけれど、どんな時代どんな場にあっても感動する心は自分のもの、自分そのもの-
私は、そう思っています。
「あたりまえ!」って、声が飛んできそうですね(笑い)。
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薬を飲む生活

2005-11-09 06:43:52 | 私の雑感あれこれ
年配の方々と1泊旅行をした。
夕食後の和やかなひととき健康の話になった。
皆さん常備薬のように3食後の薬があるという。
高血圧の薬、心臓病の薬、腰痛の薬、胃薬、エトセトラ。
私は幸いにして、常備薬はなく、目薬さえも不要で、季節の風邪薬程度で済んでいるから、365日、朝・昼・晩という生活に驚いた。
年をとるということは、生活がゆっくりになることとともに、薬とも相和すことなのだろう。
まだ体験しない世界だから、なんとも言えないけれど、日本の長寿を支えているのは、「薬」でしょうね。
かかりつけのお医者さんの話になって、比較的ご近所だから、同じお医者さんだったりして話が弾む。
薬の分量の多さを訴えると、体調をみて調節してもいいとの話。
想像するに残りはゴミ箱か。
そして、あのお医者さんは絵画収集がご趣味で…という話。価格にすると結構な値段の絵が何枚もかかっているという。
あっ、沢山のお年寄りの薬を飲む生活がお医者さんの絵画収集趣味を下支えしているのだ。
健康であることがありがたいのであって、健康保険料は税金の一種と理解しようとしていたけれど、お医者さんの趣味の下支え…(もちろん口には出さないけれども)。
私、暫し沈黙。
でも、絵は買う人があって絵描きさんの生活が成り立つのだから、そちらの下支えでもあるし…。
そうか…、「風か吹けば桶屋が儲かる」そういうものなのですね。
日本人の長寿に薬は大いに貢献しているのでしょう。
お医者さんへ
毒にも薬にもならないからという「気休めの薬」を保険で処方するのは遠慮してほしいものです。
日本人は薬好きだから、白衣を着たお医者さんが指示する薬ということに薬効があったりして…。
大きな赤字を抱える健康保険会計、解決の対策は困難ですね。


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もう、山茶花が咲き始めました。

2005-11-08 08:12:14 | 私の雑感あれこれ
洗濯物を干していて、山茶花の生垣に白い3,4輪の花を見つけました。
木枯らしはまだですが、すっかり秋も深まったのですね。
紅葉狩りの頃なのでしょうが、天候の具合で、いまいち錦秋の秋を満喫の願いがかないません。
里の秋はまだまだこれからでしょうから、次の休日あたりもみじのトンネルを抜けたいものです。
これから仕事です。

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世の中、昔より進歩的になっているのでしょうか。

2005-11-07 07:36:28 | 私の雑感あれこれ
今日経朝刊の「私の履歴書」欄で仲代達矢の話が連載中です。
6日の-結婚へ-の小見出しがある話
「娘さんをいただきたいのですが」
緊張の連続で3日かかってようやく仲代氏が口にできた一言に、彼女の父親の返事はなく、母親を介して聞いた返答に、父親の結婚観が。
「○子をやるわけじゃない。新憲法では男女の合意で新しい戸籍を作るんだ」と。
「新憲法」という言い方で、今の憲法を言うからには、戦後からそう長い年月が経過していない時分だったのでしょう。
その文字を読みながら、つい数年前もどこかで聞いたような、いや、ずっと自分たちの結婚のときから傍らにあったような、そんな気分がしました。

「結婚式をしなければ結婚できないという決まりはどこにもない。二人がそれで了解であれば何の問題もない」
そんな言葉が我が家の食卓の話題になったのは2,3年前か。

新憲法から60年も経って、すっかり「新」が取れたのだけれど、二十歳を過ぎても子供はいつまでも「パラサイト」だったり、娘の結婚を「かたづいた」といいまわす発想がどこかに残ってはいまいか。
結婚前の女性は男性に高級レストランに連れて行ってもらい、高級なプレゼントを良しとする価値観は、今でも元気らしいです(具体的には知らないのでテレビなどからの情報ですが)。
件の台詞の父親氏(裁判官をやめ当時弁護士だった)は、華やかな演劇界にいた○子さん
が独身時代に異性であっても仲間と連れ立って会食する時も「食事は割り勘ですること」も条件としておられた由。
もう50年以上前の話でしょうが、どちらが進歩的なのでしょう。
時代が下ると確実に新しくなるというわけでもないと、そう思ったりします。


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国債って、回りまわってみんなのために使われたもの?

2005-11-04 21:24:00 | 社会問題
{膨大な国債発行額、国の背負っている借金のために、財政困難に陥っている} と私たちは漠然と理解しています。
国債は他人のために使われたかのように…。
それではその国債はなぜ増えたのでしょう。
税収を上回る支出。
公共事業の発注。…談合で割高発注もあったかも知れません。ゼネコンとその傘下の仕事に従事している人の割合は日本は世界で突出して多いそうです。
医療費等、社会福祉等への負担金の手当て。公共と名が付くと予算が付くからと、業者が群がりますよね。
そう、国債を使って、国が事業に資金を投資し続けたおかげで生活をしてきたのは、私たち国民でもあるのです。
道路がつくとなると、途端に土地買収関連であたりの土地が値上がりするし、工事労働者が集まると、飲み屋さんから弁当業者まで潤うのです。
そんな形で生活の糧を得てきた人が随分いたのも現実でした。
だから、高速道路の誘致に盛んな陳情など行ってきたのも、そんなうちのひとつです。
国の予算が各所で使われ、その地域の住民が豊かになってきていたという面があったと思います。声の大きい議員さんがいたほうが有利だとか、分配のあり方が偏っていたようですけれども。
だから国債の恩恵を受けてきたのも国民なのです。
但し、今の政権は公共事業等で大盤振る舞いをするという形での国民の支持を得るというやり方を変え、国民に現状を説明して借金を減じる方向へと舵を切りました。
だから、先の選挙でいわゆる族議員といわれる、国の予算と密着している業者を支持者とする議員たちが与党からばっさり姿を消しました。
族議員に代わる議員が新たに80人も加わったということは画期的なことです。
それなりの選挙民による無血革命があったといえるかもしれません。

「多額の国債発行」の責任は、為政者が勝手になしたと責めるのは一方的で、次々と公共事業を願った国民の意思の一面でもあったわけです。
また、そのおかげでインフラが整ったことは確かにプラスでした。そして今、財政の健全化にスポットを当てる時期にあるのでしょう。私たちがただ他人事のように責めるのでなく、克服すべき課題だと理解すべきなのでしょうね。
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国債の大量発行と金利

2005-11-04 07:05:09 | 社会問題
超低金利が長らく続いていますよね。
経済紙では企業が最高益を出したという記事が目に付きます。
景気回復してきたのだから、金利アップとなるのでしょうか。
市場に金余り現象がおきていて、株式市場もあのバブル時並みの活況だそうです。
日銀はそろそろ金利アップをしたいところなのでしょう。
対ドルとの関係では円安傾向となりアメリカの金利が4パーセント代になっている状況です。このままでは日本のお金がアメリカに流れる…。
でも、金利はなかなか上がらないと思います。
大手銀行は不良債権で苦しんでいた数年前と様変わりして元気になったようです(不良債権比率2.4パーセントと報じていました)。
だからといって今日本の金利を上げると困る人もいます。
低金利であるから倒産しないでなんとかやれているゼネコン。
景気回復のニュースに登ってきていません。
そして、この国。
膨大なの国債を発行しています。金利が上がると国債が安くなるからです。
金利と国債は連動します。国債も金融商品のひとつです、よって当然買い手(引き受けて)は他の預金金利等との比較で判断しますから。
国債は金利分を差し引いて売られています。金利があがって、その金利分が大きくなった分、市場に出るときの国債の値段が低くなるのです。
買い戻す金額は額面で変わらないのに、市場に出すときは安くしか出せない、これでもっとも困るのは国です。
日銀の思惑と国の思惑、それぞれ違うのです。
景況で市場にお金がだぶついているのに、引き締められない→バブル。
最大の債務者である国が低金利を切望していると考えられるのではないでしょうか。
それが、不健全だとわかっているから、いま政府も借金財政の建て直しに本気なんだと連想するのは筋違いでしょうか。

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続・銀行の話

2005-11-03 15:07:40 | 社会問題
3,4年前になるでしょうか。
今のように不正カードや預金口座の不正の話題が頻繁に出てくる前というか出始めの頃の話です。
預金通帳の盗難に遭い、通帳に貼付されていた印影をコピーされて、預金が口座から引き出された話です。
正当な預金者が引き出したわけではないのに、実際には預金は引き出されている。
通帳の持ち主は「通帳を盗まれた」ことの被害届は出しました。
「銀行も被害者だから被害届を出してほしい」と申し出ると「銀行は被害にあっていない」の一点張り。
「過失があるのは預金者か銀行か」の争いになるわけですが、偽造の印鑑と通帳を提示した人の引き出しに応じてしまったのだから、窓口行員のチェックミスを誘導したわけで銀行も被害を受けていますよと説明しても、合点してもらえないことがありました。
それから数年経って、カード偽造などで引出しがあった場合は、「発生した損失は銀行が負担する」という流れになってきました。
ほんの数年のことですが様変わりです。
とたんに被害防止にやっきになっておられるようですが、先のブログにも書いたように、お客様のことよりも、「銀行という大きい組織がやること、やったことは正しいことなんだ」という意識を感じたものです。



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大きな銀行のこんな姿

2005-11-03 08:48:16 | 社会問題
「UFJ銀行の無人店舗」と、近頃よく盗撮カメラのニュースで話題になっています。
私がよく利用するオフィス街の「UFJ銀行の無人店舗」、以前は利用者の多い大きい支店があったのだけれど、銀行の統廃合で「UFJ銀行の無人店舗」になったので利用者は多いのです。
カード入れをはじめてみたときは、「あー、これも知恵を絞った勧誘の仕方なんだ」と、思った覚えがあります。
それから盗撮カメラ設置されたことに関連して、イタチゴッコのようにニュースになっています。
ATMが6台7台並ぶ無人店舗。人の後ろに立っては失礼だと配慮して、暑くても寒くてもドアの外、歩道に1列に並びます。
引き出しをしても、封筒がないこともしばしばだし、不要で捨てられた明細書などがゴミ箱からあふれて散乱しています。
大きいお金も行き交っているだろうに、駅のコンコースか場末のゴミ箱のようです。
機械のメンテナンスさえしていれば収益が上がると思っているように感じていた折の盗撮カメラ事件。
これを機会に、しばしば点検見回りしたらいいのに、と門外漢ですがそう思います。
でも、こんなことをたとえ最寄の支店の銀行員に話しても、きっと少しも変わらないだろうと思います。
すごく大きな組織になってしまっていますから。
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